第八十五話 コイバナ百景4 ~お友だちからとか鉄板だよね!~
「ふぅ……」
その日、シュトリナは眠れぬ夜を過ごしていた。
ベッドの上で寝返りを一つ。っと、隣のベッドでベルが、突如、ぶるるーふっ! と体を震わせるのが見えた。寒いのだろうか……?
シュトリナは静かにベッドから体を起こすと、ベルに自分の毛布を掛けてから、上着を羽織った。
――少し、外を歩こうかな……。
お城の中であれば、問題ないだろう、っとシュトリナは部屋を抜け出した。
目を閉じると、頭の中をとめどなく、不安が駆け巡っていた。
そう、シュトリナ・エトワ・イエロームーンの悩みは深い。
あの日、ミーアの母、アデライードのことに気付いてしまって以来、彼女は落ち着かない夜を過ごしていた。
――まだ、生命の木の実は見つかってない。上手く見つけ出せるとも限らない。それに、上手く薬の形にできるとも限らない。だから、今から悩むのは詮無きこと……。
そう自分に言い聞かすも、大した意味もなく。ただただ、小さくため息を吐くのみだ。
そんなふうに、肩を落として廊下を歩くことしばし……その足が唐突に止まった。
「おや、イエロームーン公爵令嬢、こんな夜中に、どちらへ?」
「気配を消さずに近づいてくるなんて、紳士ね、ディオン・アライア」
足音で接近に気付いていたシュトリナは、落ち着き払った様子で振り返る。スカートの裾をちょこんと持ち上げ、優雅に挨拶する。
「ご機嫌よう、良い夜ね、ディオン・アライア」
「これは、ご丁寧に。イエロームーン家の姫君。ところで、最初の質問にはお答えいただけない感じかな?」
かしこまった態度で礼を返しつつ、ディオンはチラリ、とシュトリナに視線を向ける。
「あら? リーナのナイトルーティーンが気になるの? それとも、まさか、まだイエロームーン家の娘は信用できない、とか?」
冗談交じりに軽口を叩く。が、自分で言ってて、もし本当にそうだったら、ちょっと傷つくかも……などと思ってしまうシュトリナである。
乙女心は意外と複雑なのだ。
「ははは、まぁ、僕は疑うのが仕事だからねぇ……ともあれ、さすがに、もう君が何かするとは思ってないよ。ただまぁ、あの蛇の訓練を受けた割には、君は一人だと意外と危険に巻き込まれるから、少し心配をしていただけさ」
からかうようなディオンの口調に、思わずムッとするシュトリナ。だが……。
「なっ、そっ、そんなことな……くはないけど……」
微妙に、歯切れが悪い。
そういえば、そんなこと、確かに何度かあったような気もして……。腕組みし、思わず考え込む。
――それに、確かにベルちゃんと一緒にいる時は、あんまり危険に巻き込まれないかも……? やっぱり、ベルちゃんは幸運の女神なのかな?
なぁんて、親友への訳の分からない評価を付けるシュトリナである。
……まぁ、ベルと一緒にいる時に、狼使いに追いかけ回されたり、斧を持った暗殺者に追いかけ回されたりしたミーアからすると、異義あり! と声を大にして主張したいところかもしれないが……。それはさておき。
「それにしても、こうもはぐらかすとは……ああ、もしかすると、ミーア姫殿下のように食堂に向かうところだったとか? 小腹が空いたとかで……」
「なっ! こ、こんな夜更けに食堂になんか行かない……」
軽くお腹を撫でるシュトリナ。
確かに……ちょっぴり小腹が空いている気がしないではないけど……。頭に父の姿を思い浮かべ、シュトリナは首を振る。
――夜遅い時間に甘い物を食べるとどうなるか、リーナは蛇の知識でよく知っているから。
そのあたりの知識は、地を這うモノの書『傾城の美女の章』に詳しく書かれているらしく、いずれシュトリナも読んでみたいと思っていたのだが……それはさておき。
シュトリナ・エトワ・イエロームーンは、ミーアよりちょっぴりだけ食欲への耐性が高く、ちょっぴりだけ乙女力が高いご令嬢なのである。
「ただ、少し……考えごとがしたかったから歩いていただけ」
「考えごと……ねぇ」
シュトリナの顔を覗き込んでから、ディオンは、やれやれ、っと肩をすくめた。
「どうやら、前に僕がした助言は、聞いてなかったみたいだね」
「助言……?」
きょとりん、と小首を傾げるシュトリナに、呆れた様子でディオンは言った。
「いずれ居なくなってしまう『彼女』以外にも、友人を作っておけ、と言わなかったかな? そういう悩み事を相談できるような、ね。いや、あの時は、ちゃんと友人はいると言っていたんだったかな?」
「うっ……ぐっ」
思わず、言い淀むシュトリナ。
「なにを悩んでるか知らないけど、そういうことこそ、お友だちに相談するのがいいんじゃないかな?」
やれやれ、と首を振るディオンに、シュトリナは思わずムッとする。が、すぐに意地の悪い笑みを浮かべて、
「そうだ。それなら、あなたに相談してあげるわ、ディオン・アライア」
「は……? いやいや、僕なんかに相談しても意味ないだろう」
不思議そうな顔をするディオンに、シュトリナはしたり顔で、
「戦友以外の友だちがいないあなたの、お友だちになってあげる、って……。そう言ってるのよ。それとも、リーナにお友だちを作れって言っておきながら、協力もしないつもりなの?」
意地悪くそう言ってやると、ディオンはきょっとーんっと目を丸くしていたが……。
「……はは、公爵令嬢の友人とは……なんとも」
苦笑いを浮かべる。が、すぐに首を振り、
「まぁ、話を聞くぐらいはするけどね。それで、相談の内容は?」
シュトリナは唇を舐めて湿らせつつ、わずかばかり逡巡する。それから、言葉を選びつつ、ゆっくりと話し始める。
「あなたは、その帝国最強の力を使う時、自分の想いに、心のおもむくまま、感情の激するままに使うの? それとも、自分の正しいと判断することのために使っているの?」
想いのまま、感情のままに剣を振るうのか? それとも、理性に従って剣を振るうのか?
眼前で行われる悪逆に対し、怒りのままに剣を振るうのか? それとも、その悪逆を放置することの悪影響を鑑み、怜悧なる理性によって剣を振るうのか?
問いの意味を吟味するように、いったん黙り込んでから、ディオンは口を開いた。
「我が剣は自由にして無比。ゆえに、我が想いのおもむくまま、この心のおもむくままに振るうのみ……なんて言えたら格好いいのかもしれないけどね」
芝居がかった口調で言ってから、ディオンは続ける。
「どれだけ言葉を飾ったところで、剣の力は破壊の力。不用意に、好き勝手に使えば害悪にしかならない。心のおもむくままにそれを振るった結果、周囲を巻き込み破滅した馬鹿を何人も見てきた。だから、そうはならないようにと、せめて剣を振るう時には、少しでも世界がマシになっているように、と以前は思っていたよ」
「以前……?」
「ああ、最近はこう考えている。力を振るう時には、常に帝国の叡智の剣に恥じぬ働きをしよう、とね。正直、あまり好き勝手に使えなくて、少々、鬱憤は溜まっているけどね。だが、どうも、姫殿下はこの力を敵を殺すことに使うのはお気に召さないようだから」
てっきり、何も考えずに楽しみながら剣を振るっている、と考えていた男から、そんなことを言われて、シュトリナは思わず目を瞬かせる。
「そんなこと……考えてたんだ」
「ははは、まぁ、いつもじゃあないけどね」
そっと肩をすくめてから、ディオンは続ける。
「それで少しは悩みが解決すればいいんだけどね。では、我が友にして、小さき淑女たるシュトリナ嬢をお部屋までエスコートするとしようか」
「……小さき、は余計だと思う」
こうして、その夜、シュトリナ・エトワ・イエロームーンに初めての、殿方のお友だちができたのだった!
そのお友だちが恋人になり、やがては将来の伴侶となっていくのかは……現時点では、誰にもわからないことなのであった。