第百話 ……モク
サンクランド式温室に驚くミーアたちを見て、ロタリアはちょっとした優越感を味わっていた。
自身の誇りとする母、ナホルシアの発明品が褒められているのは、実になんとも誇らしかった。
「すごい……。でも、これがあったら、セロの研究は……」
不意のつぶやき。目を向ければ、ティオーナ・ルドルフォンが寂しげな顔をしていた。
それはそうだろうな……とロタリアは思う。
自分の弟の成したことが無意味になってしまうかもしれないのだ。母の功績に誇りを感じるロタリアだからこそ、その気持ちはよくわかった。
もしも、この温室が普及すれば従来通りの小麦でも事足りてしまう。寒さに強く、調理法が独特の小麦を普及させる理由がなくなってしまう、と……。ティオーナがそう考えたとしても無理はないだろう。
――でも、たぶん、そうはならない。
そう思った刹那……、
「いいえ……」
まるで、ロタリアの内心を読んだかのように、ミーアが首を振った。
「恐らくですけど、これでは高すぎますわ」
そうして出た言葉は、まさに、真理の一側面を突いたものだった。
――やっぱり、ミーア姫殿下は温室の問題点を正確に捉えておられるのか……。
ロタリアは思わず瞠目する。
そうなのだ。確かに、この温室は高い。ガラス細工が盛んなオリエンス領で建てるならばいざ知らず、他国で建てるのは、実際、かなり難しいだろう。
だから、小麦の栽培に限って言えば、寒さに強い小麦が普及して、役目を終えるのは、この温室のほうなのだ。
――でも、それは、この温室のすごさを否定するものでもない。
「この温室を小麦に使うのはもったいないですわ」
またしても、ロタリアの想いを見越しているかのように、ミーアは言った。
「小麦の確保ができるのであれば、この温室を別のことに使うほうがよろしいのではないかしら? 例えば、キノコの栽培は一案ですけど、それだけでなく、冬にも夏の農作物を食べられる、なんてことにもなるかもしれませんわ。そうなれば、一年中、いろいろな料理が食べられますし、それはそれは素敵なことではありませんこと?」
上機嫌に笑うミーアに、ロタリアは改めて驚かされる。
――サンクランド式温室は、あくまでも寒冷期対策のものだった。なのに、ミーア姫殿下は、もうすでに別のことに使おうとなさっている……っ!
キノコ栽培については、あくまでも話の流れで出てきただけだと思っていた。ちょっとした思い付きに過ぎないのだ、と。
しかし、ミーアはより先を行くアイデアを口にしている。
――ミーア二号小麦によって変化していく世界の形を正確に推測しているということ? そして、その中でより効率的に技術を用いていくことをすでに検討している? でも、そんなことできるの?
愕然とするロタリアを放って、ミーアは言った。
「それを含めて、聖ミーア学園で研究の余地がありそうですわね。ふむ、温室の研究のために、まずは、帝国のガラス職人を招聘して……ガルヴ学長にもお願いしておけばよろしいかしら、ねぇ、ルードヴィッヒ」
「かしこまりました。急ぎ手配いたします」
「聖ミーア学園……?」
「ええ、我が国の学園ですわ。幸いなことに、ある程度、わたくしも口出しができる学校で……」
などと説明してくれるミーア。当たり前のようにそう語るミーアに、ロタリアは思わず疑問を覚える。
「あの、お聞きしてもよろしいでしょうか? ミーア姫殿下」
「あら、なんですの?」
まるで、師に教えを乞うような、熱心な視線をミーアに向け、ロタリアは言う。
「温室の情報を広く多くの人たちに教えようということでしょうか?」
実のところ、ロタリアは温室の技術を他国に渡してしまうことのメリットがよくわかっていなかった。
技術の独占には価値がある。誰もがそれを使えるようになってしまっては、開発した側に旨みが少ないのではないか?
――もちろん、大陸の民全体を思ってのことだとはわかっているけど……。
それでもやっぱり、パライナ祭のやり方は納得しがたかった。あれは、持っている者が一方的に損をする仕組みだ。努力して生み出したものを、努力していない他国に披露するなんて、そんなのは馬鹿げている。
もしも、そんな批判をぶつけられた時、ロタリアは有効な反論を返すことができないだろうと思っていた。
だからこそ、聞いてみたくなったのだ。
他ならぬ、パライナ祭の提案者の一人である帝国の叡智、ミーア・ルーナ・ティアムーンに。
もちろん、温室の技術に関しては、パライナ祭によって明らかになるものだ。ミーアが、自分だけの独占技術として帝国に持ち帰ることはできないのだし、学園の生徒たちに教えてしまっても構わないものではある。
しかし、先ほどのミーアの様子を見ていると、なんとなくだが、他のことに関しても、他人に情報を広めることに躊躇いが無いように思えたのだ。
ロタリアの質問に、ミーアは目を丸くしていたが……。
「それ、は……当然のことですわね。だって、わたくし一人が学んでも、それを独占していたら、わたくしだけが頭を使うことになる。そんなの疲れてしまいますわ」
「……え?」
思わずこぼれたつぶやきに、ミーアはチラリとこちらを見て……そこで、一瞬、黙ってから……。
「……無論、冗談ですわよ? 冗談」
ニッコリ笑みを浮かべてみせた。なるほど、冗談か、と納得のロタリアに、ミーアは悪戯っぽくウインクして、
「ですけど、これだけは言っておきたいですわ。わたくしは、別に、温室の専門家ではございませんのよ?」
「え、ええと……?」
なにを当たり前のことを、と戸惑うロタリアに、ミーアは続ける。
「それに新種の小麦の専門家でもない。それを発見することはできないし、自分がその発見を一番上手く使えるとも思いませんの。もっと上手く知識を、技術を、使える方だっていらっしゃるでしょうし、画期的な使い方を思いつく方だっているかもしれない。だというのに、それをわたくしが独占してしまうだなんて、もったいない話ですし、怖い話でもありますわ」
「怖い、ですか?」
「ええ。そうですわ。だって、それを自分しか知らないということは、それをどのように使うかの責任はすべて自分の肩にかかってくることになりますもの。その知識があれば助けられる方がいたとして……わたくしが失敗してしまったら? それでその方を助けられないというのは、とても怖いことですわ。そうは思いませんかしら?」
わざとらしく自らの肩を抱き、ぶるるっと震えてみせる。
「もちろん、知識によるとは思いますけど……それでも、誰かを助けるためのものであるなら、良い知識であるのなら、できるだけみなが知っておいたほうが良いと思いますの。だって、多くの方が知恵を絞って出した結論が、わたくし一人が出した結論より劣るなんてことは決してないと思いますもの。だからこそ、より多くの方が考えられるように、良い知識はどんどん広め、次世代に教育を施していくことが重要だと思っておりますわ」
その言葉は……ロタリアの中に響いた。
――ああ……そう、か……。私が得た知識を……生かす方法……。勉強した意味……。
ロタリアの中、ずっとくすぶっている想いがあった。
物心ついた時から付きまとう実感。自分には姉、イスカーシャほどの才能はない。それが悔しくて、努力して、懸命に知識を身に付けた。母ナホルシアから吸収しようとしたし、姉と同じ物を読むようにした。
だけど……それを生かすことはできないだろうことは、自分が一番よくわかっていたのだ。
――難しい本なんか読んでも意味なんかないって思ってた。だけど……。
胸の中に生まれた想いに戸惑うことしかできないロタリアだった。




