第八十四話 コイバナ百景3~全自動のミーアの右腕、左腕~
帝国の叡智ミーア・ルーナ・ティアムーンの腹心にして右腕と称される専属メイド、アンヌ・リトシュタインの夜は、それなりに遅い。
日が落ち、夜も更けて……というにはいささか早い……早すぎる時間に、主であるミーアを寝かしつけてから、アンヌはそっと部屋を後にした。
幸いなことに、ミーアにしろベルにしろ、寝つきはとても良いので、アンヌが夜、使える時間は割と多い。
部屋を出た先、廊下は明るかった。白月宮殿と同じく、サンクランドの王城、ソル・エスクード城もどうやら、眠らない城らしい。
落とされることのない灯火の下、廊下を歩きつつ、アンヌは考えていた。
「ううん……なにか、良いアイデアはないかな……」
腕組みし、ふんぬ……と唸る。
令嬢会議では、いくつかのアイデアが検討されたものの、そこまで決定的なものはなかった。アンヌ自身も、期待されたような働きができた、という手応えを得られずにいた。
ミーアが頼りにしてくれたのに……不甲斐なさに悔しさを覚えてもいた。
「もっと良いシチュエーションを思いつければ、ミーアさまのお役に立てたのに……」
小さくため息を吐いた、まさにその時だった。
「おや、アンヌ嬢、どうかしたのか?」
声をかけられて、びくんっと跳びあがったアンヌだったが、その相手を見て、思わずと言った様子でため息を吐く。
「ああ、ルードヴィッヒさん」
ミーアの忠臣、ルードヴィッヒ・ヒューイットは、軽く眼鏡を押し上げつつ、優しげな笑みを浮かべる。
「ミーアさまの専属メイドとして、明日も朝は早いんだろう? 早く寝たほうがいいのではないかな」
「ルードヴィッヒさんこそ、まだ、お仕事ですか?」
言いつつ、チラリと視線を動かす。彼の手には、分厚い書類の束があった。
「なに、せっかくサンクランドに来る機会を得られたんだ。国王陛下に許可をいただいて、サンクランドのことを色々と学ばせてもらおうと思ったまでのこと。サンクランドで起きた諸問題と、それを歴代の国王陛下がどのように解決してきたのか。そして、その結果、民はどのような反応を示したのか……。こうした前例、実例を知っておくことは、ミーアさまの将来の統治のためにも役に立つことだ。ミーアさまと、それに続く皇子、皇女さま方に、しっかりと学んでいただくためにも……」
教育に、静かな炎をメラメラメラァ! っと燃やすルードヴィッヒ。その気配を敏感にも察知したのか……、どこの姫君かは定かではないが、少し離れた貴賓室で、一人の少女がビクッと体を震わせて「あれ? 寒いの、ベルちゃん?」などと親友から心配されていたとかいないとかいう話があったが……。どこの姫君かは、まったく定かではないのだが……。
まぁ、それはさておき……。
「それで、君のほうは? 専属メイドの仕事は主のそばで、その必要に応えること。国内ならばともかく、このサンクランドの地で、ミーアさまのご就寝後に、あまり多くの仕事があるとは思えないのだが……」
そう指摘を受けて、アンヌは少しだけ黙り込んでから、辺りを見回す。
あまり、サンクランドの者に、シオンとティオーナのことを聞かれないほうが良いと思ったのだ。
それで察したのか、ルードヴィッヒは、自らの貴賓室へとアンヌを誘った。
「別に自分の部屋というわけでもないから、くつろいでくれ、というのもおかしな話なんだが……。今、お茶も用意してもらおう」
そうして、二人は向かい合うようにしてソファに腰を下ろした。
なにやら……ちょっぴり大事になってしまったような気がしないではないが……、ともあれ、せっかくの機会である。頭の良いルードヴィッヒであれば、なにか良い考えが得られるかもしれない、と思い直す。
「実は、先ほどのことなんですけど……」
そうして、アンヌは先ほどの令嬢会議のことを話しだした。その議題と、自分があまり良いアイデアを出せなかったことまで……。
「ミーアさまのお役に立てるよう、なにか、良いアイデアが出せればと思って……いろいろ考えていたところだったんです」
「ああ……なる、ほど……」
話を聞いたルードヴィッヒは、顎に手を当てて、たいそうしかつめらしい顔をしてから……。
「正直……あまりにも畑違いのこと過ぎてなんとも言えないが……、しかし、なるほど。確かに考える必要のあることだ」
それから、ルードヴィッヒは苦笑いを浮かべた。
「それにしても、アンヌ嬢は、ミーアさまのご友人のためにも一生懸命なんだな。確かに、ティオーナさまの縁談は帝国にとっても重要なことだし、ミーアさまのご心情を鑑みても上手くいってほしくはあるが……」
「あ、その、ええと……、もちろんティオーナさまのためというのはあるのですが……」
アンヌは、ちょっぴり困った笑みを浮かべて、
「その、ミーアさまの……参考になるのではないかとも思っているんです」
「ミーアさまの?」
「はい。今後のミーアさまの恋愛の、備えのために」
アンヌは神妙な顔で続ける。
「ミーアさまは、帝国のみならず世界中の人々のために頑張っておいでです。だから、ミーアさまご自身にもぜひ、幸せになっていただきたいんです」
「なるほど……そういうことか……。確かに、ミーアさまはいろいろとご多忙。そのせいでご自分のご結婚のことまで気が回らないかもしれない。その部分をサポートする必要があるということか……」
納得顔で頷くルードヴィッヒに、せっかくなので、とアンヌは聞いてみる。
「実は、令嬢会議では、いまいち殿方のお気持ちが想像できなかったのですが……。ルードヴィッヒさんはどう思われますか? されて嬉しいこととか、どういう場面で告白されたいか、とか……」
そう問われ、ルードヴィッヒは、沈着冷静な彼にしては珍しく、少々戸惑う様子を見せた。
「そう……だな。うーん……。まず、そう言った大切な告白は、やはり自分のほうからしたいものなのではないだろうか……」
「なるほど、つまり、告白せざるを得ない状況に追い込む、と……。しかし、ミーアさま曰くシオン殿下にそのような『待ち』の姿勢は危険とのことでしたが……」
「確かに。シオン殿下であれば、その手の話は引く手あまただろうし、現に今回のこともあるな。であれば、そうだな……」
さて、突然だが……アンヌ・リトシュタインは、恋を知らない。
妹の恋愛小説を読んだり、本の感想をミーアと話すのは好きだけど、自分自身が恋をしたことはない。
ただ……こんなふうにして、同じ大切な主のために、誰かと一緒に頭をひねるのは、なんだか新鮮で、すごく楽しかった。すごくすごく、楽しかった!
……まぁ、だから、どうということはないが……楽しかったのだ。うん。
こうして、ミーアの忠臣たちの会議は夜遅くまで続いた。その結果、深夜のヘンテコなテンションに突入し……。
「ここは、原点に帰って、ミーアさまの当初のコンセプトであるキノコ狩りとウマパンキノコサンドイッチを手作りするという案を実現させるのが良いのかもしれない」
ルードヴィッヒが、眼鏡をクイッと押し上げた。
「なるほど。確かにそうですね。ウマパンサンドイッチには成功実例がありますし」
「そもそも、キノコ狩りの時間が捻出できないことに問題があったのだから、そこさえ改善すれば……」
それは、ミーアが寝ている間に、その右腕と左腕が、勝手にキノコに向かってちょこちょこと走っていくような……わっしわっしと大量のキノコを収穫していくような!
実に、なんともオソロシイ光景ではあったのだが……。
飽和攻撃を成功させて、すやぁっと安堵の睡眠をとるキースウッドはまったくもって与り知らぬことなのであった。