第六十五話 みーあーくみーあーく
ところ変わって、聖ミーア学園。
パライナ祭の準備は着々と進んでいた。
教室にこもり、書類をまとめていたのは、聖ミーア学園一の秀才、セリアであった。
パライナ祭で発表する『帝国の叡智式君主論の実践』
それは、ミーアがこの帝国で、各国で実践してきたことの教育、産業、商業、平和への影響を目に見える形でまとめたものであった。いわば王権を保障する、神聖典の適用の実例とも言えるものだ。
民を安んじて治めるため、帝国の叡智がなにを努力し、なにを成し遂げてきたか。それを各国の王侯貴族に見せつけることで、揺るぎない範を示そうというのだ。
「これをミーア姫殿下は成された……だからこそ、叡智と呼ばれるべき方なんだ……」
ある程度出来上がった資料を眺めて、改めて、そのすさまじさを実感する。
ミーアのもたらした変革……、数多の宣言の影響や貴族に与えた薫陶、商人と成した画期的な契約などを事細かに見ていき、そのあまりの実績に目が回る思いだった。
けれど、真にすごいのは……。
「それが、なんのために行われてきたのか、ということだ……」
ミーアの最大の功績は、やはり、飢饉の阻止だろう、とセリアは見ていた。
その未来予知とも言える予測力と、粛々と進めてきた対応策。
大陸全土の農作物の不作に対して、ミーアネットという実行力を行使しつつ、混乱を抑え込むために発せられた、知恵に富んだ言葉の数々。
ミーアのそれらの力、叡智としか言いようのない優れた才能は、されど、すべてが民を、国を、安んじて治めるために用いられている。一切、自分のためには用いていないのだ。
「だから、ミーアさまは帝国の叡智なんだ……」
力は、ただ強いだけでは意味がない。使い方を誤れば、それは人を殺す災厄となり得る。
お金もそうだ。使い方次第で生きもすれば、腐りもする。
「ミーアさまは、優れたお知恵をお持ちだけど、それを善きことのために使える……。だから、叡智と呼ばれるんだ」
そんな素晴らしい素晴らしい人のことを……。
つまらない一生を過ごすはずだった自分を見出して、救い上げてくれた恩人のことを……。
朗らかに、高らかに、世界に告げ知らせることに、セリアは意義を見出していた。
それこそが、世界を良くすることであると本気で信じているのだ!
実際、グロワールリュンヌの学生の中には、ミーアのしてきたことを一切知らない生徒が大勢いて、セリアは驚いてしまった。
ドミニクなどはそれを見て呆れていたが、セリアは、むしろ、パライナ祭の意義を感じていた。
――休止していたパライナ祭を再開する意義……世界を、今より良いものにするために……。
……事態は、ミーアが想像するより深刻だった。
聖ミーア学園の俊英、リーダー役のセリアは確信を持っていた。
「ミーアさまが成してきたことを、ただ素直に、純粋に、みなに見てもらおう」
なにも虚飾を施そうとはしていない。虚飾に塗れた情報を流す必要をセリアは一切感じていない。
むしろ余計な誇張は、敵対者からの批難を生む。結果、ミーアが実際にしたことさえも、疑いをもたれてしまうかもしれない。
だから、そんなこと、しなくていいのだ。
「素材が良いのならば、そのまま出してしまえばいい」
かつて、ミーアは「新鮮なキノコならば生で食べてしまっても構わないのではないかしら?」などとつぶやいていたというが、それと同じことである……いや、たぶんそれとは違う。
ともあれ彼女は、ただ淡々と粛々と、事実を陳列しようとしている。
ミーアが成してきたこと、その功績を包み隠さず、誇張なく、パライナ祭で発表しようとしていたっ!
ゆえに、「それは、さすがに言い過ぎですわ」とか「さすがに誇張が過ぎるのではないかしら?」とか……「あなたの目にはそのように大げさなことに見えていたのですわね」なぁんてことすらも……言えなくなってしまう。
ミーア自身が虚飾や誇張を指摘して、少しでも自身の名声を下げようとか……そんなことが許されない状況になりつつあった。
つまり、まぁ、要するにミーアが思っている以上に……ヤバイことになりそうなのであった。
さて、仕事が一段落して、セリアは大きく伸びをした。
「少し……お茶でも飲もうかな……」
そうして食堂に向かった彼女は、そこで、顔馴染みを見つけた。
「あれ? ワグル、もう帰ってたの?」
「ああ……セリアか」
顔を上げたワグルに、小さく首を傾げる。なんだか、ちょっぴり肩を落としているように見えたからだ。
「どうかしたの?」
ワグル・ルールーとセリアは、幼馴染だった。
同じ新月地区の孤児院で一時期を過ごし、その後、共に聖ミーア学園に通うことになった、ある種の仲間であった。
そんな彼が消沈している様子が、なんとなく気になった。
――確か、ルールー族の村でミーアさまに会っていたはずだけど……。
「祖父ちゃんに怒られた。ミーアさまが俺に声をかけなかった理由を考えろって……。今は、パライナ祭の準備に全力を尽くす時じゃないのかって……」
その言葉に、セリアは、なるほど、と納得する。
ワグルの祖父である族長の言い分は、正論だった。
――だけど、ワグルの気持ちもわからなくないかな……。
彼の分もお茶を取ってきて、その正面の席に座る。っと、ワグルが顔を上げた。
「一応、誤解のないように言っておくけど、別に祖父ちゃんに怒られたからへこんでるわけじゃない」
「うん、知ってる」
お茶を一口。
「ミーアさまにお会いできなくって気落ちしてるっていうのでもない」
「うん……」
「…………いや、少しはあったかもしれないけど、だからってそれで落ち込んでるんじゃない。誤解しないでほしい」
「そう……」
相槌を打ちつつ、のんびりお茶を飲み、ホッと一息。
基本的に、自分の心なんか自分でもわからないものなのだ。だから、とりあえず、こうやって話すうちに考えがまとまってくれればいいな、と思うセリアである。
ワグルは、それから、しばらく考え込んでから……。
「ただ、ミーアさまに期待されてるんだとしたら……それに応えられるのかって心配になった。俺にできることなんか、なにかあるのかなって……。俺はセリアやセロみたいに勉強ができるわけじゃないし、ドミニクみたいな発想もできない。木を削るのは好きだけど……」
「ミーアさまの像を作ってたよね、いろいろと」
クスッとセリアが笑うと、ワグルはちょっぴり胸を張って。
「ああ、ヴェールガの聖女さまは毎年、肖像画を描かせて売ってるって聞いたから、ミーアさまも同じ感じで木像を作って売ったらどうかなって思ったんだ」
なんと、ミーアの与り知らぬところで、ミーア小型人形化計画は、着々と進行中だった! 魔窟のポテンシャルとバイタリティは半端ではないのだ。
「パライナ祭のマスコットにどうかってドミニクさまも言ってたよね。あれは派手にしようってつけた宝石のネックレスが頭のところで引っかかって、変な感じになっちゃったけど」
ちなみに、ミーアの周りに光の弧がついたそれは、偉大なものの名は繰り返すルールー族の風習に従い、「ミーアークミーアーク」と呼ばれていた……。
危うくパライナ祭のマスコット『ミーアークミーアーク』が誕生してしまうところであった!
ドミニク・ベルマンの発想は、いずれ、世界の壁を突破してしまうかもしれない……まぁ、それはともかく。
「確かに、ミーアさまの像を作るのは楽しいよ。今度のパライナ祭でだったら、俺にできることもあるかもしれない。だけど、ずっとそれをして生きていくのかって言われたら……どうなのかなって。最近、考えるんだ。俺はこの先、どんな仕事につけばいいんだろうって」
思いのほか真面目な悩みに、セリアは目を瞬かせた。
それから、お茶をもう一口。
熱くて、甘い紅茶……。それは、あの日、孤児院で寒さに凍えていた時に、みんなで飲んで温まった記憶を思い出させた。
あの場で、共に寒さと空腹に耐えた仲間のため、その悩みに真っ直ぐに向き合うため、セリアはそっと口を開いた。
「ワグルの強さは、ルールー族の出身でありながら、帝都の孤児だったことだと思う」
「それって強さなのか?」
「うん、そう思う。ワグルは、帝国に恭順する少数部族の気持ちが理解できる。同時に、ミーアさまに救われた経験もある。だから、今後、同じように少数部族を帝国が受け入れようとする時、必ず役に立つ」
「そうかな? どう役に立つのか、俺にはわからないんだけど……」
少し考えて、セリアは続ける。
「ミーアさまは、たぶん、武力に頼った関係の築き方をしない方だと思う。だからこそ、必要なのは、力のある言葉を話せる人なんじゃないかな。少数部族ルールー族出身のワグルの言葉は力を持つ。他の少数部族の人たちに届く言葉になり得ると思う。だから……」
セリアは一度、言葉を切る。その言葉をワグルに言っても良いものか、一瞬だけ考えてから……。
「こんなこと言ったらいけないのかもしれないけど、私は、ワグルがうらやましい」
「そう……か。俺にもできることがあるのか」
ワグルは、腕組みして、何事か考え込んでから……。
「それにしても、武力じゃなくて、言葉で、か……」
それは理想だった。
多くの者が綺麗事に過ぎないと斬って捨てるような……言い訳して、目を逸らすような、でも、いつの時代も光を失うことのない理想だ。
それを、いったいどれだけの統治者が実現できただろうか?
自分たちとは異なる者たちとの対話と相互理解、ある種の妥協と、最終的な納得によって物事を動かしていくなんて……。凡百の指導者はもちろん、選ばれた賢王ですら、到底できないことで。
それでも、この先、きっとミーアは、武力と脅迫によって他国を、民を、従わせるようなことはしないだろう……とセリアは確信していた。
いつの間にやら、ミーアは統治者の中の統治者、理想の体現者、すなわち、天がこの帝国に遣わした偉大なる指導者という認識になりつつあった。
ミーアの忠臣中の忠臣、ルードヴィッヒと若きミーアエリートたちの心が重なった瞬間であった!
まぁ、もっとも……実際のところミーアは、武力の脅しで作った関係は、武力を失った時に破綻するどころか、やり返される恐れが高いと思っているので、確かにそのようなやり方は好まない。
なので、完全な的外れとも言えないところが、なんとも難しいところであった。
そんなこんなで、ワグルとセリアは、ひとしきり「ミーアさま、スゲェ!」で盛り上がり、
「とりあえず、頑張りましょう。聖ミーア学園の一期生として」
「おう。あの孤児院の出身者としてもな」
そうして、若い二人の男女は大いにモチベーションを高めるのであった。
まぁ、要するに、またミーアはナニカやっちまったのだ。本人のまぁったく意図していないところで……。




