第四十五話 ミーア姫、ちょっぴりスッキリする
「ときに、オリエンス公爵領というと……」
「サンクランドの南東の国境に当たる場所だね。古くは辺境伯と呼ばれる地位の人が治めていた所領だ。サンクランドが他国からの侵略を受けた際、先頭に立って国防に当たる場所だよ」
シオンの言葉を受け、ミーアはサンクランドの地図を頭の中に描く。
ざっくりと……こう、横に長い楕円形を意識し、右端下のほうをイメージして……。
「隣国との仲がこじれれば、たちまち戦場の最前線となる地。そのような場所を任せられる方は、あまりいないからね。ナホルシアさまのことを、父上は心から信頼しているんだ」
――なるほど、中央部に信用できる門閥貴族領を集め、地方に外様の辺土貴族を配する帝国とは、違う思想ですわね。
帝都を中心とし、領土を広げていったティアムーン帝国では、できるだけ皇帝のそばは信頼のおける者たちで固め、万が一にも裏切りそうな者たちは、辺境の地方貴族として見下してきた歴史がある。
――あるいは、いずれ国を崩す時のために、あえて鎮圧しづらい辺境に裏切りやすい者たちを置いて、あえて反感を買うように圧力をかけてきたのかもしれませんけど……。
ティアムーンが、国を安定的に繁栄させることを目的としてではなく、いずれ内乱によって、土地を汚すことを目的として建国されたことを考えると、そのような可能性は十分にあり得る。
――しかし、辺境伯……。わたくしの耳には田舎貴族と近いニュアンスに聞こえる爵位でしたけど……。サンクランドでは名誉ある地位なんですわね。ふむ……国が変われば言葉の印象も変わるということかしら……。
感心しつつも、ミーアは女大公ナホルシアに目を向けた。
見た目が強そうというわけではない。たぶん、武力的な意味ではクラリッサやルヴィあたりにも劣るだろう。にもかかわらず圧倒されるような存在感があった。
「本当は、シオン坊やとエシャール坊やがゴタゴタしている時にも、私が出張っていきたかったのですが、私が行けば却って場が混乱するとランプロン伯に止められてしまいまして。動きが取れずに困っていたのです。ミーア姫殿下には、その場を治めるために大変ご尽力いただいたとのこと、改めて感謝を申し上げます」
「いえ、わたくしなど、大したことはしておりませんわ。感謝など、滅相もないこと。ラフィーナさまを始めとした、わたくしの大切な仲間たちあってのことですから」
ぶんぶんと手を振りつつ、ミーアはふと考える。
――しかし、このオリエンス女大公をわたくしに紹介した意図はなにかしら……?
不思議に思い、シオンに視線を送ると、察してくれたのか、シオンが説明してくれる。
「実は、今度のパライナ祭では、サンクランド式温室の企画展示をしようと考えていてね。その考案者であるナホルシアさまは、ぜひ、君にも紹介しようと思っていたんだ」
「サンクランド式温室……? はて、聞いたことがございませんわね。なんなんですの、それは」
きょとん、と首を傾げるミーアに、シオンは朗らかに笑みを浮かべた。
「ガラスを使って、日の恵みを閉じこめておくための施設なんだ。これを使うと、気温が低い地域でも、農作物が作れるようになる」
それを聞き、ミーアは思わず仰天する。
「まぁ、そのようなものがございますのね! 知りませんでしたわ!」
咄嗟に記憶を探っても、そのようなものがあるとは、前時間軸でも聞いたことがなかった。
――さては、隠しておりましたわね! あの大飢饉の時期をどのように乗り越えたのかと思っておりましたけど……。ヴェールガからセロくんの寒さに強い小麦を提供されただけでなく、このような施設も活用していたのですわね。ぐぬぬ、ズルいですわ!
悔しげに唸るミーアに、シオンは苦々しい顔で首を振った。
「実は、サンクランド国王至上主義の、保守派貴族の間では、このような技術は他国に教えるべきではない、との声が根強くあってね」
「あら? その言い方では保守派の貴族すべてが悪だと言っているように聞こえますよ? 私のように、素朴に国王陛下の正義を信奉している者がいることを、お忘れになられては困りますよ、シオン坊や」
目を閉じ、澄まし顔で言うナホルシア。
はて? と首を傾げるミーアに、シオンが苦笑いを浮かべながら言った。
「ああ、そうでしたね。実は、ナホルシアさまは保守派貴族の重鎮でね。サンクランド式温室の情報提供を渋る貴族たちに一喝してくださったのは、この方なんだ」
「ふむ、サンクランドの保守派、というと、ランプロン伯らと同じ主張をされている、と?」
「当然のことです。サンクランド国王は常に正しく、強く、孤高であり、正義と公正を自国に、周辺国に敷いていくべきです。相談できる諮問機関など不要。そもそも、人は愚かなもの。弱き罪人。群れれば、そこには必ず、自己の利益のみを主張する者が現れ、利害の不一致から話し合いは硬直する。いつしか互いにののしり合い、争いが生まれる。そのような場所で正しい判断などできようはずもない。だから、シオン坊やが言うような議会などというものは……」
っと、そこで話題が逸れかけていたことを自覚したのか、ナホルシアは小さく咳払い。
それから、穏やかな顔で言った。
「それはそれとして、どの国の者であっても民を飢えさせるようなことがあってはならない。食料を安定させる知識があるのなら、それを自国のみで抱え込むなど、サンクランドの正義にもとることでしょう。今度のパライナ祭はあの知識を広めるちょうど良い機会になるのではないでしょうか」
そう言ってから、その瞳が知性的な色を帯び……。
「それに、我が地のガラス以上に質の良いガラスは、なかなか用意できませんから。あの温室をしっかり作ろうと思えば、必然、我が領地の職人の力が必要になりましょう。それは、結果的にはオリエンス領を富ませることになるかもしれませんし」
神聖典の教義、サンクランドの正義、そして、自領を富ませる領主としての視点。ミーアはオリエンスに、頑なな保守派ではない、老獪な領主の顔を見た気がした。
――このような方がいると、シオンもなかなかやりづらそうですわね。ふふふ、まぁ、わたくしだけが苦労するのも業腹ですから、せいぜい苦労すると良いですわ。
ちょっぴりと、すっきーりしてしまうミーアなのであった。
来週は一週間、投稿はお休みします。夏休みという名の特典執筆期間になります。
その翌週、8月4日にまたお会いできれば幸いです。