第四十九話 その頃のシュトリナは……
さて……ところ変わって、帝都ルナティア。ブルームーン家の別邸。門前にて。
馬車から降りたシュトリナは、心なしか消沈した顔をしていた。
涙を呑んで、親友ベルとの別行動を選択してしまったシュトリナだったが、早くも、その選択に後悔を覚えていた。
「あーあ、静海の森のハイキング、行きたかったな」
なぁんて、ため息を吐くことしきりである。
ともあれ、いつまでも沈んではいられない。
このまま落ち込んでいては、せっかくの別行動の意味がないではないか。
自分を奮い立たせたシュトリナは、顔をあげる。
見つめる先、そびえたつブルームーン家の別邸は、さながらお城のような威容を誇っていた。
ちょうど、サフィアスとカルラがいない間にヨハンナと会談できるよう、エメラルダに掛け合ってもらったのだ。ちなみにサフィアスは婚約者とデート、カルラはグロワールリュンヌでパライナ祭の準備に行っているらしい。
ブルームーン家の執事に案内され屋敷内へ。広い廊下を歩くことしばし、通されたのは豪勢な家具が揃えられた応接室だった。
広いテーブルの上には、すでに紅茶とお茶菓子が並べられており、部屋の主が紅茶を楽しんでいた。
「ご機嫌麗しゅう、ヨハンナさま。シュトリナ・エトワ・イエロームーン、参りました」
スカートをちょこんと持ち上げ、深々と頭を下げる。っと、その場の主、ブルームーン公爵夫人ヨハンナは、艶やかな笑みを浮かべた。
「ああ、来たか。聖ミーア学園以来かの、イエロームーン家の娘」
シュトリナに興味深げな視線を向けて、ヨハンナは笑った。それから静かに立ち上がり、テーブルから少し離れると、片手でスカートを持ち上げる。
「ご機嫌よう、イエロームーン公爵令嬢。今日はごゆるりと、我がブルームーン家の歓待を受けるがよい」
そうして勧められるまま、シュトリナはテーブルについた。それに合わせ、優雅にメイドが紅茶を注ぐ。
「ありがとう」
お礼を言えば、静かに会釈して、メイドは去っていった。
「さて、それで、グリーンムーン家の娘から手紙はもらっていたが……」
ふぁさり、っと、豪奢な扇子で口元を隠しながら、ヨハンナは目を細めた。
「なんぞ、妾に用があるとか……?」
その迫力、その鋭い視線に、シュトリナは察する。
――これ、もしかして、ヨハンナさまは、イエロームーン家が政争を仕掛けて来てると思って、警戒してるのかな……?
培われた蛇の目が、ヨハンナの緊張を正確に見抜く!
なるほど、ヨハンナは紫月花の会の代表として、長らく社交界を渡り歩いてきた人である。同時に武闘派な気質も持つ彼女としては、急に面会を求めて来たイエロームーン家の娘など、警戒してしかるべき類の人間なのかもしれない。
まずは、その誤解を解かねばならない。シュトリナは可憐な笑みを浮かべ……。
「まぁ、妾ほどのものとなれば、乙女の恋の悩みなど聞き飽きるほど聞いておる。まぁ、他家の若い令嬢の話となると、さすがに多少は緊張するが……安心して思う様に語るがよい!」
その言葉に、ひくっと頬が引きつる。
「いえ、あの、そういったご相談ではなく……」
「なんじゃ? 妾はまた、恋愛経験豊富な大人のレディーに、恋の悩みをするものとばかり思っておったのじゃが……。グリーンムーン家の娘の手紙にも、そのようなことが書いてあったが……もしかすると、道ならぬ恋に悩んでいるかもしれない、などと、そなたに母がおらぬことと、自身がその代わりを出来ぬことを気に病んで、ひどく心配しておったようじゃが……」
「うぐぐ……」
シュトリナ、思わず唸る。
エメラルダが、どうやら、完全な善意でヨハンナに手紙を書いたことを察してしまい、怒るに怒れないシュトリナである。
しかも、その悩みが完全にないわけでもないので、余計である。
胸に残るモヤモヤを、目の前のお茶菓子に向けそうになった刹那、不意に、己が父、ローレンツの、ちょっぴりふくよかなお腹が脳裏を過った。
イライラ、モヤモヤをお茶菓子にぶつけるのは危険、とシュトリナの中の乙女の心が告げている!
シュトリナ・エトワ・イエロームーンは少なくともその点においては、帝国の叡智を凌駕する賢者なのである!
ということで、お茶菓子を控え目にサクリ、サクサク、モグモグ、ゴクリ……とし。ゆっくりゆっくり、その甘味を味わってから、紅茶を一口。
そうして、落ち着きを取り戻したシュトリナは改めてヨハンナのほうを見て。
「実は、お聞きしたいことというのは、ヨハンナさまのご友人のことなんです」
「妾の、友……? というと……」
シュトリナは、静かにヨハンナの顔を見つめながら、続ける。
「アデライード・ルーナ・ティアムーン皇妃殿下のことです」
その名を口にした瞬間、ぴくっとヨハンナの目元が震える。扇子を畳み、テーブルの上に置いて……ヨハンナがグッと身を乗り出した。その眼光は先ほどまでとは比べ物にならないほど鋭いものだった。
「別に我が友との懐かしき思い出話を語りあかすことは、妾にとって苦ではないが……それを聞いてなんとする? 年長者の昔語りなど、そなたのような若き娘には退屈であろ?」
「そんなことはありませんけれど……」
っと言いつつ、シュトリナは、ヨハンナの瞳を見つめる。その視線の鋭さに察する。
いい加減な答えは危険。そして、心を誘導するような言葉がけも、この話題に関しては気が引けた。だから……。
「お願いいたします。まだわかりませんけど、もしかしたら、パ……、ミーア姫殿下のお役に立てるかもしれません。ぜひ、お話をお聞かせください」
背を伸ばし、交渉も何もなく、ただ精一杯の誠意を込めて、シュトリナは言うのだった。