第九十五話 世界を変えるもの
ルードヴィッヒは考える。
世界を変えるために必要なものは何か?
帝国の叡智、ミーア・ルーナ・ティアムーンのサンクランド旅行に同行したルードヴィッヒは、つくづく思わされていた。
世界を変えるために必要なもの、それは価値観のすり合わせ――すなわち共通認識の確認と、そこから得られる納得である、と。
オリエンス大公領へと向かう道中。揺れる馬車の中、ルードヴィッヒは、静かに思案に暮れるミーアを見つめていた。
渡された資料に目を通しつつ、ミーアは、ふぅむ、と唸る。
「なかなかにハードなスケジュールでしたわね」
ランプロン伯との会談以降、ミーアは精力的に会談を続けていた。サンクランドの協力者たるキースウッドの多大なる尽力により、王都に在任中のかなりの人数の有力者と知己を得ることができた。
――つくづく思い知らされるが……ミーアさまは、根回しを大切になさる方なのだな。
ルードヴィッヒは大いに感心していた。
大陸において、屈指の権力を持つ彼女である。その大きな力を使って相手を『説得』することは簡単なはずだった。けれど、ミーアはそうはしなかった。ただ、会談の場を設けることにのみ、その力を使っていた。
「申しわけありません。もう少し余裕のあるスケジュールに変更していただくこともできたのですが……」
ルードヴィッヒの謝罪を片手で制し、ミーアはゆっくりと首を振った。
「パライナ祭に向けてのことですし、せっかくのキースウッドさんの手配を無駄にはできませんわ」
――パライナ祭、そして世界会議によって、世界を変えるため、か。
世界を変える、その絶好の機会を迎えるにあたり、ミーアが選んだ方法を、ルードヴィッヒは改めて考える。
――丁寧に会食を重ね、キーマンとの対談をこなしていく。そうして、志を同じくする者を見出し、支持者を増やしていく。地道で、とても堅実なやり方だ。
それは、優れた知性によって意表を突く奇策ではない。天才の成す、一足飛びの革新などでもない。
それは、人の心を得るための王道を進むやり方だ。
一歩一歩……と人々に促す、着実な前進だ。その進みは遅くとも、道を踏み固めるがごときその歩みが揺らぐことはない。
――無理やりに、力づくでやらされることには想いがこもらない。されど、納得して自発的にしたことは違う。そのような動きは一過性の物になりづらい。ミーアさまは、本気で、世界を変えるおつもりのようだ……。
その意向を汲んでか、キースウッドが選んだのは実に、バラエティに富んだ者たちであった。保守派の貴族はもちろんのこと、正反対の改革を志す開明派の貴族たち、有力商人や都の重役に至るまで、ミーアの滞在時間をギリギリまで使ったスケジュールだったのだ。
――さすがは、シオン王子の従者キースウッド殿。ミーア姫殿下のお考えをしっかりと理解してくれたようだ。
まぁ、実際には”ミーアの考えをしっかり理解している”キースウッドが、キノコ狩りに行く時間を削るべく、全力で王都中の有力者をかき集めて、片っ端から会談の予定を当てはめていった結果ではあるのだが……。
狙いはどうあれ、ミーアは派閥、陣営を気にすることなく、積極的に会談を続けた。そのことに、ルードヴィッヒは改めて瞠目していた。
――ミーアさまは、どちらかの勢力を取り込み、数を頼りに押し切ろうとはしていない。どちらの陣営に対しても、同じように、ご自分のお考えを話された。合意と納得を形成し、彼らが自発的に動き出せるように……自らの意志で、賛同を表明するように、と働きかけておられた。
伝統を守ることと世界を変えること……これは、一見すると正反対のように見える。が、双方の目的がいずれも『人々の幸福のため』であるとするなら一致できることは必ずある、と。
民の幸福のため、民の安寧のため……。それがただの綺麗事に過ぎず、お題目に過ぎないとしても、掲げている以上、表立って反対することはできない。
そして、ミーアの訴える『常に飢饉に備えること』は、間違いなく民の安寧に繋がることなのだ。
――世界を変えるために必要なことを、ミーアさまはしっかりと考えて、一つ一つ実行されているのだ。
ミーアの動きは、病状を一時的に防ぐための、劇薬としての動きではない。
それは隅々に浸透し、根底から変化させていくような、いわば滋養強壮の動き。より根本的な意識の変化を、価値観の変動を起こそうとしているように、ルードヴィッヒには見えた。
世界とは言ってしまえば、人々の意識の集合体だ。人々が信じ、認識したものが世界の形だ。それゆえに、ミーアは貴族の意識を変え、人々の意識を変えようとしている……と。そのようにルードヴィッヒには思えてならなかった。
「見事だ……あまりにも……」
つぶやきつつ、ミーアのほうを見て、ルードヴィッヒは苦笑いを浮かべる。
――しかし……さすがにミーアさまも負担を感じておられるのだろうな。
視線の先、ミーアが難しい顔でお腹をさすっていた。
――相手との関係を良好に保つため、出された物を残さないようにされているようだが……。食べ慣れないサンクランドの食べ物を食べ過ぎたせいで、辟易されているのかもしれないな。
なぁんて……主の胃腸の調子を気にするルードヴィッヒは知らない。
「ふぅむ……。お昼は食べ過ぎましたわね。これでは、午後のケーキタイムでは小さめのものしか食べられないかも……でも、サンクランドグルメをきっちり食べておかないと後で後悔するかもしれませんし……悩ましいですわ」
などと、考えていることなど……。
ともあれ、そんな主従を乗せて、馬車が向かうはオリエンス大公領。
ティオーナ・ルドルフォンの恋物語を無事に成就させるべく、ミーアは決戦の地を目指すのであった。




