第百四十一話 大事に育ててきたものを枯らさないために
アベルもシオンも、ミーアが慈悲深い聖女のような存在であると微塵も疑っていないわけであるが……、もちろんそれは誤りである。
言うまでもないことながら、ミーアは別に慈悲をかけているわけではなかった。
ミーアは聖女でもなければ、特別広い心を持っているわけでもない。むしろ、どちらかというとちょっぴり狭い方だ。
嫌なことをされれば相応に腹が立つし、目の前の男たちのせいで自身がギロチンにかけられたと思えば、あえて助けてやろうなどとは思わない。
かといって、ディオンが考えているように、何か不審を抱いたわけでもない。
では、なぜ、そんなことを言い出したのかといえば、一つの不安に囚われたからだ。
すなわち……、
――わたくしが与えられたようなやり直しの機会が、この方たちに与えられる、なんてことはないのかしら?
自身が時間転生を経験している以上、ほかの人間も同じチャンスを得る可能性は否定できない。
――だとすれば、その条件はなにかしら?
はっきりとはわからない。わからない以上、実際にそれを経験した自分を基準に考えるしかない。
例えば、あの日と同じ日、同じ時間の同じ場所で殺されることとか……。
あるいは、ギロチンで首を落とされることとか、無念を残して死ぬこととか……。
――この陰謀の関係者が処刑されたら……、なんて可能性もあるかしら?
ともかく、自分と同じような殺され方をした目の前の男たちが、やり直しの機会を得てしまったら、どうなるか?
せっかく今まで頑張って歴史を改変してきたのが、すべてひっくり返されてしまうかもしれない。
――ぎっ、ギロチンに逆戻りなんて、まっぴらごめんですわ!
それは、転生してから一貫してミーアを囚える想いだ。でも……。それ以上に強い一つの感情があることを、ミーアは自覚する。
――それだけではございませんわ。わたくしは、今の、この「時」が気に入っているのですわ。
ミーアは視線を巡らせた。
この場にいる者たち……。
かつて敵だったシオン、その従者であるキースウッド、さらに自分の首を落としたディオン。
そしてまた、かつては他人も同然だったアベルがいて……。
ここに来るまでに手を貸してくれたティオーナがいて、クロエがいて、ラフィーナがいて……。
アンヌとルードヴィッヒだけだったミーアの周りは、今やたくさんの仲間たちであふれていた。その温かな世界を、ミーアは、思いのほか気に入っている自分を見つけて、少しだけ戸惑う。
シオンやティオーナにすら、今のまま自分のそばにいてもらいたいと思っている自分に気づいて……、
――べっ、べつに、あなたたちのことを好きになったわけじゃございませんわ! 勘違いされては困りますわ!
などと、ついつい心の中でツンデレてしまう。
ちなみに、ディオンに関してだけは変わらない。
――できれば、あんまりお近づきになりたくないですわ……。
ブレないミーアである。
「アベル、あなたのこと、困らせてしまうってわかってますけれど、でも……」
不安げに言うミーアに、アベルは、苦笑いを浮かべて首を振った。
「ああ、わかった。君がいなければ、こんな風に解決はできなかったわけだしね。父上は……ボクがなんとか説得してみようと思うよ」
「だが、仮に彼らを処刑から助けたとして、どうするつもりだ?」
シオンのもっともな問いかけに、ミーアはきょとりん、と首を傾げた。
「んー、そうですわねぇ……」
ミーアとしては正直なところ、生かしてさえおいてくれれば、ほかのことはどうでもいいのだが……。
――レムノ王国で投獄だと暗殺とかされそうですし……、サンクランドで投獄というのは、レムノ王国の側が納得しないでしょう。ティアムーンに連れて行ってもよろしいですけれど……。
と、その時だった。
「おいおい、本気で俺たちを生かしておくつもりかよ? とんだお人好しだなぁ」
ニヤニヤ笑うジェムの憎らしげな顔が見えた。
――こいつ、なんかちょっとムカつきますわ……。
微妙にイラっとしたミーアは、ふいに思い付いた。思いついてしまった!
究極の嫌がらせを!
「ああ、そうですわ。でしたら、ラフィーナさまのもとに預けて、三年間ぐらい毎日お説教していただく、というのはいかがかしら?」
ミーアの提案に、シオンもアベルも納得の表情を浮かべた。
実際のところ、その提案はミーアにしてはまっとうなものだった。ヴェールガに預けるというのは、もっとも文句が出づらいはずだったから。
ディオンあたりは「甘いなぁ……」とつぶやいていたりしたが、それもまた妥当で、かなり温情のある沙汰と言えた。
実際、白鴉のほとんどの者たちは拍子抜けした顔をしていた。
……しかし。
「ふっ、ふざけるなっ! そんなナメた真似をっ!」
ただ一人、ジェムだけが血相を変えて叫んだ。その顔は、わずかばかり青ざめて見えた。
先ほどまで憎まれ口を叩いていた男の、焦っている顔を見て、ミーアはにんまり意地の悪い笑みを浮かべた。
「あら、拷問でもなんでもしてみろ、ではなかったかしら?」
いい気味ですわ! と笑うミーアは……、けれど知らなかった。
この提案が、どのような意味を持つのか……。
この判断が歴史の陰に潜む闇を暴き出す、その最初の一撃になるということなど……、夢にも思わなかったのだ。
かくて、一連のレムノ王国の騒乱は終息へと向かう。
懸念されたランベール、リンシャ兄妹をはじめ、革命軍の中心メンバーにも、温情が与えられた。
ミーアの意を汲んだルードヴィッヒが意気揚々と王都に赴いて説得したのだ。
曰く、自国内の民の責任を問えば、サンクランドの非が軽くなりはしませんか? と。
責任を分散させず、サンクランドのみに帰することで、より多くの利を引き出すのが良いのではないか、との彼の言に、レムノ国王が耳を傾けたのだ。
そうして、騒動を無事に治め、学園へと帰還を果たしたミーアは、中間試験なるものに泣かされることになるのであるが、それはまた別の話である。