第九十話 もっと自分ファーストに!
「……もう少し自分勝手に、か……」
ミーアの言葉を吟味するように呟いてから……。
「君にそんなことを言われるとは思っていなかったな。それは、誰よりも君と縁遠い言葉だと思っていたが……」
怪訝そうに眉をひそめるシオンに、ミーアは肩をすくめてみせた。
「あら、そんなことはありませんわよ? わたくし、割と自分本位ですのよ?」
その言葉に偽りはない。いや、強いて言うならば、割と、と言う部分に若干の偽りが含まれているでもないが……それはさておき。
ミーアは、常にブレることはない。いつだって自分ファーストを貫き続けている。
そして、それゆえに、シオンやティオーナが不幸になるのを望まない。だって、そんなのは気分が悪い。心行くまでケーキを楽しむことができなくなる。
「それに、わたくし、自分の欲望にも、どちらかと言うと忠実なほうですわよ?」
そんなミーアの言葉を怪訝そうな顔で聞くシオンと、若干、納得顔で聞くアンヌ……。そして、しみじみと言った様子で、うんうん頷く、キースウッド。
「ご謙遜ですね、ミーア姫殿下」
などと、小さくつぶやいたりもしていて……。
――ふむ、あの顔……どうやら、キースウッドさんも、同意のようですわね。シオンにはもう少し自分本位になってもらいたいと思っているようですわ。
その反応に気を良くしつつ、ミーアは続ける。
「シオンはもう少し、自分の感情を大切にしたほうが良いのではないかしら?」
食べたい物があれば遠慮せずに言うべきなのだ。
キノコ狩りに行きたいと思えば、素直にその欲望に従うべきだと、ミーアは思うのだ。
「自分が欲する物が近くにあるのに、それを得るための努力を最初からしないのは、怠惰。あるいは、臆病というものですわ」
確信を込めて……ミーアは自身の揺るがぬ信念をシオンに開示するのであった。
「自分が欲する者が近くに……か」
シオンは、ミーアの顔を真っ直ぐに見つめる。その真意を探るように、その目を見て、それから、会食の場に残してきた一人の少女のことを思う。
得るための努力をしないのは、臆病……。
「……王は民のために私情を捨て、尽くさなければならない」
「人間の王には、そのような生き方はできない。いいえ、人は、恐らく人を辞めることはできない。どのような生き方をしようと、お腹は空きますもの」
ミーアは大きく首を振って、自らのお腹をわざとらしくさすってみせる。
「その欲をすべて消してしまうことが正しいこととは思いませんわ。人である以上、満たされているからこそ、力を発揮できるものですし。無論、時と場合によりますけど……見極めつつ、自身の欲望と向き合わなければならないのではないかしら?」
――なかなかに、難しいことを言うな。
シオンは思わず苦笑いを浮かべる。
感情を、全て消してしまえればどれだけ楽だろう。目先の合理性に寄りかかれれば、判断は常にブレずに済むはずだから。
あるいは逆に、いつでも感情に依存できれば、どれほど楽だろう? 理性を捨て去り、ただ思うままに振る舞う。傲慢な王のように生きられれば、きっと悩まずに済むだろう。
だが、当たり前のように、帝国の叡智は、どちらも許さない。
それは、臆病であり、怠惰ですらある、とまで言う。
常にどちらに偏るのでもなく、寄りかかるのでもなく、その真ん中に立ち続ける。
情を優先して悪徳の王となるのでもなく、ただ理性のみに頼る、人の心を持たぬ善王となるのでもなく……。
心を持つ人間の王として君臨すること……そのなんと難しいことか。
「私情を抑えざるを得ない時があるのは事実ですわ。されど、いつでも民を理由に私情を捨てていては、いずれ、己が私情を捨てた不幸を民のせいにするかもしれない。だって、わたくしたちが心を、感情を完全に捨て去ることは不可能ですもの」
澄まし顔で、ミーアは言った。
まるで問われているようだった。
お前のその決意は、忍耐は、生涯貫けるものか? と。
「わたくしたちは人ですわ。そうでないものになろうとしても、お腹は減るし、お腹が減ればお腹が鳴る。どうせ空腹になり、なにかを食べなければならないならば、美味しいものを食べたほうが力が出るというものですわ。王の激務をこなすためにも、心に活力を付けることは、必要不可欠と言えるのではないかしら?」
思わず、ハッとさせられる。
ミーアは問うているのだ。
王の激務をこなすのに、王妃の助けが必要ないと考えているのか?
王の心を支える王妃が、お前には必要なのではないか? と。
――そうか……。俺は、また、思いあがっていたのか……。
結局のところ、はじめから選択肢などなかったのだ。
ティオーナをルドルフォンの領民から取り去ることをせず、ロタリアと婚儀を結ぶことが、最善の選択だと思った。
けれど、違ったのだ。
――俺には……一人で王の務めを担いきることはできない。助けが必要だ、と。ミーアは、そう言っているのか……。
その心の声をキースウッドが聞いたら、
「そうかなぁ……? ミーア姫殿下は単純にキノコ狩りに行きたいと言ってるだけなんじゃないかなぁ!?」
と心からの疑問を呈しそうな結論を胸に抱き、シオンは清々しさに笑みをすら浮かべた。
「感謝する。ミーア。なにをしなければいいのか、わかった気がする」
「ん? ああ、ええと……それは良かったですわね」
シオンの言葉を聞いて、はて? っと……なぜだろう、小首を傾げるミーアであった。




