第九十四話 真夜中のベルサンポ
その日の夜、ミーアはベッドの上で作戦を練っていた。
友人であるティオーナのため、夜を徹しての頭脳労働である!
「ふわぁむ……むにゅ……ティオーナさんとシオンに、良いシチュエーションは……うーん、むにゅ……」
目を閉じて、すーすー、と気持ちよさげな息を吐きながら考えることしばし……ミーアはハッと目を開けた。
なにか……部屋の中で音が聞こえたような気がしたからだ。
暗闇に目を凝らす。
隣のベッドには眠るアンヌの姿がある。が、方向的にはアンヌではない。もっと近くからのような……。
「ふ……ふっふっふ……いつまでも怖がるわたくしではございませんわよ? ゆ、幽霊など、いるはずありませんし……? で、でも、まぁ、アンヌは怖がるかもしれませんわね。よし、ここは、とりあえず、アンヌのベッドに……ひっ、また、なにか聞こえ……あ、アンヌ、アンヌぅ!」
あわわっと口を震わせつつ、慌てて隣のベッドに行こうとしたミーアだったが……。
直後、足がなにかに引っかかり、そのまま、すっ転んだ。
「ふぎゃっ!」
足元、猫の尻尾でも踏んだような声が聞こえ、直後、
「い、いたたた……、あ、あれ? ミーアお姉さま?」
恐る恐る声のほうに振り返る。っと、ベッドの下から、ひょっこり、ベルが顔を出していた。
「なっ、あ、ああ……なんだ、ベル。で、ですわよねぇ、おほほ……」
幽霊とかじゃなくって良かったぁ! っと安堵の吐息を吐くミーア。
「んぇ? ミーアさま……? どうかなさいましたか?」
二人の声を聞きつけたのか、アンヌが眠たげに目をこすりながら起き上がってきた。さらに、ベルに続き、シュトリナとリンシャまでベッドの下から這いずり出てきたのには、さすがに驚いたが……。まぁ、この二人はベルのお城探検の被害者なのだろう。
「あっ、ええと、ミーアさま、これは……」
などと、事情を説明しようとするリンシャに、笑顔で、大変ですわね、わかってますわよ……と頷いてみせてから、
「もう、ベル。このような……勝手に他国のお城の探検をしてはいけないと、あれほど言っておりましたのに……」
指を振り振り、お説教を開始。ベルは神妙な顔でそれを聞き……流して!
「そんなことより! ミーアおば……お姉さま! 少し気になることがあるんです!」
「はて……気になること……?」
ベルの後ろにいるシュトリナ、リンシャのほうをそれぞれに窺うが、いずれも心当たりはなさそうだ。
「はい。胸騒ぎというか……。こう、なにか……見逃してはいけない大切なものを見逃そうとしている……そんな予感が、あったんです!」
グッと拳を握りしめ、極めて真剣な顔で力説するベル。それを見て、ミーアもわずかばかり、警戒度を上げる。
――思えば、神聖図書館においてはベルの勘にずいぶんと助けられましたわ。もしかすると、ここでも、なにか注意すべきことがあるのかも……?
決断は早かった。ミーアはベッドの下を覗き込み……そこに、ポッコリ空いた抜け穴を確認。
――っていうか、こんな抜け穴、どうやって見つけるのかしら、この子……。
などと、孫娘の冒険力の高さに呆れつつ……。
「それで、この抜け穴の先に、なにかあると思うのですわね?」
「はい……!」
断固とした顔で頷くベルに、ミーアは頷き返して、
「では、行ってみましょう。あなたが気になるというのであれば、わたくしも気になりますから」
「わかりました! それでは、ボクが先導します!」
未来の冒険姫ベルの力強い宣言を受けて、ミーアたち一行は、ソルエスクード城の裏通路へと足を踏み入れた。
「しかし……この抜け道は……。過去の戦で使われたものだったりするのかしら?」
暗く、曲がりくねった道を進みつつ、ミーアは首を傾げた。
ベルの持つランプに照らされた通路は、人一人が通るのがやっとで、兵士の移動などには適さない感じもするが……。
「表の通路を封鎖された時のために用意したんじゃないかと思います。相手の後方を寡兵で襲撃する、みたいな戦い方には使えるのではないかと……」
シュトリナの解説で、なるほど、っと頷くミーア。
「さすがは、リーナさん。軍略にも詳しいのですわね。それも、蛇の知識なのかしら?」
そんな素朴な疑問に答えたのは、シュトリナではなく、ベルだった。
「もう、なに言ってるんですか、ミーアお祖母さま。リーナちゃんの旦那さんは、あのディオン将軍なんですから、そのぐらいの手ほどきを受けていても当然ですよ」
「なっ! ち、ちがっ!」
なぁんて、楽しい楽しい恋バナガールズトークを、ひそひそ、わいわいやりつつ……。気付けば、一行は長い階段を上っていた。それは、実に長い、長い階段だった。
上る、上る、上る……まだ上る!
途中、ミーアは膝に手をつき、ぜふーっ! と一息吐く。
「こっ、この先ですの? ベル……」
「たぶん……」
「たぶんって……これ、そもそも、どこに繋がってますの?」
「うーん? これだけ上っているということは、お城の上のほうだと思うんですけど……、あ、風が吹いてきますよ?」
ベルの言うとおり、上方からかすかに風が吹いてきていた。髪を躍らせる冬の風が、火照った体に、少し心地よかった。
そこは、一見すると行き止まりだったが、どうやら、壁に穴が開いているようだった。頭を突っ込むと、ちょうど、外の光景が覗けるようになっていた。
そんな覗き穴の一つに意気揚々と近づいて行ったベルは、頭を突っ込み……、直後、
「……あっ!」
小さく息を呑み、体を固まらせる。
「ん? どうかしましたの?」
ミーアが囁けば、ベルは口に手を当てて首を振った。それから、ミーアと交代するように後ろに下がる。
ミーアもベルに倣って外を覗いてみる……っと、やや下方にティオーナとシオンの姿があった。
思わず、ミーアも口を押える。
耳をすませば、二人の声が聞こえてきた。ということは、こちらの声も聞こえる危険性がある。気を付けねば!
ミーアは身振り手振りで、他のメンバーにも静かにするよう伝えてから、みなで一列になって、交代交代で、その光景を見守ることにする!
――これは、特等席ですわね!
見たかった恋愛劇の、実に良いシーンを最前列で見れるとあって、たいそうご満悦のミーアである。
二人の会話に、やきもきし、一瞬、口出ししそうになるも、グッと我慢、我慢、我慢っっ!
やがて、二人が抱きしめ合うのを見て……思わず、ミーアは、ほーふーぅ、っと深い深いため息を吐く。
――おお、ティオーナさん……やりますわね。
月明かりに照らされる二人を眺めながら、ふと、思い出すのは以前の時間軸のことだった。
セントノエルで幾度も、こういう場面を邪魔しようとしたっけなぁ、なんて懐かしく思いつつ……。
――考えてみれば、この二人が結ばれるというのは、わたくしが断頭台にかけられた後のこと、あの時間の続きということになるのかしら……?
一瞬そう考えて、けれど、ミーアは静かに首を振った。
――いいえ、違いますわね……。これは、あの日の続きではないのですわ。だって……。
ミーアはそっと胸に手を当てる。そこにあるのは、怒りでも寂しさでも、悲しみでもない。あるのは……。
――わたくしが、心から祝福できている。ならば、この光景が、あの革命の日の続きであるわけがありませんわ。
これは、紛れもなくベルがやってきた、幸せな未来へと繋がる光景。
これは、あの日……図書館で歴史書を消した、その決意の先の光景。
自らの大切な人が全員幸福になってもらわなければ、自分が幸せになれないという……あの自分ファーストな決意の続きの光景だった。
「ティオーナ大おばさま、やりましたね。ミーアお祖母さま」
囁くベルに一つ頷いてみせつつも、ちょっぴりミーアも思うところがあって。
――それにしても……こう目の前でいちゃつかれると、少しアベルが恋しくなりますわね。ふぅむ……ここは、オリエンス大公領に行く前にお手紙でも……。
などと考え、王都を旅立つ前にアベルに手紙を出すミーアであった。




