第六十六話 伝説のナニカ……
「それにしても、この夜蒸気すごいですね……」
ベルは、黒い霧のすぐそばまで行って、顔を寄せた。
試しに手を突っ込んでみても何も感じない。なにかに触れてる感覚もない。軽く手で扇いで、臭いを確認するも……。
「全然、臭いもない。これ、なんなんだろう?」
煙というのとも違う。ミーアが先ほど言っていた黒い霧というのが一番近い気がする。が……。
「ここに留まってる黒い霧という感じ……。うーん、リーナちゃんに聞いたらなにかわかるかも?」
「……蛇の知識でも、こんなの聞いたことない」
つぶやくパティに視線を向ける。っと、パティはちょっぴり青ざめた顔で、たなびく黒い霧を見つめていた。
――パティ、なんか、すごく怖がってるかも……?
ちょっと怖がってるぐらいなら脅かして、からかってやろう! という茶目っ気を出しがちなお姉さん、ベルだが、さすがに本気で怖がっている子どもを脅かすほど、その性格はひん曲がってはいない。
「お前だぁっ!」とか大声を出して脅かしてみたいかも! と一瞬、ほんのちょっぴーりと茶目っ気がチラリしなくもなかったが……あくまでも思い付きに過ぎないし、そもそも実行に移したりなんかはしない。
ちゃんとベルは空気が読めるのだ……読めるのだっ!
それはさておき……ベルは考える。
――うーん、ちょっと可哀想かも。そんなに怖がることないのに……あ、そうだ!
ふと、良いアイデアを思いつく。それから、ベルはパティのほうに笑みを向けて、
「こういう隠された場所ってワクワクしちゃいますよね。伝説の、古代の遺跡類が隠れてるかもしれませんし……」
そう、得体の知れない化物が潜んでいると思うから怖いのだ。
あの中に隠されているのが、伝説のもの、古代の黄金の都の遺跡だとか、歴史の影に消えた盗賊の宝だったりしたらどうだろう? ワクワクしないだろうか?
それこそ、ミーアが期待する、神聖典に登場する場所の痕跡などでも構わない。神の園があそこに隠されているなんて、想像するだけでワクワクするはずである。
――パティもその可能性に気付けば、きっと怖いなんて思わないはず……。
自信満々に、そう考えているベルだったが……。パティは、より一層、その顔を青ざめさせた。
「あ……あれ?」
首を傾げるベルであったが……。
「……伝説の、オッハッハオが……隠れ……てる、かも?」
ひっ、と息を呑むパティ。
そう、言うまでもなく、ナニカをどんなものと想像するかは、人によるわけで……。冒険好きのベルとお化けが怖いパティとでは、妄想する方向性がまるで違うのだ。
夜蒸気に視線を向ける。
黒くたなびく黒い霧が、一瞬、膨れ上がり、そのナニカが、中から現れそうな……そんな想像を、ついついしてしまって……。
目の前が真っ白になりかけて……っと、その時だった。
その耳に、元気な歌声が聞こえてきた。それは、特別初等部で習った歌だった。森の動物たちがお祭りのために集まって、みんなで踊って遊ぶ歌だ。
「……え? ヤナ?」
声のほうに目を向けると、ヤナが歌っているのが見えた。急にどうした? っと見つめていると、一小節歌った後、ヤナはパティに顔を向けて。
「ほら、パティも一緒に。怖かったり、不安だったりする時は、歌ってれば怖くなくなるよ」
戸惑うパティだったが、ヤナに促されるようにして歌ってみる。
見れば、キリルもニコニコと微笑みつつ、歌っていた。
そうすると……不思議と怖い気持ちが薄れてきた。
得体の知れないオハッハオは、葉っぱの仮面をつけたでっかいクマさんの姿になって、イタズラ好きのリスが、その仮面を取ってからかったり、その周りをウサギさんが回っていたり……。
なんか、こう、フワフワした、ファンシーなイメージに頭の中が塗り替えられていく。
そうして、なんとか落ち着きを取り戻すパティの、その傍らで……。
ミーアは、歌う子どもたちの姿を見て、唸っていた。
なんだろう……その姿に、なにか、引っかかるところがあったのだ。
「ふぅむ……歌……歌、ですわね……歌……歌?」
閃きは、唐突に訪れた。
「……そういえば、あの歌のこと……完全に忘れておりましたけど……」
『霧の海』が静海の森のことだとわかってから、完全にミーアの頭から消え去っていたわけだが……。
「あの歌は故郷への帰り方を歌詞に込めたものだ、と当初は考えていたんでしたっけ……でも、その故郷は、ルールー族の里だけのことを指しているのかしら……。もしかして……この『故郷』には、人間そのものの故郷という意味も含まれている、とか、そういうことはあり得ないかしら……」
人間そのものの故郷、すなわち始まりの場所である「神の園」である。
「あの歌が、ルールー族から離脱した者……『愚かなる末息子』と後の世に呼ばれることになる人物によって持ち出された秘伝の知識に関するものだったら……この夜蒸気の先の故郷……神の園への行き方を表しているということはないのかしら……。あの、月と日の件とか怪しいですし……」
ヤナは、ヴァイサリアン族の族長の直系に近い血筋であった。その彼女に伝えられた歌に、なにか、重大な意味が残されているように感じられてならなかった。
「ハンネス大叔父さまに……助力を求める必要があるかもしれませんわ。並行して、ベルの考えた少しずつ調査範囲を広げていくプランを進めていく……。そのようにできればよいかもしれませんわね」
ミーアはもう一度、夜蒸気のほうに目を向けた。
――あの中を、いちいち全部探し回るのは、骨が折れそうですし……暗い中に入るのは怖そうですし……。できれば、楽できるのが一番ですわね。
楽をすること(こうりつ)を重視するミーアなのであった。