第五十三話 ミーアキックで蹴っ飛ばせ!
「君たち姉弟は、本当に仲がいいな」
その日、シオン・ソール・サンクランドは言った。感心した様子で、ため息を吐く。
「そうですか? あまり意識したことはありませんでしたけど……」
「なんというか、姉弟でいる時にはすごく自然体というか、力が抜けているように見える」
それから、彼は肩をすくめた。
「エシャールと同じようにできたら、と思ってしまう。どうも、エシャールは俺の前にいる時に、どうしても緊張するみたいでね。聖ミーア学園の生徒たちや、グリーンムーン家では、そんなことはないみたいだから……良かったと思う反面、なんだか寂しくなってしまってね」
愚痴を口にする彼を見て、ふと、この人は思ったよりも器用ではないのかもしれない、と思った。文武両道、人当たりもよく、臣下や国民から慕われる天才、シオンにそんな一面があるのが、少しだけ意外だった。
「なるほど。シオン王子は優秀だから、やっぱり緊張してしまうのかもしれませんね。あとは、男の子同士だと、余計に意識してしまうとか……」
「そういうものだろうか? ならば、俺も姉であったなら、もう少しエシャールも素直に話をしてくれるだろうか」
一瞬、女装したシオンを想像し……あれ? 意外と似合ってるかも……? なんて、失礼なことを考えてしまって、ティオーナは小さく笑った。
「そうですね……。では、次にお会いする時までに何かできることがないか考えておきます」
「ああ。すまない。いつも愚痴を聞いてもらって」
「いえ、気にしないでください。シオン王子」
私とは、仲良くしていても誤解されませんから……。自身を卑下する言葉が口をついて出ることはない。
ただ、それを心でつぶやくのは変わらない。
それが、現実。ただもう少しだけ、この幸せな夢を……。
そう願わずにはいられなかったティオーナであったが……。
それは、突然訪れた、夢の終わりだった。
淡く、ゆっくりと育まれていたティオーナの恋心は、その日、唐突に断ち切られた。
今年の終わり、ミーアの誕生祭の前に、シオンはルドルフォン領に寄っていた。
聖夜祭が終わった後からだから、サンクランドに帰らずに直接、こちらに来たのだ。
エシャールとも会う約束をしていたらしい。
あの日の約束。エシャールと、どう接するか……。
きちんとセロからも話を聞いて、思いついたことがあったから、早くシオンに聞いてもらいたかった。
ウキウキしながら、シオンを出迎えに行こうとしたティオーナだったが、不意に気付くことがあった。
なにやら、同行するサンクランドの家臣団が、やけに嬉しそうな顔をしていたのだ。
「上機嫌ですね。なにかあったのですか?」
近場にいた護衛の兵に話しかける。年若い彼は、何度か話したこともある顔見知りだった。
彼はニコニコと嬉しそうな顔で声を潜めた。
「実は、ここだけの話なのですが、シオン王子にご婚約のお話があったのです」
「……え?」
「しかも、噂によれば、オリエンス女大公のご息女だそうで……。今回のサンクランドの企画展示も、実は、その後の婚約へと繋がるための共同作業なのではないか、なんて言われてるんです。なにしろ、あのサンクランド式温室は、オリエンス女大公が考案したものですから」
話を聞いた瞬間、ティオーナは衝撃に貫かれた。
なんとか感情のこもらない声で、それはおめでとうございます、とだけ伝えて、それから、辺りを見回す。見回して、しまう。
そうして、改めて彼らの顔に見えた祝福の色に、愕然とする。
――家臣に、民に……多くの人たちに祝福される縁談なんだ。
「やあ、ティオーナ! 久しぶりだね」
しばらくすると、シオンが部屋を訪ねてきた。父に挨拶をし、しばし畑を見てからこちらに来たらしい。
幸い、気持ちを落ち着ける時間はあった。穏やかな笑みを浮かべて、ティオーナは頭を下げる。
「ご機嫌麗しゅうございます。シオン王子、この度はご婚約おめでとうございます」
そう言うと、シオンは少し厳しい顔をした。
「その話、どこから……?」
「お付きの兵士の方から」
「ああ、そうか。支持する者も多いからな……」
シオンは、一つ頷いて、
「先に言っておくが、その話は断ろうと思っている」
その言葉に、ティオーナは首を傾げた。
「なぜですか? 良い縁談だと、お聞きしましたが……」
少しだけ、目を逸らして……。
「それに、みなさん、すごく喜んでいるようでしたし……。王としての縁談として、これに勝るものはないのではないでしょうか?」
「……君も……そう、思うのかい?」
シオンは目を見開き、少しだけ傷ついたような顔をした。
その、どこか寂しげな顔が目に焼き付いて離れなかった。
でも、それが正しいはずだ……。
なにしろ、サンクランドの大貴族との縁談だ。断る理由はない。
それに、パライナ祭の協力者だというなら、その機嫌を損なうようなことは避けるべきだ。
祭り自体が台無しになってしまうかもしれない。
ミーア学園の生徒たち、グロワールリュンヌの生徒たち、みんなの頑張りを台無しにするような真似はできない。
それに……そもそも、自分とシオンには何もない。
最初からわかっていたじゃないか。
ただ、自分は誤解されない、都合の良い立ち位置の人間だったのだ。
そうやって利用してほしいと、はじめから思っていたじゃないか……。
そうして、相応しい人と縁談があるまでの間、隠れ蓑として使ってもらって……彼の負担を少しでも減らせればいいって思ってたじゃないか。
それを忘れて舞い上がっていた自分が馬鹿らしくて、思わず笑いそうになる。
――そうだ……何を思いあがっていたんだろう……? 私は、しょせん、帝国の辺境貴族の娘だ。縁があって、皇女殿下や、王子殿下たちと仲良くしてもらっていただけだ。
自分がシオンと結ばれるなんて……そんな未来が、あるはずがない。どれだけ考えたって、そんな道が、あるはずがない。
「あなた自身の問題ですわね」
目の前、いつもティオーナの進む道を照らしてくれた、帝国の叡智が言う。
あの日、崩れ落ちたティオーナに、手を差しだしてくれた人が、無味乾燥に……端的に、問題の核心を突いた。
そうだ、あくまでも、これは自分の考え方の問題に過ぎない。
ティオーナは自らの迷いに、けじめをつけるように、頷いた。
――他ならぬ、ミーアさまがおっしゃられてるんだから。ただ、私が、心に整理をつけて諦めればいい。大丈夫、お祝いできる。おめでとう、って笑顔で言える。
ティオーナは覚悟を決めて、そのミーアの言葉を受け入れて……。
「私自身の問題……。もちろん、それはわかって……」
言葉は、途中で止められる。
手を挙げて、ティオーナを制したミーアはきっぱりとした口調で言った。
「あなたがご自分の気持ちに蓋をして、諦めろ、と言っているわけではございませんわ。わたくしは、あなたの意思を聞きたいと思っただけですわ」
そうして、ミーアは蹴り飛ばす。
ティオーナ・ルドルフォンの……淡い恋を閉じこめようとした、その心の箱のふたを蹴り開けたのだ!