第九十八話 ロタリア、実は怒ってた!
ロタリア・ソール・オリエンスは苛立っていた。否、むしろ憤慨していた!
それはなぜか……? 無論、シオンがなかなか返事をよこさなかったからである!
ロタリアは、オリエンス家の娘として、いずれ政略結婚するであろうことを、幼い頃から教えられていた。覚悟もしていた。
優秀な姉と自分との差には気付いていたし、姉のほうが家督を継ぐであろうことは、ちゃんと理解できていた。
だから、いずれ自分がどこかの貴族のもとに嫁ぐことは、常に頭の片隅にあったのだ。
無論、ロタリアとて年頃の娘。結婚というものに対してそれなりに思うところはあるし、人並みに憧れもある。それでも、もろもろの色々な葛藤をすべて呑み込んで、心の準備を整えていたのだ。なのに……。
――未だに返事をすることなく、こんなふうに訪ねて来るとか、どういうことですかっ!?
これである!
そもそも、ロタリアとシオンとの出会いは、今から十年前のこと。姉と共に、初めて連れていかれたサンクランドの王城でのことだった。
「はじめまして。イスカーシャ嬢、ロタリア嬢」
可愛らしい笑みを浮かべて挨拶してくれた王子と、初めて出会った日のことを、ロタリアは今でも鮮明に……鮮明、に……は思い出すことはできなかった!
というか、実はよく覚えていなかった!
後で姉から聞かされた話で記憶を補完してはいるものの、実際には、まーるで覚えてなかったのだ!
言い訳をさせてもらえるなら、それどころではなかったのだ。
優秀な姉、イスカーシャと自分は違う。
誇り高き女大公ナホルシアの娘として、きちんと振る舞えているのか。常に気になるし、気にしていなければ、なにかボロが出てしまうだろう。
というわけで、シオンだけでなく、その日、出会った人たちの印象がほとんど残っていないわけで……。
まぁ、強いて言えば、ロタリアを気遣って優しく話しかけてくれたエイブラム国王陛下のことは、ちょっぴり覚えていたりするのだが……あくまでもそれだけである。別に年上のおじさんが好みとか……、全然、そういう話ではないのである!
それ以来、王都で、オリエンス大公領で、シオンと顔を合わす機会は何度もあった。
ダンスパートナーを務めたこともある。
エスコートしてもらって王都を歩いたこともある。
イスカーシャとロタリアの姉妹は、シオンの幼馴染とも呼べる関係であり、恐らくは最も親しい令嬢と言うことができるだろう。
だから……というわけでもないのだが、ロタリアはシオンに対して、憧れを抱いたことはない。ときめいたことも……ない!
そもそも、ロタリアにとってシオンというのは近すぎる異性、感覚としては兄か弟。特に恋心を抱く対象ではないのだ。
……ミーハーベルなどからすると、到底信じられないことではあったが、そうなのだ。
ともあれ、そんな相手ではあっても、まぁ、政略結婚ならば仕方ないかぁ……と気持ちに整理をつけ、準備をしていたというのに……!
していたと、いうのにっ!
いつまでもいつまでも返事を保留にするというこの仕打ちである!
若干、こう……イライライラァッ! としても無理からぬことなわけで……。
そんなロタリアにナホルシアは言った。
「ミーア姫殿下を案内がてら、シオン王子に催促してきなさい」
っと。
幸いなことに、ミーア姫殿下はサンクランド式温室の視察に来るのだという。今度のパライナ祭のこともあるし、自分が案内を担当することは、おかしいことではないだろう。
ということで、シオンに対する想いはあれど、しっかりと気持ちを切り替え、礼節を保ってミーアたち一行を出迎えにきたのだ。
――それにしても、皇女ミーアは、お母さまが認めた人物だから気を付けろって、カーシャが言ってたけど……本当かしら?
ミーアを観察しつつ、首を傾げる。見たところ、特別なものはなにも感じないが……。
――領都に着くまでしっかり観察しておこう。
それほどの人物ならば、学ぶべきところもあるだろう。聞くところによると、帝国内で素晴らしい改革を成しているみたいだし、母ナホルシアや、あのエイブラム陛下まで認める人物であるならば、きっと素晴らしい人物に違いない。
ニッコリ笑顔で明るく挨拶。
その後、シオンへの挨拶には少々棘が混じってしまうのは、まぁ、ご愛嬌だろう。
――お母さまからは、きちんと縁談の話を詰めるように言われてるし、後で話をしないと……。まったく、面倒くさい!
なんて本音は、あまり表にポロリしないよう、きちんと我慢、我慢! その態度は、オリエンスの娘に相応しい、完全な礼節を保ったものと言えた。
さらに、続けてミーアの同行者にも挨拶をする。
「ご機嫌よう、シュトリナ・エトワ・イエロームーンと申します」
はちみつ色の髪を揺らし、可憐な笑みを浮かべる少女。
イエロームーン公爵家の名前は知っている。帝国の四大公爵家だ。オリエンス家は大公家とはいえ、皇帝の血族たる星持ち公爵家とは同格と言えるだろう。丁重に扱うべき相手だ。
心の中で判断しつつ、その隣の少女に視線を移す。
ミーアベルと名乗った少女。その面影には、どこかミーアに通ずるものがあった。
――家名がないということは貴族ではない? でも、ミーア姫殿下に近い名前で、このお顔だと、もしかすると、皇帝陛下のご落胤だったり……?
さすがに、確認のしようもないことではあるが、イエロームーン公爵令嬢とも親しくしている様子、念のため、この娘にも丁重な扱いが必要かもしれないと判断。
最後に、栗色の髪の少女に目を移す。
「ご機嫌麗しゅう、ティオーナ・ルドルフォンと申します。ロタリアさま」
「ロタリア・ソール・オリエンスです」
礼を返しつつ、考える。
――帝国貴族にルドルフォンと言う名はあったかな? それとも他の国か……。
頭に帝国の地図を思い浮かべようとしていると……。
「ティアムーン帝国南部、ルドルフォン辺土伯の長女です」
ロタリアの表情を読み取ったのか、ティオーナが補足する。
「ルドルフォン……辺土伯?」
聞き慣れぬ爵位に首を傾げるロタリア。
「ルドルフォン家は、わたくしが頼りとする帝国国境付近を守る領主ですわ。ロタリアさま」
ミーアが横から口を挟んだ。
「彼女の弟が発見した小麦によって、帝国は救われたと言っても過言ではございませんわ」
「ああ、噂に聞く……」
ミーア二号小麦の話はロタリアも聞いていた。サンクランド式温室とは違うやり方で飢饉を乗り切ろうとしている帝国に、感心したものだったが……。
「それに、万が一わたくしが悪いことをしたら、革命を起こして咎めてくれる、怖い家柄でもございますわ」
冗談めかした口調でミーアが付け加える。
「みっ、ミーアさま、そんなことしませんから!」
慌てた様子で言うティオーナに、ミーアは悪戯っぽく微笑んで、
「ええ、無論ですわ。そうならないように、わたくしもきちんと振る舞いますし」
などというやりとりを聞いて、納得する。
――なるほど。我がオリエンス家と同じような役割を与えられている家柄ということかしら。となると、この人も丁重に扱わないと……。
そんなことを考えるロタリアだった。




