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第七十二話 コイバナ百景1 ~最後の恋愛相談~

 それは、断罪王シオンが最後に笑った時の物語。

 忠臣とした、最初で最後の恋愛相談。


 王都ソル・サリエンテ。

 大国サンクランドの王都は、変わることなく、平然とそこにたたずんでいた。

 国内のいずこで賊が暴れようと、太陽のごときその権威が揺らぐことは決してない。

 そんな王都の城門を、騎馬の一団が入ってきた。

 近隣の村々を襲っていた大規模盗賊団の討伐に出ていた近衛騎士団の凱旋だ。

 栄光あふれる白銀の鎧は血に汚れ、傷つき、泥にまみれていた。

 兵たちの顔に浮かぶ疲れもまた隠しきれないものではあったが、それでも、大多数の者はその戦果に、誇らしげに胸を張っていた。

 その先頭、一団を率いていたのは、国王シオンの親友にして、一番の忠臣キースウッドだった。

「ようやく着いたか。やれやれ……」

 王都に入り、王城近くまで来たところで、ようやく彼は安堵の吐息を吐く。

 国王シオンから預かった近衛たちを、徒に損耗させるわけにはいかない、と気を張っていたのだ。それでも、生還したのは八割ほど。精鋭二割の損失は、盗賊団相手には手痛いものだった。

 ――なかなかに手強い賊だった。大方、どこかの貴族領の正規兵が、食うに困って賊に身を堕としたのだろうが……。これはなんとか早めに手を打たなければ……。

 っと、その時だった。王城のほうから歩いてくる者の姿が目に入った。護衛を引き連れて城門までやって来た人物、それは。

「キースウッド、よく戻った」

 シオン・ソール・サンクランド。

 大国サンクランドの国王である。彼は大らかな笑みを浮かべながら、近衛たちのほうにも目をやった。

「みなも、よく無事に戻った。そして、賊の討伐任務、ご苦労であった」

 その言葉に、近衛たちが姿勢を正す。

 サンクランドの正義の象徴、国王からの労いが嬉しくないはずがなかった。

 そんな中にあって、キースウッドだけが渋い顔をしている。

「シオン陛下、わざわざ足を運ばれなくとも……」

「正義を成すために血を流した部下たちを労うのは、王として当然のことだ。本来ならば、私が先陣を切らなければならないところだったのだからな」

 それから、改めて、シオンは兵たちに声をかける。

「我が兵たち、我が剣たちよ。働きご苦労。そして、よく戻った。生きて戻れなかった者たちにも、その家族にはできるだけのことはすると、ここに約束しよう。重ねて言う。よく生きて戻った」

 その声に、幾人かの者たちが、感動に目を潤ませていた。

 サンクランド国内の治安が悪化したのは、ここ数年のことだった。

 いくつかの貴族領が断罪王シオンの潔癖さにはついていけずに離反を宣言。そのまま崩壊しそうな国をシオンが自身の権威をもってなんとかギリギリで維持している状態だ。

 国王と貴族の対立は、王国内の諸勢力の蠢動を誘い、それに伴って治安はジワジワと悪化していった。

 ――近衛騎士団は健在とはいえ……地方軍の中には王から離反し、盗賊に成り下がる者たちもいると聞く。聖女ラフィーナさまが暗殺されて以来、ヴェールガの権威は失墜した。本来であれば、我がサンクランドが中心になって、国々をまとめなければならないところを、この体たらくとは……。いや、それでも、よくもっているほうか。他国のことを思えば……。

 中央正教会の秩序が揺らぐことは、各国の王権が揺らぐこと……。頭ではわかっていても、これほどの事態になるとは思っていなかった。

 世界はまさに、混沌の中にあった。


 王の執務室にて。

 報告のために訪れたキースウッドは、わずかに眉をひそめた。

「ああ、キースウッド、ご苦労だった」

 先ほどから気になっていたシオンの表情、王の顔に浮いた疲労の色に。

 かつての輝くような魅力は鳴りを潜め、そこに浮かぶのは重過ぎる重責に、ただひたすらに耐える、憔悴した男の顔だった。

「なんだか、盗賊の討伐に出ていた俺より疲れて見えますね」

 そう言うと、シオンは苦笑いを浮かべて眉間を揉んだ。

「なに、我が友が無事に帰って来られるか、と気を揉んでいてな。実は、昨晩もよく寝られなかったのさ」

「はは、ご心配には及びませんよ。陛下がいらっしゃらなかったので、御守りのために無茶をせずに済みましたから」

 それから一転、キースウッドは表情を引き締めて……。

「まぁ、冗談はさておき、どうです? 陛下、しばし政務を離れ、休息をとられては。何も考えずに……そうですな。恋にでも精を出してみるのがよろしいのではありませんか?」

「さておいていないぞ。なんの冗談だ、キースウッド。色恋などと……王たる私がそのようなものにうつつを抜かしている場合ではないだろう」

 怪訝そうな顔をするシオンにキースウッドは肩をすくめてみせた。

「その王としてってやつですよ。王として必要でしょう? 世継ぎってやつが」

 それを聞いたシオンは、心底、不思議そうな顔で……。

「それと色恋がなにか関係あるのか? 国内から適切な王妃候補を立て、婚儀を結び、子を成すだけだろう。そうでないなら、養子をとるのも面倒がなくていい。血の繋がりが必要ならば、ロタリア……オリエンス大公家か、他の公爵家から……」

「……正気ですか? シオン陛下」

 思わず、本気でツッコミを入れてしまう。

「なにか……妙なことを言っているだろうか?」

 生真面目な顔で首を傾げているシオンに、キースウッドは処置なし、とばかりに首を振り、

「それなら、どうです? ひさしぶりに学生気分を思い出すということで……。ルドルフォンさまに手紙でも書いてみては……」

「ルドルフォン……? ああ……ティオーナか……。懐かしい名だな」

 その提案に、シオンは一瞬目を細めたが……。

「いや、やめておこう。互いに忙しい身だ。別に手紙で知らせるようなこともないしな……。第一、色恋がどうこうということと、彼女とは関係があるまい。いや、それ以前に、色恋にうつつを抜かすなど……」

「知らないのですか? シオン陛下。激しい恋を成就させた男女から生まれた子のほうが、王の適性を持つ子が生まれてくることが多いのだそうですよ」

 キースウッドは、まるで出来の悪い弟を諭すような口調で言った。

「なに……?」

 シオンは一瞬、目を見開いてキースウッドのほうを見つめてから……。

「……それは、確かに由々しき問題だな。そうか……善き王の資質を持った子を成すために、色恋が必要とは……」

 ことのほか真剣につぶやくシオンに、キースウッドは苦笑いを浮かべた。

「シオン陛下、さすがにもう少し、そちらの方面のことも学んでくださいよ。そうじゃないと、気軽にジョークも口にできない」

「こいつ、国王をからかおうだなんて、不敬が過ぎるぞ!」

 シオンはニヤリと口元だけ笑みを浮かべ、軽く拳で忠臣の肩を叩いてから、

「しかし、まぁ、わかった……。そうだな、ここ最近、少し根を詰めすぎていたかもしれない。今の仕事が片付いたら、少し考えてみることにしよう」


 けれど、その機会は訪れることはなかった。

 それからも、シオンのもとには多くの厄介事が舞い込み、そうこうしている内に時は過ぎていき……。彼は、その弟と親友とを自らの手で処刑することになる。


 だから、これは彼が最後に笑った時の記憶だった。

 親友と馬鹿話をして、笑うことができていた頃の……最後の記憶だった。

 かくて時は流転して……。

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