第九十六話 ミーア姫、うっかり魔界を出現させかける
ミーアたちを乗せた馬車は、オリエンス大公領の領境の都市までやってきていた。旅程としては、王都ソルサリエンテから延びる巡礼街道を南下、その後、東進し、オリエンス領西側から領内に入る形である。
王都ほどではないものの、立派な城壁を持った町に、ミーアは感心の息を吐く。
「ほほう、これはなかなかの規模ですわね」
「オリエンス大公家は、サンクランド南方の国境の護り手ですから。領内の町にもそれなりの防御機能を敷設した……といったところでしょうか」
ルードヴィッヒはそう言ってから、わずかばかり眉をひそめる。
どうも、自分で言った言葉が、あまりしっくりこなかったようだ。
その気持ちは、ミーアにも理解できた。
――サンクランドの南といえば、騎馬王国とヴェールガ公国があるばかり……。両国ともに侵略を企図するような国ではありませんわ。まぁ、騎馬王国は一部が騎馬盗賊化することも無いではないのかもしれませんけど……。
それでも、これだけ町の防備を固める必要があるのだろうか……?
「もしかすると……これは、外の者に対するだけでなく、内の者に対してのものでもあるのかもしれませんわね……」
ミーアの言葉に、ルードヴィッヒはハッとした顔をする。
「なるほど……ということは、オリエンス大公領の役割は……サンクランドの正義を担保するための……」
さすがミーアさまだなぁ、帝国の叡智すごいなぁ! っと、ルードヴィッヒが眼鏡を輝かせる一方、ミーアは別のことを考えていた。すなわち……。
――これは外敵に備えるだけでなく、内部の……革命軍に備えてのものなのではないかしら!? 革命が起きた時の備えだと考えれば、すっきりしますわ!
……小心者の戦略は、非常事態に備えるのが常なのである。
革命軍に狙われ、王都を落ち延びた先に、このような城壁の町が待っているのは実に心強い話である。
――これは、見習うべき点があるかもしれませんわね。
そうこうしている内に、馬車は町の中央、都市長の屋敷の前で停まる。
馬車を降り、その建物を見たミーアは、おお! と感心の息を吐く。
屋敷は簡易ながらも城といった様相を呈していた。城壁と見張り台が備わっており、門もなかなかに立派な作りになっている。破るのは、なかなか大変そうだ。
――実に素晴らしいですわ。ここまで逃げてくれば助かるかも……という安心感がございますわ。ふぅむ、やはり、わたくしも、帝国内にそういった場所を用意しておくべきかしら……? 白月宮殿はあの革命時に耐え切れませんでしたし、どこか別の場所に……。わたくしの自由になる場所だと、直轄領、皇女の町あたりということになるのかしら……? あそこは森の近くですし、潜伏するにはもってこいですわ。食べ物だって、森でキノコを採ってくればいいですし、聖ミーア学園には小麦畑がありますわ! ルドルフォン領も近いことですし……なかなか良い位置かもしれませんわね。
突如として、ミーアの脳内に、皇女の町の城塞化計画が出現した!
それは、極めて危険な着想であった。
なにしろ、あそこは魔窟である。魔窟が魔境と化し、でっかいミーア巨神像が守る魔界と化すことだって、十二分に考えられるわけで……。
ミーアのつぶやきを誰も聞いていなかったのが、幸いといったところだろうか。
「ミーア姫殿下、少しよろしいでしょうか?」
そんなミーアに駆け寄って来る者がいた。
「あら、キースウッドさん、どうかなさいましたの?」
顔を上げるとキースウッドが、ちょっぴり困った顔をしていた。
「実は、オリエンス大公領より、出迎えの者が来ているとのことなのですが……」
「まぁ、そのようにお気遣いいただかなくともよろしいですのに……。ランプロン伯も同行してくださっておりますし……」
「それが、どうやら、オリエンスの姫君……大公家の次女、ロタリアさまがいらっしゃっているとのことなのですが……」
その名を聞いた時、ティオーナがピクンッと肩を震わせたのがわかった。
――あら、ティオーナさんのこの反応……ふふふ、やはり意識せざるを得ませんわよね。
あの夜の、シオンとのことを思い出し、ミーアもまた、緊張を禁じ得ないところであった。
ティオーナとシオンの恋愛劇においてライバルを務める存在、そして、レムノ王国の女学校の講師候補でもある人。
そんなロタリア・ソール・オリエンスが、わざわざ出迎えにきてくれたというのだ。
――わざわざ、公爵令嬢であるロタリアさんが出てきたのは、シオンとの縁談話の関係かしら?
などと考えている間に、館から一人の少女が現れた。
ゆっくりとした可憐な足取り。年の頃は、ミーアたちと同年代だろうか。頭の両側で宝石のように丸めた髪は、シオンと同じ、白銀色の光を宿している。
ツンとした長いまつ毛の奥、涼やかな青い瞳をわずかばかり細めてから、
「お初にお目にかかります、ロタリア・ソール・オリエンスと申します」
少女、ロタリアはスカートを優雅に持ち上げる。
「我が母、オリエンス女大公ナホルシアに代わり、お出迎えに参上いたしました。力不足のこの身が大任を務めますこと、お許しいただければ幸いでございます」
「ご機嫌よう、ロタリアさま。わざわざこのように、お出迎えいただき心から感謝いたしますわ」
優雅にスカートを持ち上げ、ミーアは嫣然たる笑みを浮かべる。
「ティアムーン帝国皇女、ミーア・ルーナ・ティアムーンですわ。以後、末永く良きお付き合いをお願いいたしますわ」
ミーアの挨拶の後、ロタリアはシオンのほうを向く。その目に、わずかばかりの苛立ちが浮かんだように、ミーアには見えた。
「シオン殿下も、ご機嫌麗しゅう」
「ああ、ロタリア嬢。ご機嫌よう、わざわざ、君が来ているとは思っていなかったが……」
そんなシオンの言葉に、ロタリアは、心外そうに眉をひそめた。
「なにをおっしゃいますことやら。帝国の姫殿下、そして、我がサンクランドの第一王子殿下までお迎えするとあっては、最大限の礼節を尽くすこと、当然のことですから」
その声にも、わずかばかり棘があるようにミーアには聞こえた。けれど、それも一瞬のこと、ロタリアは、シュトリナ、ベル、そしてティオーナとも挨拶を交わしていく。
ミーアの連れの令嬢たちに対しても、完璧な礼を示してから、ロタリアは深々と頭を下げる。
「改めまして、みなさま、ようこそ、オリエンス大公領へ。我が領民ことごとく、みなさまを心より歓迎いたします」




