第百二十話 ミーア姫、ついにマウントを取ることに成功す!
ナホルシアは、シオンの反論を完全に封じてみせた。
政治の話ならば議論の余地もあるものを、縁談を断られた娘と、その母の感情の問題にすり替えたのだ。
確かにロタリアは縁談を断られた令嬢であり、そのメンツは傷ついたと言える。シオンの側にも多少の罪悪感はあったのだろう。二の足を踏んでいる。
――くっ、シオンに頼れないとなると、こちらでなんとかしなければなりませんわ。こんなに大事なことを賭けるということは、勝つ算段もついているはずですし。なんとかしなければ……。
ミーアの本能が告げている。ここは勝負を受けず、はぐらかすことこそが最善手。
曖昧に返事をし、先延ばしにすることこそが肝要。滝に落ち込むような激流に身を投じる必要などなし! っと、思うのだが……。
「ふふふ、そのような深刻な顔をなさらないでください、ミーア姫殿下。ちょっとした、冗談ではありませんか」
ナホルシアは、朗らかに笑った。
「まさか、帝国の辺土伯のご令嬢とサンクランドの次期国王陛下の縁談など、到底、あり得ぬことでしょう。そんなこと、我が国の貴族だけでなく、帝国の貴族であってももろ手を挙げて賛同はしないのでは?」
その言葉に、ミーアは眉をひそめる。
確かに、帝国中央貴族の中には、辺土伯が他国の王族と縁を結ぶことを望まぬ者はいるだろう。むしろ、いろいろと妨害をしてくる予感しかしない。
――これは、言外に脅しに来ておりますわね。もしも、勝負を受けなければ、帝国貴族を巻き込むぞ、と……。
無論、陰謀めいたことを企めば義を失うかもしれないが、この場合、ただ情報を流せばよいだけだ。我が国の王子が、貴国の辺土伯令嬢との縁談を望まれているようなのだが、人となりをお聞かせ願えるだろうか、と。
臣下として当たり前の行動をすれば、それだけで帝国貴族を焚きつけることができるだろう。
しかし、それをすればシオンとの関係は最悪になる。帝国との関係もどのようになるかはわからない。
――その点、弓の勝負であればこちらにも勝ちの目がありますわ。罠にはめられた形ですけど、勝ちの目があってしまうがゆえに『あの時、勝てば良かっただけでしょう』と言えてしまえる……。ぐ、ぐぬぬ、老練な……。
ミーアはなんとか脳みそを動かすべく……甘い紅茶を飲む。ジャムを足して飲む! それから、クッキーを食べ……なんとか笑みを浮かべてみせる。
「そうお思いなら、賭けにならないのではありませんの? オリエンス家がシオン殿下を支持するというのも、当たり前のことではありませんの?」
「ええ。ですから、これはほんの戯れ。気軽な戯れにすぎないのです。どちらが勝っても、当たり前のことを当たり前にするだけのこと。まさか、親善的な弓術披露の場で、命を懸けるがごときことはいたしませんでしょう?」
「……その賭けに意味はあるのかしら?」
「そうですね。勝ったほうは、小さな心配が払拭されて、完全な安心を得ることができるでしょう」
「安心ですの? そのために、賭けをすると?」
「ええ。私のように国境を守る役目を負っていると、安心はまったく馬鹿にできないことなのです。人は安心を得るために武器を持ち、敵より大きな力を得たくなる。人は、安心を保証するものを求めるもの。愛する家族を、民を持てばなおのこと。そうは思われませんか?」
不思議なことに……ミーアはその言葉に、ナホルシアの真意を見たような気がした。
――家族と……また言われますのね。
ナホルシアからこぼれた情報をじっくりと……。
お皿の上に置かれていたクッキーをさっくりと……。
吟味し、賞味しつつ……。
「なるほど、確かに、いつでも心安らかでいたいと、わたくしも思いますわ」
そう答えた時、ミーアの心は安らかだった……や、安らかだった!?
そうなのだ、ミーアはついに、ナホルシアの心を理解したのだ。
――ああ、なぁんだ、この方、わたくしの同類ですわ。
安心を求めることと言えば、小心者の代表格たるミーアが以前より求めていたことである。ベッドの上でのんびーり、だらだら、安心して過ごすことはミーアの理想ではないか。
それに、家族のために、というのも同じである。ミーアだって孫娘ベルのために頑張ってきたわけで、むしろ、孫娘という分、ナホルシアより先を行っていると言っても過言ではない。
つまりは、安心を求める小心者戦略の先達と言えるのである。
そうなのだ、ミーアはここにきてついに、ナホルシアに対して精神的優位性を獲得したのだ。
そして、そのうえで、先達たるミーアはナホルシアの過ちを見出していた。
そう、ミーアは知っている。
力で押さえつけることによって得られる安全は、それが失われた時に牙を剥くということ。
ゆえに、ミーアが理想とするところは、そこにはない。
「しかし……相手も安心を欲するのなら、互いにより強い力を求め続けて、キリがなくなるのではないかしら?」
強い力で、相手を踏みつけることで得た安全は、蛇を育てる絶好の環境だ。それに、蛇がいなくとも、そこには常に危険が潜む。
自分が安心を求めるように、相手も安心を求める。
自分が安心を求めて力を欲するように、相手も安心を求めて力を欲する。
自分が安心を求めて力を行使するように、相手も安心を求めて力を行使する。
その拮抗に、緊張の世界に『ベッドでダーラダラする』というミーアの理想はない。ある日、叩き起こされる未来しか見えない。
ゆえに、ミーアは真っ直ぐにナホルシアを見つめて言う。
「わたくしは、そのような保証がなくとも心安らかでいられるような、平和を築きたいものだと思いますわ」
力で押さえつけることなくても、相手が力を行使する気にならない、というのがミーアの理想だ。だからこそ、相手もほどほどに幸福で、命を懸けてなにかやろう! という気にさせないことこそが最低限。もっと言えば、力を失った時にこそ、相手が力を貸してくれるというのが理想中の理想だ。
っと、小心者の平和学の先達として軽く助言をしつつ、ミーアは唐突に悟ってしまう。
――あら? でもこれって……もしかして、ナホルシアさまの思惑に乗って、賭けに勝ったうえで、ナホルシアさまの根本的な不安をなんとかするしかないのでは……。
仮初の安心安全を奪ったうえで、それでも心配することはないんだよ、とわからせる必要があるわけで……。
こいつぁ、面倒くせぇことになったぞ!
キノコでなんとかできるか? できるのか?
いや、キノコならまぁ、なんとかできるか……。
であれば、あとは勝つばかり、っと考えたうえで、ミーアはティオーナに目を向ける。っと、
「ミーアさま、私、やります」
ティオーナが、真剣なまなざしを向けてくる。
「私が……やらないわけにはいきませんから。やらせてください」
やたらと気合の入った……覚悟の決まった顔で。
その隣、リオラが、ドンッと胸を叩き、
「私もやる、です。やらせてもらいたい、です」
やはり、大変に気合の入った顔で、そんなことを言う。
――ううむ……。まぁ、このお二人は、あの狼使いを撃退するほどの弓の名手。大丈夫なはず。勝てばいいのですわ、勝てば。となると……。
二人に関しては、勝ち目は十分にあるはずだ。二勝が確定する時点で、こちらの勝ちは揺るがない。
されど……ミーアはもう一人にもきちんと勝ってもらいたいと思う。
なぜか……? 無論、安心のためである!
小心者はいつでも心安らかでいたいのだ!
まことに人は、安心を求めるものなのだ! ナホルシアの言葉は真理を突いているのだ。
――ここは、やっぱり三人目はディオンさんしかいませんわね。
帝国最強の騎士、ディオン・アライアに対するミーアの信用は厚い。
ミーアがよく食べている特製パンケーキと同じぐらいに、どっしりと分厚い。
三本勝負の内容は詳しくはわからないが、どんなものであっても必ず勝利するだろう、と確信を持っていたミーアなのだが……。
「ああ、ナホルシア。ここにいたのか」
不意に声。そちらに目を向ければ、一人の男が歩み寄ってくるところだった。




