第一話 帝国の叡智の優雅なる春休み
かの帝国の叡智、ミーア・ルーナ・ティアムーンは優雅なる春休みを、セントノエル学園で過ごしていた。
女子寮の自室のベッドの上で優雅に、実に優雅に……ゴロゴロしていた。
広いベッドを確認するかのようにゴロゴロ……、ギリギリ落ちるかどうかというところまで行き、今度は反対側にゴロゴロ……。
枕を胸に抱いて、ゴロゴロゴロ……。
実に優雅……別の言い方をするなら、
「あー、ひまですわー」
自堕落で、不毛な時間を過ごしていた。
本来は、こんなはずではなかったのだ。学校が始まるまでは、帝国内でのんびり遊び倒す予定だったのだ。にもかかわらず、彼女がセントノエルにいるのには、ちょっとした事情があった。
レムノ王国から無事帰還を果たしたミーアは、そのまま本国へは帰らず、セントノエルに向かった。そして、冬休みに入るまで一度も帰らなかったのだが……。
それが……とてもまずかった。
帝国に帰ったミーアを迎えたのは、涙にむせぶ皇帝だった。
「おお、ミーア、ミーアよ! 我が愛しの娘よ! いったい帝国に帰らずになにをやっていたのだ!?」
帰ってきたミーアを思い切り抱きしめた皇帝は、無茶をしたミーアにお仕置きを命じたのだ。
ミーアのプライドをずたずたに傷つける、きわめて屈辱的なお仕置きを。
すなわち!
「次の冬が来るまで、わしのことをパパと呼びなさい。それ以外の呼び方は許さぬ」
実に……実に無情なお達しだった。
「そっ、そんな、それはっ! おっ、お父様っ!」
「パパだ。パパ。それ以外は返事せぬからなっ!」
プイっと顔を背ける皇帝を、光の宿らない陶製人形のような瞳で見つめて、ミーアはお腹をさすった。
――ああ、なんか、お腹痛くなってきましたわ。
しかも、いざ「パパ」と呼んでやると、ご機嫌になった皇帝は、事あるごとにミーアのもとに通うようになった。
……こう……、ウザくてしょうがなかった。
微妙なお年頃のミーアなのである。
ちなみに、ルードヴィッヒもディオンもティオーナもアンヌも、レムノ王国の件ではお咎めなしだった。というか、むしろ暴走したミーアを守った者として、皇帝陛下直々のお褒めをいただいたほどだった。
そういうことにしておかないと、四人が処刑されてしまいかねなかったから仕方ないとはいえ……、自分だけお仕置きされることも微妙に不満なミーアである。
そんなわけで散々な冬休みを経験したミーアは、春休みはあえて帝国に帰らずに、セントノエルに残ることを選択したのだ。
それはいいのだが……。
「あー、ひま、ひますぎますわ。クロエもいませんし、アベルも……」
ミーアと遊んでくれる友だちは、現在、学園には誰もいないのだ。
まぁ、ラフィーナは普通にいるのだが……、ミーアとしては仲良く遊ぼうという気にはならない。誘いを受けたら行ってあげてもいいけれど、自分から誘おうとは思わないのである。
結果、ミーアはアンヌといっしょに島内の町に出てスィーツを食べるか、ダラダラ寝るか……、時々、乗馬するぐらいしかやることがなかった。
大変、自堕落な生活だった。
「ミーアさま……」
部屋に戻ってきたアンヌは、そんなダラけきっている主に対して、呆れたような、心底から失望したような視線を向け………………てはいなかった。
むしろ、その視線はどこか優しい。
それはまるで、可愛い妹に向けるような、慈しみに満ちたものだった。
最近、アンヌは気づいたことがあった。
ミーアは……、勉強があまり好きではない。
先日、学年末の試験勉強を手伝った時、ものすごく苦労していたのを、アンヌはしっかり見ていた。涙目になりつつ必死に勉強したミーアは、見事、学年トップ二〇にランクインした。快挙である!
ちなみに、ミーアの学年は……八十名弱である。
まぁ、それでも快挙ではあるだろう。上位四分の一に入ることなど、前の時間軸では考えられないことだ。
それはともかく試験直前になって慌てて勉強したり、そこで力を使い果たしてダラダラしている姿が、なんだか弟たちみたいで、ちょっぴり微笑ましく感じてしまったのだ。
――ミーアさま、こういう試験みたいなお勉強は苦手なのね……。
そして、それを知ったからと言って、アンヌの尊敬は揺るぎもしなかった。いや、むしろ……
――うちの弟たちと変わらないぐらいの若さで……、あの小さな肩には重い責任が乗っているのね……。
そんなことを考えて、胸が熱くなった。
自らの敬愛する主の聡明さが生来のものではなく、努力によって培われたものだと知って……。そして、そんな主から頼られているのだと知って……。
なんだか、こみ上げてくるものがあったのだ。だから!
――私が、しっかりとお支えして差しあげないと。
こっそりと、そんな新年の目標を立ててしまったアンヌである。
――緩めるところは緩めて、きちんとしていただく時にはそうしていただく。ちゃんと言えばわかってくださる方だから、私がきちんと考えて、ミーアさまのご負担を軽くしてあげるんだ。
すっかり、ミーアの秘書としての役割を自任するようになったアンヌである。
そんなわけで、学校が始まるまでの休みの間は、せめてのんびりしてもらおうと思っていたアンヌだったが……今日のところはそうも言っていられない事情があった。
「ミーアさま」
ベッドのわきに歩み寄ると、ミーアがぽやーっとした目で見上げてくる。
「ああ、アンヌ、ちょうどよいところに来ましたわ。そこに座ってなんぞ子守歌でも……」
「残念ですが、本日のお昼寝はお控えください。ラフィーナさまから、午後のお茶のお誘いです」
「あら? ラフィーナさまが? でも、確かお茶会でしたら昨日も……」
「本日、アベル殿下がこちらに到着されるらしく、ごいっしょに、とのことです」
「まぁっ!」
途端に、ミーアはぱぁあっと笑みを輝かせた。
「もっと後になるかと思ってましたのに、もしや、わたくしが学園に残ったのを知って、予定を早めてくださったのかしら?」
すちゃっとベッドの上に身を起こすと、きびきびとした声で言い放つ。
「アンヌ、ドレスを選んで。急ぎますわよ!」
それは、帝国の叡智に相応しい、凛々しい態度だった。
もっとも……首から下に身に着けていたのは、くしゃくしゃのシワのついた寝間着という、いささか格好のつかないものではあったのだが……。
以上、第二部冒頭部でした。ここから始まるミーア姫二年生の物語を、お楽しみいただけると嬉しいです。
来週はお休みで、次回は21日からの投稿を目指します。
では、また!