第五十二話 心から、心の底から……
「なっ、なんと、シオンに結婚話が?」
一瞬の呆然自失から抜け出したミーアは思わず、ううぬっと唸る。
――ま、まさか、そちらのほうの恋の悩みであったとは、想定外ですわ。しかし、考えてみれば、シオンは、いささか性格に難があるとはいえ、顔はいいですし。剣の腕も立つ。一見すると爽やか好青年に見えますし、縁談の一つや二つ、あってもおかしくはありませんわね。うむ……。
腕組みしつつ、うんうん、っと頷き、
「まぁ、シオンもサンクランド王国の第一王子ですから、そういった話もございますでしょう。特に気にする必要などないのではありませんの?」
どうせ、シオンが好きなのはティオーナだろうし、普通に断るだろう、と思うミーアであったが、ティオーナは静かな口調で続ける。
「お相手はサンクランドの重鎮たるオリエンス公爵家のご令嬢なのだそうです」
「あー、オリエンス公爵家……あのナホルシアさまのご息女なのですわね」
先日、目の当たりにしたあの女大公の堂々たる態度を思い出す。
――確かに、それはいささか厄介かもしれませんわね。あの方、シオンやエイブラム王にも顔が利きそうでしたし、気楽に断れる相手ではないということかしら……。でも……。
ミーアは、ティオーナの顔を見つめる。
――それでも、シオンの性格から考えれば、縁談は断るのではないかしら。そして、ティオーナさんも、それがわからないはずがない。なのに、なぜ、こんなに消沈しているのかしら? そして、顔を合わせづらいというのは……。
恋愛(小説)経験豊富なミーアのピンク色の脳細胞が、ぎゅぎゅんっと加速していく。
ぎゅぎゅん、ぎゅぎゅぎゅんっ! っと、活発になった脳細胞は、やがて一つの結論を出す。すなわち……。
「ティオーナさん……もしや、あなた……自分で身を引こうとしているのではないかしら? その話を聞いた時、シオンに縁談の話を受ければいい、と……そう伝えたのではないかしら?」
ミーアの名推理に、ティオーナは目を見開いて……それから小さく笑った。
「さすが、ミーアさまですね……」
「そんな、どうして……?」
思わずと言った様子でつぶやきをこぼしたのは、アンヌだった。
そんなアンヌに、悲しげな笑みを向けて、ティオーナが言った。
「サンクランドの王子殿下の縁談に、私が口を出すのもおこがましいと思いましたけど、お相手は、シオン王子が相応しい家柄の方ですし、是非お受けするのがいい、と思いました。それに……」
「……パライナ祭のことを気にして、ですわね?」
先日のシオンの話を、記憶の彼方から引っ張り出してくるミーアである。
ミーアの記憶の彼方は、ミーアの肩でも届く程度の距離にあるので、一度、放り投げておいた記憶を再び拾ってくることも容易なのだ! 大変便利な帝国の叡智の記憶なのである。
「シオンは言っておりましたわ。ナホルシアさん考案の温室をサンクランドの企画展示として出すつもりだ、と。けれど、もしも縁談話を断って、あの方のご機嫌を損ないでもしたら、サンクランドが展示を出せなくなってしまうかもしれない、と……。そのようにお考えなのではないかしら?」
ミーアの言葉に、再び、ティオーナは目を見開いた。それから諦めたような顔で、小さく首を振った。
「シオン王子は、パライナ祭に向けてとても準備を頑張っていました。弟君のエシャール殿下の活躍をご覧になって、自分も負けていられないって。サンクランドが重要な技術を展示できれば、きっと今度のパライナ祭の意義も増すだろうって」
まるで、慈しむような口調でティオーナは続ける。
「それだけじゃありません。聖ミーア学園のセロたちも、グロワールリュンヌの方たちも、すごくお祭りのために頑張っていました。それなのに、もしもサンクランドが展示を出せなくなったら、祭りが台無しになってしまうかもしれません」
そう言って、ティオーナは笑った。ちょっぴり寂しそうな顔で。
「それに、大丈夫ですよ。もともとは……そういうつもりだったのですから。シオン王子は大国サンクランドの王子殿下。そのお相手が見つかるまでの間、私は、立場を気にせずとも良い、親しい友人としてお付き合いしていただけで……」
「以前も、言いましたわよね? ティオーナさん。わたくしの友として、堂々と振る舞え、と。あなたは、シオンを相手取ったとしても、決して引けを取らぬ方であると、今一度、わたくしが保証して差し上げますわ」
以前、パーティーで言った言葉を繰り返してから、ミーアは静かに続ける。
「それに、もしも、ナホルシアさまがシオンが縁談を断ったからという理由で、サンクランドの企画展示を邪魔するようであれば、そのような方の持ってきた縁談はシオンには相応しくありませんわ。恐らく、あの方は、それほど頑迷ではないのではないかしら?」
ナホルシア・ソール・オリエンスはサンクランドの国境を任される傑物だ。決して、愚かではない。ゆえに、もしも縁談話にパライナ祭の企画展示を絡めてくるならば、それは腹いせか、政治的な駆け引きか、なのだろうけれど……。
「感情に任せて、腹いせに邪魔をしたのであれば、その程度の方という話になりますし、政治的な駆け引きでパライナ祭の意義を見誤るというのであれば、やはり、そのような方の縁談話は、シオンには相応しくはない」
さらに、より確信のこもった口調で、ミーアは言った。
「なにより、そのような方の意向一つで、我が帝国の、セントノエル・グロワールリュンヌ両校の生徒のみなさんの企画展示までもが失敗するなんてことは、絶対にあり得ぬことですわ!」
大変、力強い口調でミーアは言った! 言い切った!
そうなのだ! ミーアは聖ミーア学園とグロワールリュンヌ学園の学生たちのことを心から、心の底から…………信用していない!
そう、信用など、決してしていないのだ!!
そもそもの話、帝国の叡智の統治論だのミーアの君主論だのと言う連中のどこに信頼を置けと言うのか!?
特別初等部の子どもたちに、ブレーキ役を期待するような連中の、どこを信用しろと言うのか!?
そんな連中の用意した企画展示には、そもそも成功もなにもないわけであって。
まぁ、だから、サンクランドの企画展示の成否についても、この際、問題ではないのだ!
――ヴェールガとの共同プロジェクトの水産物研究所の発表と、その後の世界会議で上手いこと言って、蛇がそう簡単に活動できなくさえさせられればそれでオーケーですわ。サンクランドの温室には興味がございますけど……それだとて、ガルヴ学長にでも言って開発してもらえば、似たような物が作れるのではないかしら? であれば……。
っと、そこまで考えてから、ミーアはティオーナに顔を向けて……。
「しかし、なるほど。そう考えると、確かにあなたのおっしゃるとおりかもしれませんわね」
「え……?」
瞳を瞬かせるティオーナに、ミーアははっきりと告げる。
「これは、あなたご自身の問題ですわ」