第八十三話 食休みなどではない。断じて……
「ところで、エシャール殿下のこと、ナホルシアさまは、ご存じなんですの?」
さて、ひとしきりサンクランドのキノコ事情に感動した後、ミーアは、すんっと冷静さを取り戻した。帝国の叡智の理性が食欲に勝った瞬間だった!
……ただの、一時的な食休みではない。念のため。
「時期を見計らって話さなければ、と考えているが……」
そう言うエイブラム王の表情は、やや苦い。
微妙に歯切れの悪い言葉に、ミーアは眉をひそめる。
「まぁ、あまり真実を知る人が多くないほうが良いとは思いますけど……」
「ナホルシアは、歴代オリエンス大公の中でも特に強く、サンクランドへの誇りを持っている。大公家は、もともと辺境伯家として、長く国境を守って来た誇り高き家。国に対する誇りもその裏返しだが……」
「サンクランドの正義を信奉するゆえ、エシャール殿下の処遇に納得せず、今からでもより厳罰を望む、と……?」
「可能性はある」
短い言葉に、ミーアは、うむむっと唸る。
――それは非常に面倒くさいですわね。エイブラム王も身内のことゆえ、あまり庇い立て出来ない状況。というか、ナホルシアさまの性格がお聞きしたようなものであれば、真相を隠していること自体、批難されかねませんわ。それよりなにより、下手をするとエメラルダさんと正面から喧嘩をすることになりますし……。
もしも、グリーンムーン公爵家とオリエンス大公家が対立するとなれば、他の星持ち公爵家も黙ってはいない。グリーンムーンの権勢を削ろうと動く者もいるだろうが……他国の大貴族が自国を代表する大貴族に喧嘩を売ってきている状況だ。グリーンムーン家を擁護するために、サンクランドと対立しようとする者も現れるかもしれない。
――あっ、悪夢のような状況ですわ。これは確かに慎重に対処すべき事柄ですわ。
ミーアは、ごくり……と喉を鳴らしてキノコを呑み込み、その喉越しを楽しみつつ……。
「なるほど……。あの沙汰には、わたくしも関係しておりますし、なにかできることがあるかもしれませんわね……」
正直なところ、面倒事に巻き込まれたくないなぁ、とは思ったものの……。
――いえ、知らない間にギロちんがこっそり近づいてきて、ひょっこり現れるよりはマシですわ。
大岩が転がり始める前に、ヤバイ大岩が山の上にあることに気付けたのは僥倖というものだろう。関係者として口出しできる状況に、むしろ感謝すべきだと思うのだ。
――しかし、どうするのがよろしいかしら……?
できれば、黙ってるほうがいいかなぁ、黙ってたほうがいいだろうなぁ……と思いつつも、バレた場合、そちらのほうが危険である。
今後ずっと知られないでいられるなら一番穏当ではあるが、万が一バレたらリカバリーは難しい。なかなか判断が難しいが……。
――いずれにせよ、すぐに答えが出せることではありませんわね。ロタリアさんと対談するついでに、少し探りを入れてみようかしら……。
などと思案に暮れていると……。
「ところで世界会議とは……なかなか思い切りましたな」
重たい空気を察したのだろう。エイブラム王が話を変えた。
「ああ、ええ、そうでしたわね……その件も陛下にご相談しなければと思っておりましたの」
興味深げにミーアに視線を向けるエイブラム王。その隣、王妃も静かにミーアの言葉に耳を傾けている。
「会議で表明しようとされているのは、以前、お聞きしたミーアネットに関する理念と似たようなものかな?」
「ええ。パライナ祭でヴェールガ公国との共同プロジェクトである海産物研究所のことを表明し、この大陸から飢餓を撲滅するようなムーブメントを作り出す……。わたくしの願いは変わらず、それのみですわ」
タイミングよく、焼き立てのパンが運ばれてきた。ミーアはそれを手に取り、その温かさ、柔らかさを確かめる。
「このように美味しいパンでなくても構わない。ただ、いつでもお腹いっぱい食べられること……それほど心安らぐことがありますかしら……」
小さくつぶやき、それから改めて、美味しいパンをひょいぱくしてから……。
「わたくしは、何も特別なことを言おうというわけではありませんの。ただ、せっかく、神聖典がそのように指針を出しているのですから、それを確認したいというまでのことですわ」
胸に手を当て、瞳を閉じて……。
「我らは、神聖典の権威を背景に王権を立てる者、統治を行う者たちは、いずれも、そこから正当性を得ている。にもかかわらず、わたくしたちは、しばしばそれを忘れてしまう。本来、民を安んじて治めるためには食料の安定が欠かせないはずなのに……そのことが、頭から抜け落ちてしまうのですわ」
その結果、無駄なもの(黄金像とか!)に金を使ったり、より金を儲けるために食料を買い叩いたりする。実に、愚かなことだ。
「わたくしは、ただ、当たり前のことを当たり前のようにしていただきたいだけ。難しい話はさておいて、世界会議では最も基本的なことのみを伝えるつもりですわ」
「基本的なこと……?」
「ええ。人は食べる者。一日、何もせずにいてもお腹は減るものですわ。食べ物は決して欠かすことのできぬもの。それゆえに愛する人に、大切な子に、食べ物を用意することができないということは、なにより民の心を騒がせるものだと、わたくしは思いますわ」
まさに、それこそが断頭台への道に繋がる最大の要因なのだ、と。ミーアは改めて確信する。
今日、明日と食べるものがない、その不安が人々から余裕を奪い、革命だ! などと言う発想に繋がるのだ。
にもかかわらず、しばしば、民への飢饉対策は支出削減のために軽視されがちだ。
どんな時でも、食べ物を決して不足させない。無駄に終わったとしても、必ず余分に食料を用意しておく。これこそが、ミーア最大のギロちん回避策なのである。
「明日から、王都にいる貴族たちと会談を持たれるとのことだが……」
「ええ。ありがたいことに、キースウッドさんがそのように取り計らってくださいまして」
シオンとティオーナの縁談を実現するために、ナホルシアのところに殴り込みに行く下準備として保守派貴族と話し合いをする予定ですが、なにか……? などとは、もちろん口にしないミーアである。
ニコニコ微笑みつつ、ヨイショに励む。
「サンクランドの方たちは、民を安んじて治めることを、ごく自然のことと受け止めておられる、正義を重視する方たちだと伺っておりますわ。きっと賛同していただけると思いますの」
ついでとはいえ、せっかくの機会。後々、楽をするために、下準備には余念のないミーアである。
世界会議でミーアが声掛けし、帝国の者たちが賛同するというのでは、いささか見え透いている。ヴェールガの者たちにしても、パライナ祭の声掛け人がレアである以上、賛同しても演出効果は薄い。
その点、大国であるサンクランドが、それも、正義を標榜し希求する、かの国が全面的に賛同してくれれば、そのインパクトは大きい。国王が単独でではなく、各地の貴族たちが次々に賛意を表す、ということになれば大きな意味を持つことだろう。
――それに、会議にどなたが参加するのかは知りませんけれど……わたくしの話に派手目に賛同してくださる方を仕込んでおければ、楽になるはず……。
「姫殿下がそのようにお思いであるならば、我が国としても全面的に歩調を合わせていきたく思う」
「感謝いたしますわ。エイブラム陛下。つきましては、サンクランド王家の代表として、シオン王子にも明日からしばらくの間、ご同行いただければ嬉しいのですけど」
「そうだな。ミーア姫殿下はサンクランド式温室の視察のために、オリエンス大公領まで行かれるのだったか……。それならば、そこまで同行すると良い。例の話も、しっかりと、けじめをつけるべきことだろうし、な」
そう言った時、不意に、エイブラム王の視線がミーアの隣、ティオーナのほうを向いた。
ティオーナは、一瞬、戸惑った様子だったが……その視線を真っ直ぐに受け止めて、静かに頭を下げた。