第七十一話 将来すら見据えた帝国の叡智の広い視野
「オリエンス女大公の名を高めているのは、その『知』を重んじる姿勢です。彼女は、ただ闇雲に過去にしがみつくだけの、保守派ではありません」
「ほほう。と言いますと?」
「なんでも女大公は、国境を守るため一番大切なことは相手を知ることである、と言っているそうで。サンクランドの正義、価値観、常識を保ちつつも、他国から流入する知識を、むしろ積極的に研究し、活用しているようです」
「他国の物であっても、有用なものであるなら積極的に取り入れていくと、そういうことですわね」
その姿勢には、ミーアも賛成だった。
――国の別を問わず、美味しいものは美味しいわけですし。変に、国にこだわっていては、真に美味しいお菓子には巡り合えませんわ。
蜜玉を始め、どこ由来のお菓子でも積極的に食し、美食を極めんとする帝国の美食家ミーアは、非常に柔軟なお腹の持ち主なのだ。
「保守派の貴族の中には、今までのやり方を『今までのやり方である』というだけの理由で守ろうとする者たちが多い。新しいやり方を『新しいから』という理由で毛嫌いし、他国のものを『サンクランドのものでないから』と言って否定する。そのような者が多くある中で、オリエンス女大公は思考の柔軟さを失っていません。手ごわい相手と見るべきでしょう」
「なるほど。それは確かに厄介ですけど、逆に言えば頭ごなしにはせず、きちんと話を聞いて、合理的に判断してくださる方とも言えるのかしら……?」
と言いつつも、思わず悩んでしまうミーアである。
――ともあれ、説得は容易ではございませんわ。サンクランドの状況を鑑みるに、オリエンス大公家と王家との縁談は、王家の権威を強め、サンクランドの結束を強める良い手でしょうし……。今のところ、ティオーナさんと縁談するメリットのほうが劣る気がしますわね。
長きに渡り、国境を守ってきた親戚筋との結びつきを強めることは、改革を志すシオンへの強力な牽制となるだろう。それゆえに、ナホルシアはなんとしてでも話を進めたいところだろう。
それでも、ミーアに諦めるつもりはない。
なにしろ、ミーアは身分違いの大恋愛が大好物なのだ! 帝国辺境域の弱小貴族であったティオーナが大国サンクランドの第一王子と恋に落ちるだなんて、実にロマンチックこの上なし! なんとしてでも、その成就を見てみたいではないか!!!
……なぁんて、不純な動機も、まぁ、ないではないのだが……結局のところ、ミーアは思っているのだ。
単純に、お友だちの恋愛を応援してあげたい、と。
――それに、せっかくエメラルダさんが探してきてくれた教師候補ですし、そちらもなんとか確保したいところ。
レムノ王国に学校を建てるデメリットをあれだけ強調し、誰もこんな依頼受けないだろう、と事前に言っておきながら、それでもなお勧めてくる人材なのである。
――きっと、ご立派な方に違いありませんわ。逃す手はございませんわ。
ティオーナの恋愛成就のため、そして、将来の義姉との良好な関係維持のためにも、ここで引き下がるわけにはいかない。
ミーアは、目を閉じ、静かな口調で言った。
「ルードヴィッヒ、今回のサンクランド行きには、あなたも同行していただきたいですわ」
相手が話が通じるタイプの合理主義者であるならば、ルードヴィッヒの存在は大いに頼りになる。
ということで、今回はルードヴィッヒ&ディオン&専属近衛隊選抜部隊を揃えたフルスペックで臨むことを心に決めたミーアなのであった。
「ご命令とあれば、もちろん従います。ただ、その前に確認しておきたいのですが……、ミーアさまは、ティオーナさまとシオン殿下との縁談を積極的に進めていきたいとお考えである、と、そのように理解してもよろしいでしょうか?」
「ええ、そうですわね」
特に考えるでもなく、あっさりと頷くミーアである。
そんなミーアを見て、ルードヴィッヒは思っていた。
――なるほど。ミーアさまは女帝になられた後の勢力図を意識されているのか……。
今のところ、ミーアと四大公爵家の関係は良好と言ってよい。各公爵家の次世代の者たちとは友誼を結んでいるし、その結びつきは非常に強固なものだ。
けれど、万全に見えるそれが未来永劫、決して変わらぬものと言えるかというと、いささか不安は残る。
もしも、大貴族に対して不都合な政策をしなければならなくなった時、四大公爵家が一斉に反旗を翻すかもしれない。元より、ミーアと距離を置くブルームーン公はもとより、現状では友好的な関係を築いているレッドムーン家も、事と次第によってはわからない。
少なくとも「絶対に、何があっても味方する」とは言えないのではないだろうか。
イエロームーン家に関しては、絶対の忠誠を得ていると言えなくもないかもしれないし、グリーンムーン公爵令嬢との友情からグリーンムーン家が敵に回ることは考えづらいのかもしれないが、それだけではやや不足だ。
どんな時であってもミーアに味方をする勢力、女帝派は、やはり必要であろうとルードヴィッヒは考えていた。その中核となるルドルフォン家がサンクランドと関係を深めておくのは、なるほど、政略としては妥当なことだろう。と……ルードヴィッヒが納得しかけたところで、
「わたくしは……シオンには、慈悲の心を忘れぬ王になっていただきたいと思いますの。それに、ティオーナさんが彼のそばにいてくれれば、いろいろと話してくれるかもしれませんし……」
ミーアの言葉に、ルードヴィッヒはハッとする。
サンクランドは正義を標榜する国だ。
国王は正義の象徴にして、その守り手。
王権は悪を断罪し、人々の安寧を守るためのもの。神聖典の教えを極めて厳格に適用させたような国王の在り方は、あるいは、理想的統治者と言えるのかもしれない。
だが、政は綺麗事で済まぬこともある。
やむを得ず罪を犯す者もいるだろう。やむにやまれぬ理由というのも、この世界には存在している。それらをすべて一律に断罪するようなやり方は、わかりやすくはあっても、民の幸せには繋がらないのではないか。
ミーアは以前のサンクランド行きによって、その王のやり方を見、そのうえで、否の答えを出してみせた。
エシャール王子の断罪の先延ばし。赦される道を指し示した。
――あのミーアさまのお姿を見て、シオン王子も学ばれたのではないか……。そして、過去のサンクランドの在り方ではなく、新しい道を歩みだそうとしているのではないか……。それは、サンクランドの民にとっても幸せなこと……。
答えを問うようにミーアの顔を見つめる。っと、ミーアは静かに頷いて……。
「だからこそ、ティオーナさんには、シオンのそばにいていただくのが良いと、わたくしは思っておりますわ」
シオンの改革の歩みを助けるため……。彼のそばで対話し、諫める者としての役割を、ティオーナには期待している、と。
すなわち、それは、サンクランドの民のため。
ミーアは、帝国の中だけではない。サンクランドの民の幸福すら、視野に入れているのだ。
――ミーア姫殿下は、国が一国で建っているわけではないことをしっかりと把握なさっている。帝国だけが良いという考えが間違いであるとご存じで……。
そこまで考えて、ルードヴィッヒは首を振る。
――いや……、違うか。この方は、ただ、国の別に囚われず、民の幸福を望んでおられるだけなのだろう。
ミーアの広いひろーい視野に圧倒されるルードヴィッヒであったが……彼は……知る由もなかった。
「ティオーナさんが王妃になれば、シオンの動きを、こっそり教えてくれるかもしれませんわ。リオラさんが一緒に行っていれば、矢文とかで知らせてくれるかも……。わたくしがちょっと気分で圧政を敷いてしまったりとかして、シオンが怒っている、みたいな情報も教えてくれるかもしれませんわ! わたくしが将来的に何もやらかさずにいる保証など、どこにもないわけですし。うん、そう考えると、ぜひ、ティオーナさんにはサンクランド王妃になっていただきたいですわ」
などと……将来すら視野に入れた、広いひろーい視野でミーアが考えていることなど。