第百二話 いいな! いいなぁ!
意気込んで(無論、晩餐会に向けて、である)、鼻息荒く踏み込んだオリエンス家の館は、実に見事な物だった。
目の前に広がるエントランスにミーアは思わず息を呑んだ。
ちょうど、帝国の白月宮殿とサンクランドのソルエスクード城の中間のような建物といえばいいだろうか。重厚な石造りの建物と、豪奢な内装とが両立された見事なデザイン。戦の防御拠点としての機能を維持しつつも、大貴族の風格を失わない、そんな建物だった。
敷き詰められた赤い絨毯、高い天井からは豪奢なシャンデリアが吊るされていた。黄金に飾られた太い柱を眺めながら、ミーアは唸る。
――黄金の柱を見ると、なんだか、嫌なものを想像してしまいますわね。ううむ……。
「どうかなさいましたか? ミーア姫殿下?」
不思議そうに首を傾げたのはイスカーシャだった。慌てて首を振りつつ、ミーアは微笑んだ。
「あ、ああ、いいえ……なんでもありませんわ。これは、サンクランドの建築とは少し違った感じがしますわね。国境だから、他国の建築技法が取り入れられているのかしら?」
「ご明察です。ヴェールガの建築技法が取り入れられておりまして。国の守りを担う戦城の顔と、国外の客人を招き入れる迎賓館としての顔を持ち合わせた建物、というのを設計思想として取り入れたのだと伝えられています」
「なるほど。国境を守る領主の城として、理に適った作りになっているということですわね」
イスカーシャは穏やかな笑みを浮かべたまま、そっと目を閉じ、
「客人を礼を持ちて、敵を剣を持ちて、共にもてなせ。初代オリエンス家当主、ナホルシアの言葉です」
「ナホルシア……? はて?」
前を歩く女性に目を向ければ、堂々たる女大公は小さく肩をすくめてみせた。
「私は、誇り高き初代と同じ名をいただいてしまったのです。ミーア姫殿下」
それから、彼女は、ふと立ち止まる。
「晩餐会までは少し時間がございますので、客室でお休みいただこうかと思っておりましたが……。せっかくですし、我がオリエンス家の歴史をご覧になられますか?」
そう言われ、ミーアの脳裏に浮かんだのは、オリエンス家の総力を挙げて作ったフルコースメニューであった。
溢れるご馳走を夢想しつつ、軽くお腹をさすって、腹の虫に具合を確認。領都の城下町で買い食いは控えたため、程よくお腹は減っているが、馬車の中で食べたクッキーが若干残っている模様。
――大公家の大豪華晩餐会に臨むには、いささか不足かもしれませんわ。客室のベッドのうえで精神を統一して晩餐会に臨むのも良いですが、ここはもう少し歩いて、お腹を空かせたほうがむしろ美味しく食べられるかも……。それに、大公家に誇りを抱いているご様子のナホルシアさんですから、ここで、ご機嫌を取っておくと一品デザートが増えたりするかもしれませんわ!
超加速した思考が組みあがるまで、わずか瞬き二つほど。それから、ミーアはニッコリと笑みを浮かべて言った。
「お心遣い感謝いたしますわ。せっかくですし、お願いしてもよろしいかしら?」
そうして案内された部屋は、なかなかに壮観な部屋だった。
壁いっぱいに、何枚もの肖像画が掲げられた、まさに、オリエンス家の歴史が凝縮されたような部屋だった。
「これが、オリエンス大公家歴代ご当主の?」
立派な肖像画を見上げながら、ミーアが問えば……。
「……ええ。オリエンス家の歴代当主です。辺境伯家の……」
ナホルシアが、若干、苦い顔で答える。
――あら? 大公家ではありませんのね? しかし、辺境伯……? なんだか、辺土伯と響きが似たような爵位ですわね。
一瞬、そんなことを思うも、まぁ、別に覚えておかなくってもいいかなー、っと早々に記憶の彼方へ放り投げてしまうミーアである。
そうして、肖像画を眺めながら部屋の端へ。
当主は男性が多いが、時折、女性も交じっている。サンクランドでは女性当主も普通なのだろうか? と思いつつ、もっとも端に掲げられた肖像画のところまでやってきた。
それは、他のものより一回り大きな肖像画だった。
凛々しい表情を浮かべ、鎧を着こんだ女性、恐らくは初代辺境女伯……。初代当主ナホルシアは、現ナホルシアとどこか似た風貌の人だった。
「この方が、初代ナホルシアさまですの?」
「ええ。初代国王陛下と共に、我がサンクランドの礎を築いた方です。私を女傑と呼ぶ方もいらっしゃいますけど、初代ナホルシアさまには到底かなわない。この方は剣で百の賊を斬り、矢で百の賊を射抜いた方ですから」
どこか誇らしげに説明してくれるナホルシア。その横顔を眺めつつ、ミーアは……ちょっぴり、震える。
――それは……ディオンさんのようですわね。なるほど、ナホルシアさんの身に纏う獅子みは、ご先祖様から引き継がれているものなのかしら……?
「? どうかなさいまして?」
不思議そうに見つめるナホルシアに笑みを返し……。
「お、おほほ。なんでもありませんわ。なるほど、この方のお名前を継がれたのですわね。それは相当な重圧だったのではないかしら?」
その問いかけに、ナホルシアは少しだけ考えた様子だったが……。
「……ええ、ですが、どちらかといえば誇りに思う気持ちのほうが強かったですね」
曇りのない、真っ直ぐな瞳で肖像画を仰ぎ見る。
「初代ナホルシアさまだけではありません。どの当主さまも、私にとっては誇りであり、決して名を汚してはならないという重圧でもあります。けれど、その重圧と誇りが、私に女大公としての振る舞いをさせてくれている、と、そのように思います」
堂々と胸を張るナホルシアに、ミーアは深々と頷き、
「そのように尊敬できるご先祖をお持ちで、実に……実にうらやましいですわ!」
やたらと実感のこもった、重たーいつぶやきを漏らすのは、大変はた迷惑なご先祖を持つ帝国皇女ミーアなのであった。




