第九十九話 ミーア姫、サンクランド式温室を目の当たりにする
都市長の館で一泊し、体の疲れを癒した後、ミーアたち一行は領都「サリーデル」に向けて出発した。
せっかく案内役のロタリアと合流したということで、ミーアは彼女の馬車に同乗することになった。ちなみに、シオンも同じ馬車である。それはまぁ、良いとして……。なぜだろう、キースウッドがどうしてもご一緒に! と乗り込んできていた。なぜだろう……? 不思議なことである。
「ああ、見えてきました。あれが、オリエンス領で最も大きな森、石転の森です」
ロタリアの案内を得て、ミーアはオリエンス領の知識を蓄えていった。オリエンス領の……というか、領内の森のというほうが正しいのだが……。
「なるほど、あの森が。確かに、見渡す限りの深い森といった感じですわね。ちなみに、どのような獲物が取れるのかしら?」
「そうですね。鹿猟をすることがあると聞きますが……」
「ほう、鹿に……」
うっかり『鹿肉美味しそう!』とつぶやきそうになり、小さく咳払い。どこからランプロン伯に漏れるとも限らない。獲物が可哀想と言っても不思議はないように、憐み深い姫殿下を装っておかなければならないのだ。
「ちなみに、果物とか野草とか……キノコとかはいかがかしら?」
「そうですね。あまり詳しくはないのですが……収穫物的には……」
頬に手を当て、小さく首を傾げるロタリア。その顔を見ながら、ミーアはなんとなく思う。
――自領の収穫物をきちんと把握しているわけですわね。感心なことですけど……しかし、こんなに食材に詳しいとなると、もしかして、お料理なんかもできたりするのかしら?
王侯貴族のご令嬢は料理ができないのが一般的だが、もちろん例外もある。
クラリッサ姫やミーア、さらにレティーツィアなど料理ができる者、趣味としている者もいる。
もしも、ロタリアが料理ができるのであれば、ティオーナの料理の腕前を見せつけることで、シオンとの縁談を諦めさせるのは、いささか難しいかもしれない。
などとミーアが思い悩んでいると……。
「ほほう、なるほどなるほど。それで、その森にある主な毒キノコとその見た目は?」
鋭い質問を飛ばしたのは、キースウッドだった!
実に、熱心に話を聞き、メモを取っている。
「そうですね。注意すべきは、この紅天使茸ですね。赤天使茸と見分けがつきづらいですし、食べると目が回ってしまうと聞きます」
「なるほど。見分けがつきづらいのは厄介ですね」
熱心に頷くキースウッドを見て、ミーアは感動していた。
――ほほう、なかなかに感心ですわね、キースウッドさん。あんなに熱心に……。ふふふ、以前、自分に声をかけずにキノコ狩りに行くなんてとんでもない、なんて言ってましたけど、やはりキノコ狩りが大好きなんですわね。これは、きちんと声をかけて差し上げないといけませんわね。
こんなにキースウッドが乗り気なのであれば、いっそのこと、サンクランドと合同で定期的にキノコ狩り交流会を開くのも良いかもしれない。
帝国側の担当はミーア自身が務めるのでも良いし、ミーア学園から誰か見繕っても良い。そして、サンクランド側はもちろんキースウッドを推薦する。
――雅なるキノコ狩り遊びを貴族の間で流行らせてあげますわ!
ミーアが心の中で、ちょっぴりオソロシイことを考えていることなど露知らず、近い将来に到来するであろう危機に備えるキースウッドである。
危機に備えるから危機がやってくるのか、危機がやってくるから危機に備えるのか……。ある種、哲学的とも言える構造が、そこに生じつつあるのだが……。まぁ、どうでもいいことなのである。
さて、街道を進むことしばし、ミーアの視界に見覚えのないものが入ってきた。
「あら……あれは?」
視界の外れ、キラキラと光るもの。目を凝らすと、そこには変わったものが立っていた。
さながら、水晶でできた小屋といった感じの建物群。規模としてはちょっとした集落ぐらいはあるだろうか。まるで、夢の中に現れる場所のような、どこか幻想的な風景が、そこに広がっていた。
「あれがサンクランド式温室です。近くでご覧になりますか?」
「ええ、是非お願いしたいですわ」
ロタリアの提案に従い、ミーアは馬車を降りた。
近くまで行くと、それは木の枠に大きめのガラスがいくつもはめ込まれた小屋だった。壁や屋根がガラスでできた小屋とでも言えばいいだろうか。
「これが、サンクランド式温室……」
物珍しげに、ミーアは顔を近づける。
「こちらへどうぞ。中に入ってみましょう」
誘われるままに、一行は温室内へ。
ドアを開けた先は狭い部屋になっていた。さらに、その先のドアを開けると、そこには青々とした作物が植わっていた。
「おお、これはすごいですわ!」
驚いたのは気温だ。真冬の盛りだというのに、中は夏から秋にかけてぐらいの温かさだった。
辺りをキョロキョロ見回しつつ、ミーアは思わずため息を吐く。
「不思議ですわね。室内はこんなにも温かくなりますのね」
「はい。日の恵みを中に通しつつ、温もりが外に逃げないような仕掛けになっています」
「火を焚いているわけでもないのに、実に不思議ですわ」
っと、ミーアが後ろを振り返ると……。
「なるほど……これは……」
ルードヴィッヒが思わずといった様子で眼鏡を押し上げていた。懐から取り出したメモになにがしか書き込んでいる。
――ふむ……ルードヴィッヒを連れてきて正解でしたわね。
腕組みしつつ、ミーアはうむうむっと頷く。っと、
「すごい……ですね。これ」
ティオーナも驚いた顔で辺りを見回していた。それから、その表情がふと曇り……。
「でも、これがあったら、セロの研究は……」
なぁんて、ちょっぴり悲しげな顔をしていた。今、ティオーナに気落ちされるのは、あまり好ましくはないし、そもそも誤解がありそうだったので、ミーアは口を開いた。
「ティオーナさん、誤解しているようですけど……セロの小麦が大陸各国を救うものであるというのは動かしがたい事実ですわ」
自信を持って言い切る。なぜなら、ミーアは、事実として知っているからだ。
前の時間軸において大陸各国を救ったのは、サンクランド式温室ではなく、セロ・ルドルフォンの見つけた寒さに強い小麦だったのだ。
そして、その理由も、ミーアにはわかっている。
「でも、こんなふうに周りを温かくできるのであれば……」
と首をひねるティオーナに、ミーアは指を振り振り、得意げに……。
「恐らくですけど……これでは、高すぎますわ」
特に、何枚も使われたガラスは、実に高そうだ。
そうなのだ、ミーアは知っているのだ。
小麦は……高級品であってはならないということを。
一部に高級品の小麦があるのは良くても、すべての小麦、すなわち主食全体が高級品になってはいけないのだ。
城が建つほどの金額で小麦一袋が取引されるようなことがあってはならない。なぜなら、それは、日々、人々を生かすために必要な物であり、飢饉を起こさぬために不可欠なもの、人々を革命に走らせないための重要な要素であるからだ!
「民の腹を十分に満たす量の小麦を育てるために、この温室がいくつ必要かわかりませんわ。仮に、この温室が安く建てられ、なおかつ、畑でするよりも労力も少なく、安く育てられるというのであればまだしも、そうでないならば、セロの小麦は十分に有用ですわ」
従来通りの育て方で、寒冷期を乗り切れるセロの小麦は、やはり画期的なのだ。
それゆえに、ミーアは考えるのだ。小麦の代わりに、なにか別のものを温室で育てられないか? と。
「もしも、寒さに強い小麦があるのなら、この温室を小麦に使うのはもったいないですわ。その分、この温室を別のことに使うほうがよろしいのではないかしら?」
頬に指を当て、ミーアは小首を傾げる。
「例えば、キノコの栽培は一案ですけど、それだけでなく、冬にも夏の農作物を食べられる、なんてことにもなるかもしれませんわ。そうなれば、一年中、いろいろな料理が食べられますし、それは素敵なことではありませんの?」
一年間、食べたい時に食べたい物が食べられること。それは、大変幸せなことだ。
――季節のケーキを、季節を問わず食べる……というのは、いささかありがたみが減ってしまうかもしれませんけど……。
ともあれ、である。
「いずれにせよ、これは聖ミーア学園でも研究の余地がありそうですわね。温室の研究のために、まずは、帝国のガラス職人を招聘して……ガルヴ学長にもお願いしておけばよろしいかしら、ねぇ、ルードヴィッヒ」
「かしこまりました。急ぎ手配したく思います」
「聖ミーア学園……?」
首を傾げるロタリアに、ミーアはニッコリ笑みを浮かべる。
「ええ。我が国の学園ですわ。幸いなことに、ある程度、わたくしも口出しができる学校ですから、帝国でもこの温室を作ることができるようになるかもしれませんわ」
それを聞いたロタリアは、何事か考え込んだ様子だったが……。
「あの、お聞きしてもよろしいでしょうか? ミーア姫殿下」
生真面目な口調で尋ねてきた。




