第百四話 サンクランドの占める位置
その日の夜のこと。ルードヴィッヒのもとに、とある男が訪ねてきた。
「ルードヴィッヒ殿、少しいいだろうか?」
ノックもそこそこに入ってきたのは、帝国最強の騎士、ディオン・アライアだった。
片手にワインボトル、片手に杯を持って現れたディオンを、ルードヴィッヒは苦笑を浮かべつつ迎え入れる。
「すまないな。護衛の連中を酒に誘うわけにはいかなかったものでね。付き合ってもらえるかな?」
「それは構わないが……ただ酒を飲みに来ただけではない……ではないかな?」
そう問いかければ、ディオンは小さく肩をすくめてみせた。
「お見通しか。まぁ、君と酒を飲みたいのも嘘ではないんだけど、そうだな。少し、ルードヴィッヒ殿の意見を聞きたいことがあってね」
「なんだろうか……? 俺にわかることならばいいんだが……」
ルードヴィッヒは、机の上に置いてあった本を、そっと脇にどけた。
「おや、それは?」
「ああ……。ミーア姫殿下のお役に立てるかと思って読んでいるんだが……」
そう言ってルードヴィッヒが差し出したのは……、最近流行っていると評判の恋愛小説だった! アンヌから相談を受けた後、恋愛小説を借りて研究、分析しているのだ。
大変真面目な男なのである。
「へぇ、それがミーア姫殿下のねぇ」
ディオンは少し驚いた顔をする。そうまじまじとタイトルを見られるのも気が引けたので、早々に話を変えて……。
「それで、聞きたいことというのは……」
「ああ、そうだった、そうだった」
ディオンはワインを注ぎつつ、言葉を選ぶように一瞬黙ってから……。
「このオリエンス大公領のこと……ルードヴィッヒ殿はどう見る?」
「どう……とは?」
「端的に言ってしまえば、ずいぶんと危険な土地だと僕の目には見えたんだけどね」
その言葉に、ルードヴィッヒは眼鏡を押し上げた。
「城壁の高さがかな?」
「それもある。が、領都の規模も気になった。王都と呼んでも差し支えないほどに栄えている。王のおわすところ以外の場所が、同じぐらいに栄えているのは、王にとってはあまり好ましいことではないんじゃないかと思ってね」
それは、王の嫉妬心を、それ以上に王の猜疑心を招くものだ。
「野心に溢れる者がこの地の領主になれば、諸侯を糾合して王に一戦挑むなんてことを考えるかもしれない……などと王に吹き込む者がいれば一大事。分別に欠ける王であれば簡単に騙されてしまうように思えたものでね」
その言葉に、ルードヴィッヒは一つ頷いてから……。
「これは、あくまでも推測に過ぎないが……俺は、オリエンス大公領が何のために造られたのか、なんとなくわかるような気がする」
その言葉に、ディオンは面白そうに口元に笑みを浮かべた。
「いいね。興味深い。ぜひ、拝聴させてもらおうかな」
軽くワインを回しつつ、続きを促す。
「オリエンス領があるのは、恐らくサンクランドの自浄装置とするため、だ」
「自浄装置?」
「悪辣な国王が立った時に、それを除き、サンクランドの正義の清さを保つための装置だ」
椅子に大きく背を預け、ディオンは上を向いた。
「面白い考察だけど、そんなふうにわざわざ国を割るような真似をする必要があるのかな。僕には、あまり意味のあることとは思えないんだけど……」
「ある。もしくは、その当時は、あったんじゃないだろうか。サンクランドの、初代国王陛下の御世には……」
「初代国王、正義王……か」
サンクランド王国建国の父、アダーバハムズ・ソール・サンクランドは、もともと、この地を治める大領主だった。
武の力で周辺を平定した彼は、神に選ばれた者として、この地を正義によって治めることを宣言。言葉の通り、民に平和と正義とをもたらしたと言われている。
「民が国の形にまとまるためには神話が必要だ。だが、神聖典に起源を持つ騎馬王国や、大祭司の血脈であるヴェールガのような由来は、サンクランドにはない。だから、サンクランドの正義王は、神聖典に連なる剣の国となることで国を建てようとした」
ヴェールガ公国の築いた宗教圏において、王は神から権威を委託された者と見做される。
そして、その権威は民を安んじて治めるために与えられたものだ。
王が、神の命を軽んじ、民に暴虐な振る舞いをする時には、別の王が剣をもって咎め、場合によっては、悪王を除かなければならない。
この場合、王を除くのは、あくまでも他国の王だ。ヴェールガではない。ヴェールガは自前の軍隊をほとんど持たぬ国。ゆえに、全ての国に呼びかけ、連合軍を作り、悪王を打ち斃すのだが……。
「その仕組みが機能するためには、サンクランドのように大きく、他国に軍事介入ができる、いわゆる『神の剣』の国が必要であったと?」
「少なくとも連合軍の中核を担う国が必要であったんだ。そして、その必要に答える形で、正義王は諸侯をまとめ上げた。そこにサンクランド王国の占める位置を見出したんだ」
ルードヴィッヒがワインに目を落としつつ言った。
「だが……他国に正義を課すことは、傲慢だ。他国を正す前に、自国の正義が、どの国にとっても明らかでない限り、非難を浴び、攻撃を受けることになる。だからこそ、過剰なまでに、サンクランドは正義を重んじた」
正義の統治を訴える国は、自身がどの国よりも正しくなければならない。少なくともその国王に不正があってはならない。
「そのために、自国内にはしっかりとした自浄の仕組みがあることを証明し続けたということか」
「目に見える形でそれを証明することが大事だったんだ。少なくとも正義王は、そう考えて、血縁であったオリエンス家にその役割を与えたのではないか、と俺は考えている」
ディオンは小さくため息を吐いた。
「なるほどね。王を咎めることができる国内貴族としての役割か。だから、領内の町々の防備があれだけ硬かったわけか」
「そう。そして、時代を経るごとに、オリエンス家は王の遠き血族になっていった。私情を挟まずに王を咎められる家柄になっていった。オリエンス家は、ますます、正義の国サンクランドになくてはならない一部として認められていった。が……」
ルードヴィッヒが言葉を止めた。酒杯に目をやると、すでに、ワインはなくなっていた。ディオンが瓶を持ちあげたのを見て、お礼を言いつつ、ルードヴィッヒは考える。
それから、改めて話を続ける。
「先代の時代に大きな変化が起きた」
「王の弟を婿に迎え、オリエンス大公とした」
静かに頷き、ルードヴィッヒは眼鏡を押し上げる。
「中途半端に近しいことは、逆に危険を呼び込む。王家の身内というイメージがついてしまった以上、オリエンス家は自浄の仕組みとは見なされなくなってしまうかもしれない。となれば、必然、この地の武力と繁栄は正当性を失う」
これは、極めて危険な状態だった。
国王から見れば、自分と同等の武力を国内の大貴族が持っていることは脅威だ。それが王位継承権を持つ家であるならばなおのとと。下手な国王であれば、反乱を起こす前に潰してしまおうと考えても不思議はない。
「だからこそ、より接近しようとする、と?」
「ああ。次期国王の王妃の出身地と言うことになれば、反逆の中心地にはなり得ない。少なくとも、次期国王から攻撃を受けることはないだろうし、国を二つに割るようなことにもならないはずだ」
「なるほどね。そう考えると、女大公ナホルシアの考えも理解できるね。国と自領のことを考えれば、妥当な判断と言えるんじゃないかな」
「だが……ミーアさまは、それを是とはなさらない」
ルードヴィッヒの言葉に、ディオンは楽しげに笑った。
「さてさて、何をお考えなのやら、だねぇ……。まぁ、なんにせよ、楽しみにしておくとしようか。我らが姫さんの叡智をね」
そう笑うディオンであったが……。
まぁ、もう言うまでもないことではあるのだが、基本的にそのあたりのことは、なぁんにも考えてないミーアなのであった。




