第九十二話 眠れぬ夜を、君と……
ランプロン伯との対談を終えた日のこと。
貴賓室の大きなベッドの上、ティオーナ・ルドルフォンは、眠れぬ夜を過ごしていた。目を閉じたまま寝返りを打つこと、幾度目か……。
ふぅ、と小さくため息を吐き、彼女はそっとその身を起こした。
隣のベッドを見れば、同室にしてもらったリオラが気持ちよさそうに眠っていた。跳ねのけた毛布が落ちて、お腹が出ている。ちょっぴりレディーに相応しくない格好の従者に苦笑いを浮かべつつ、毛布を掛け直してあげる。っと、うーん、むにゅ、っと声がこぼれた。
その、のんきな顔に、ティオーナは思い出す。かつて、リオラが屋敷に来たばかりの頃のことを。
ルールー族にとっては異文化であふれた帝国貴族の屋敷に、勇気を奮ってやってきたリオラ。当初、慣れないメイド仕事に心を折られそうになりつつも、彼女はいつも明るく、笑みを絶やすことがなかった。
「セントノエルに行く時も……リオラから勇気をもらったっけ……」
苦労しつつも、ルドルフォン家で仕事を覚えようとしていたリオラ。そんな彼女も今では立派に、ティオーナの専属メイドを務めあげている。
そんな彼女に少しだけ勇気をもらってから、ティオーナは部屋を出た。
ちなみに……。
「ティオーナさま……」
ティオーナが部屋を出るのと同時、リオラがパチリと目を開け、こっそりその後をつけて行ったのだが……それはさておき。
ティオーナは廊下を、ゆっくりと歩く。
本来は、あまり一人で出歩かないほうが良いとは思ったけど、少しぐらいならばいいだろう。
「ああ、今日も、言えなかった……」
シオンと話をする機会はあったはずなのに、上手くそれを生かすことができなかった。
胸に疼くモヤモヤを上手く飲み下せなくって……目を閉じれば、そのことばかり考えてしまって……。
だから、眠れなくなってしまったのだ。
何人かの衛視とすれ違うが、呼び止める者はいない。
だからといって、別にどこに行こうというアテがあったわけではない。
……ただ、気付けば見覚えのある階段を上っていた。
まるで空に輝く月に導かれたように……彼女が辿り着いたのは城の監視塔だった。石の階段に、コツコツと硬い音を立てながら、なんとなく登る。
「思い出深い場所……印象に残っている景色」
唐突に、令嬢会議で出た話が頭に思い浮かぶ。
もしも、シオンと自分との間でそんな場所があるとするなら、恐らくはここだろう。
直後、視界が一気に開ける。
びょうっと冷たい風が吹きつけて、彼女の長い髪を乱した。
片手で髪を押さえつつ、目を開ければ、視界を満天の星が埋め尽くした。
「……あぁ」
思わずこぼれ落ちた吐息は白く色づいていた。
張り詰めた冬の空気は切ないほどに澄み渡り、キラキラと美しい光をティオーナのもとに届けていた。
「綺麗……」
それは、あの日見た星空と同じ、宝石を散らしたような美しさだった。その中心、大きな月が、女王のごとく星々を従えている。
多くの民は、ミーアのことを堂々たる月に喩える。
そして、その対比としてサンクランドの俊英、シオンを太陽に喩えていた。
――ミーアさまは、月。輝く美しい月のように、夜に惑う民の進む道を照らし続ける。でも、シオン王子は……。
ティオーナが見上げる先にあるのは、夜空に輝く星。輝きを放ってはいるけれど、その輝きの強さは月には及ばない。
シオンは……たぶん、その中の一つだ。地上をあまねく照らす、強い輝きを放つ太陽などではない。
それがわかったのは、あの日の夜のこと。
寒空の下、シオンと二人きりで話をした時だった。
シオンが生まれついての役割を果たすために懸命に生きる、ただの人に過ぎないのだ、と思い知ったのだ。
思えば、あの日から自分は……。
「ティオーナ……?」
その声に、知らず、体が震える。
恐る恐る振り向いた先、立っていたのはシオンだった。驚いた顔で、ティオーナのほうを見つめている。
「こんなところで、いったいなにを?」
「あ……えと、その……星を……」
「星……?」
「はい。星を見ていました。眠れなくて……星が綺麗だったから……」
「ああ。そうか……」
シオンは短く答えると、そっとティオーナの隣にやってきた。
「なるほど。確かに、綺麗だ……」
優しい笑みを浮かべながら、彼はティオーナの肩に上着をかける。
「綺麗だが、いささか冷えるだろう」
それから、シオンは下に視線を転じる。
「星も美しいが……町の灯もなかなかのものなんだ」
「町の灯?」
首を傾げて、城下町に視線を移す。夜の闇を湛えた町に、灯は見えないが……。
「サンクランドの建国祭が毎年、夏にある。白夜祭と言って……その日は、町中で灯火を絶やさずに、一晩中、祭りをするんだ。ミーアの誕生祭みたいにね」
そっと微笑み、シオンは目を閉じる。
「それをここから見ていると……民の生活が守られていることが実感できるんだ。祭りの日だけじゃない。ここから民の様子を眺めているんだ。王族として正しい行いができているか……自分に問いかけながら」
それから、シオンはバルコニーに背中をもたれかけさせるようにして、空を見上げた。
「だから、ここから星を眺めるのは、あまり経験がないけど……ふふふ。そうだな、確かにすごくいい眺めだ……あの日を、思い出すよ」
その言葉に、ティオーナがピクンッと肩を震わせる。
彼が、自分と同じ日を思い出してるとわかったから……。
「覚えているかい? ティオーナ……。君は……あの日、俺を慰めてくれたね。弟の、予行演習だと言って」
「あ、いえ、その……その節は、ええと、大変、失礼なことを……」
「その後、セロ君は、失恋で傷ついたりは?」
シオンの問いに、ティオーナは苦笑いを浮かべた。
「今はまだ……。ミーアさまのお役に立てるだけで嬉しいみたいです。それに……ううん」
ちょっぴり首を傾げるティオーナである。
最近のセロを見ていると、ミーア以外の誰かに心惹かれているような気がしないでもなくって……。
「もしかしたら、聖ミーア学園の同級生の誰かに想いを寄せているのかもしれません」
「そうか。それならばなによりだ。傷つかずに済むならば、それに越したことはないからね」
しみじみとそんなことをつぶやいてから、シオンは小さく息を吸って、吐いて……。
「あの日……」
意を決した様子で、話し始めた。




