第一部エピローグ 貪欲かつ自分ファーストなお姫様
大陸に訪れた三百年にも及ぶ繁栄と平和の時代。その始まりには、数多の英雄が台頭する。
天秤王と呼ばれた賢王シオン・ソール・サンクランドと、その一番の腹心キースウッド。
民衆に救いの道を説き、国家同士の平和に尽力した聖女ラフィーナ・オルカ・ヴェールガ。
大陸全土に相互援助の仕組み『ミーアネット』を確立した、フォークロード商会の長、クロエ・フォークロードに、邪神教徒や大規模盗賊団との戦いで活躍したディオン・アライア。
ティアムーン帝国の体制を改革し、活力を取り戻させた辣腕家ルードヴィッヒ、新型小麦を始め、数々の有用な植物を発見したセロ・ルドルフォンとティオーナ・ルドルフォンなど、名をあげればきりがない。
そんな綺羅星のように輝く偉人たちの中心にいて、ひときわ明るく輝く月がある。
大国ティアムーン帝国の女帝、ミーア・ルーナ・ティアムーン。
帝国の叡智と謳われ、多くの英雄たちから慕われた彼女であったが、実は、自身が表舞台に立って何かをなしたという記録はかなり少ない。
けれど……、偉人たちが何か功績を成す時、必ずと言っていいほど、女帝ミーアの姿がそばにあるというのは、歴史家の間では有名な話である。
そんな謎に包まれた彼女だが、帝国臣民の間では大変に人気が高く、数多の伝説やエピソードが語り継がれている。
様々な話の中で、最も好まれているのは「王子救出」の物語だ。
とある事件において、国王の不興を買ってしまった恋仲の王子を、ミーア自らが助けに行き、そのまま帝国に連れ帰ってしまうという、彼女の『情熱の女性』としての一面が垣間見えるエピソードである。
その後、彼女はその王子を自らの夫として、正式に帝国に迎えることになる。
それは当時の帝国貴族たちの反感を買った。
なぜ、廃嫡された王子となど婚儀を結ぶのか。まったくの無駄ではないか、と。
そんな反論を彼女は、そして彼女の臣下たちは、全力で叩き潰した。
情熱の女性、皇女ミーアは横暴に権力を振りかざすことはなかったが、己の恋を貫くためには、叡智と権勢を思うままに振るった女性だった。
そして彼女は情熱の人であったが、恋多き人ではなかった。幼き日の恋心を生涯を通して貫いた女性であった。
それもまた、人々に好まれ、親しみを寄せられる一因となった。
その後、女帝となったミーアを、夫である元王子は献身的に支えた。帝国は栄え、夫婦の八人の子どもたちによって、帝室の血筋は一層の繁栄を……
「八人って……、ちょっと多すぎますわ……」
ミーアは、手に持った、古びた歴史書から目を上げた。それは、セントノエル学園の図書室でのことだった。
クロエと待ち合わせをしていたミーアは、ふと目についた歴史書を、何気なく開いてみたのだ。
そこに書かれていたのはティアムーン帝国の女帝、ミーア・ルーナ・ティアムーンの生涯についてだった。普通であれば、驚くところではあるのだが、あいにくとミーアは似たようなもののことを知っている。
「ああ、あの日記帳みたいなものですわね……」
などと軽い気持ちで読んでみたわけだが……。
「八人……わっ、わたくし、ずいぶん頑張りましたわね……そう、アベルとの子どもが八人も……」
「ん? ミーアじゃないか。こんなところで、なにをしているのかね?」
「うひゃあっ!?」
突然、声をかけられて、ミーアは飛び上がった。ぎくしゃくと振り返った先、アベルが不思議そうに首を傾げていた。
「あ、あ、アベル、どうしましたの? こんなところに……」
「少し調べ物があってね。ミーアは何を読んでいるのかね?」
「えーと、その……あら?」
さすがに、これをアベルに見せるわけには、とページに目を戻すと、微妙な違和感があった。先ほどまで読んでいた記述がどこにも見当たらなかったのだ。
「変ですわね……先ほどまで、確かに……」
つぶやくミーアの視界の端に、一瞬、金色の輝きが映った。
ページから浮かび上がった文字のようなそれは、すぐに糸のようにほどけて、空中に溶けて消えた。
「今のは…………?」
「ミーア?」
ミーアは小さく首を振り、アベルに目を向けた。
「いえ、なんでもありませんわ」
歴史書の記述が消えたこと、ミーアにはそれが、決まりかけていた未来が再び未定になった証のように思えた。
幸福そうな未来が……、泡と消えて……でも、ミーアは特に気にした様子もなく言った。
「まぁ、構いませんわ。あれでは不満でしたし……」
なぜなら、あの未来では、アベルが実家に帰れなくなってしまうし、家族にも会えなくなってしまうからだ。
それでは、完全に幸せな未来とは言えない。
貪欲に幸せを求めていくのがミーアのスタイルなのだ。
揺らがぬ自分ファーストを貫く、ミーアの、変わることのない生き方なのだ。
だから、
「せっかく断頭台の運命を回避したのですから、あの程度の幸せで満足などいたしませんわ。ええ、満足などしてあげるものですか」
未来は未だ定まることなく、ミーアの生涯がどのようなものになるかは、わからない。
ただ一つ変わらないことはミーアは決して妥協しないということ。
自分の幸せにも、そして……自分の大切な人たちの幸せにも……。
これは、ちょっぴり自分ファーストなお姫様のやり直しの物語。
彼女の蒔いた希望の種が、どのように未来を彩るのか……。
それはまだ、誰も知らない。
第一部 断頭台の姫君 Fin 第二部 導の少女に続く……