第五十四話 ミーア姫、ちょっぴり充実する
呆然とするティオーナにミーアは言った。
「以前……もう、だいぶ前のことになりますけど……。レムノ王国にみなで行ったことがございましたわね……覚えておりますわよね?」
あの日……あの危険なレムノ王国に向かおうとする日……。ミーアはみなに願ったのだ。
「わたくしは言いましたわ。アベルのもとに行きたいと……。その想いに応えて、みなさんが動いてくれましたわ。危険なレムノ王国に同行もしてくれましたわ」
それから、ミーアは真っ直ぐにティオーナの目を見つめて。
「わたくしは、あなたを助けたいと思っておりますの。そのためには、あなたの決意が……覚悟が必要ですわ!」
それがなければ、話にならない。
――シオンを攻め落とすには、その決意が必要不可欠なのですわ!
ミーアは知っているのだ。むしろ、熟知しているのだ!
シオン・ソール・サンクランドに対して「待ち」の戦術は不適切であることを!
なぜなら、ミーア・ルーナ・ティアムーンこそが、前時間軸、対シオン恋愛戦線における「待ち」の戦術の第一人者なのだから!
……そうだっただろうか?
――思えばシオンはいつでも後の先を取る戦術を取っておりましたわ。そんなシオンに対して、待ちの戦術は悪手。むしろ、苛烈な先制攻撃! アベルのように大上段に振り上げた剣で切りかかるような戦術こそが有効なのですわ!
ゆえにこそ、必要なのは覚悟だった。
思い切りシオンに踏み込み、一気呵成に斬りかかる、そのような覚悟が、どうしても必要なのだ。
……本当に、そうだろうか?
いささか疑問の余地は残るが……ともあれ、恋愛上級者の風格を身に纏い……恋愛……上級者? ……中級者……? いや、まぁ、初心者かもしれないけど……、ともかく、何かしらの風格めいたものを身に纏いつつミーアは言った。
「ティオーナさんのお気持ちを、ぜひお聞きしたいですわ。あなたは、シオンが好きではありませんの? シオンが、他の女性と婚儀を結んでしまっても、本当によろしいんですの?」
「わ、私は……」
ティオーナが、戸惑うように目を泳がせる。答えを探すように、キョロキョロと視線を惑わせて……。その頬は、仄かに染まっていた。
「私、私は……シオン王子のことが……好きです」
それを聞き、後ろのほうでベルが、ほわぁ! っと息を吐いた。
ミーアもついつい歓声を上げそうになる。
――ああ、なんと言いますか、過去で一番、パジャマパーティーらしい会話をしている気がいたしますわ! ついにわたくし以外でまともな恋バナができる人材が出てきましたわ!
なんだか、ちょっぴり充実してしまうミーアである。
まぁ、それはさておき……。
「王子としての責任に対して、民に対して、誠実に向き合う姿勢を、とても好ましく思っています。だけど……シオン王子は、サンクランド王国の第一王子殿下です。ゆくゆくはサンクランド国王になられる方です……」
苦しげに、でも、きっぱりとした口調でティオーナは言う。
「私みたいな、なにもない者が、その隣に立つことなんか、やっぱりできません」
それから、静かに目を閉じる。何かを思い出すように……。
「縁談のお相手は、サンクランドの大貴族のご令嬢。家臣の方たちのご様子から、とても慕われている方なのでしょう。きっとサンクランドの民からも祝福してもらえるでしょう。でも……私では、それは無理ですから」
疲れた笑みを浮かべて、ティオーナはうつむく。
「もしも……仮にシオン王子が私を選んでくれたとしても……きっと誰も祝福しない。民心の安寧を損なうことにすら、なるかもしれない。それは、シオン王子に余計な苦労を強いることになります。どうしてそんなふうに、私がご迷惑をかけることができるでしょうか?」
少しかすれたその声、憔悴したその様子に、リオラが小さく息を呑んでいた。アンヌも、あのベルですらも……同情の、気遣わしげな視線を向けている。
一方で、ミーアは少々意外の念を禁じ得なかった。なぜなら……。
「あら……あなたが臆しているだなんて、意外ですわね。あなたは、世が世なら帝国を簒奪だってする方ですのよ?」
ごくごく自然に、まるで当たり前のことを言うかのような口調で、ミーアは言った。
「なっ!?」
その言葉に、さすがのティオーナもパッと顔を上げた。
「そっ、そんなこと! 絶対にしません!」
思わずと言った様子で立ち上がったティオーナに、ミーアは落ち着いた口調で続ける。
「ええ。もちろん、わかっていますわ、あなたがそう答えるということ。あなたが本気であるということも。ですけど……、あなたはしますわ。もしも、わたくしが悪辣な皇女であったなら、民を苦しめる選択をしてしまっていたなら……帝国の貴族たちが暴虐を働いていたなら……あなたは臆することなく、それをいたしますわ」
あの帝国が滅びた世界で、ティオーナ・ルドルフォンは、革命の聖女として帝国政府を打倒した。自らが先頭に立ち、帝国を呑み込む流れを生み出したのだ。
巨大な権威にも臆することなく、貴族たちのマイナス感情も考慮せずに。
一切空気を読まずに踏み込む人……それこそがミーアの見るティオーナ・ルドルフォンの本質だ。ならば……。
「そんなあなたが王妃になることをどうだの、民衆からの祝福がどうだの、気にしてどうしますの? 臆することなど何もありませんわ。サンクランドの王妃なにするものぞ、ですわ」
グッと拳を握りしめてから、ミーアは言った。
「それにね、ティオーナさん、わたくしは思いますわ。結婚はあくまでも始まりに過ぎないのではないか、と」
「始まり……?」
「そうですわ。結婚式は盛大で、とても華やかな物、わたくしたちにとっては、大切な行事でしょう。ですけど、わたくしたち、貴き身分の者にとってはその後のほうがむしろ大事ですわ。結婚した瞬間に祝福されずとも、その後の振る舞いによって祝福されれば良いのですわ」
将来的に、ティオーナがサンクランド王妃として上手くやっていけることは、ベルから聞いている。ティオーナは目の前で人々の反応を見せられたから、それに心を囚われてしまったのだろうが、長い未来に目を向けるならば、そんなものは取るに足らないものなのだ。
「無論、苦労はするでしょうけど……それは仕方ないことなのではないのかしら? 人は、自分が蒔いた種の刈り取りを自分でしなければならないもの。ご自身の想いを通したならば、その選択の責任も苦労も……そして、喜びも自分で刈り取ることになるのですわ」
結局のところ、ミーアが行きつくのはそこだ。
どの道を選ぶにしても、人はその道を進まなければならない。
シオンへの想いを貫くにしても、諦めるにしても、どちらかをティオーナは刈り取らねばならないのだ。
ゆえに……。
「だから、わたくしがあなたに問いたいのは、ただ一つだけですわ。あなたの想いは、決意は、これからあなたを待ち受ける苦労に勝るものかどうか、ということですわ。もしも、そうでないのならば、諦めてしまうというのも選択肢ですけど……」
ミーアの言葉を、ティオーナは、ただ黙って聞いていた。
ややあって、彼女は静かに口を開く。
「ミーアさま……私は……」
言葉を探すように、選ぶように、途切れ途切れにティオーナは言った。
「シオン王子に……謝りたいことがあります」
それから、ミーアに真っ直ぐな瞳を向けて。
「一緒に、サンクランドに行っていただけるでしょうか?」




