第百三十九話 わたくし、戦場から帰ったら…… byミーア
隠れて行く気がない……などとリンシャに揶揄されたものの……、
「館内にいる者たちよ。武器を捨てて、出てこい。我が名はシオン・ソール・サンクランド。すでに白鴉の企みは露見している。お前たちが戦う意味はない」
まさか、突入前に大声で呼びかける、などとは思ってもみなかったミーアである。
――本当にこれで大丈夫かしら?
思わず、不安になってディオンの方を見るが、ディオンは涼しい顔で小さく肩をすくめた。
「素直に信じるかは微妙なところですけどね。まぁ、迷ってはくれると思いますよ」
それから、ディオンは剣を抜いて肩に担いだ。
「それじゃあ、貴き方々、どうか我が後ろより前に出ぬように。うっかり前に出たら命の保証は致しかねますよ」
ミーアたちは、二手に分かれて館に潜入することにした。表からは、シオン、ディオンとアベル、それにミーアとアンヌである。
アンヌはともかく、ミーアが完全におまけであることは言うまでもない。
ちなみに裏手にはリンシャとキースウッドが回っている。
「では、行きますか」
剣を一閃、ディオンが正面の扉を破った。
薄闇に包まれた屋内を確認し、ディオンはつぶっていた眼を開いた。それは暗い屋内に突入する際、すぐに視界を確保するための技術だったが……それが、功を奏した。
直後、ガィン、という金属音。
死角から突きだされた刃をあっさりと受け止めてディオンがうっすら苦笑を浮かべた。
「おっと、奇襲攻撃か」
死角からの、完全なる不意打ち。にもかかわらず、ディオンは驚く様子もなく、肩をすくめた。
「さすがは間諜、騎士というよりは、やり方が暗殺者めいてるなぁ。空間が限られる屋内なら剣を振り回せないとでも思った? それとも暗闇に目が慣れる前に倒してしまおうと思ってたとか」
やれやれ、と首を振って続ける。
「悪いが、その程度の突撃だったら、目をつぶってても対処できるよ。どうも剛鉄槍のせいで、期待値が上がってたかなぁ」
刃物を持った男の腕を思い切り握る。と、ミシリときしむような音がして、男の顔がわずかばかり苦痛にゆがむ。
ディオンはそのまま顔を寄せ、男の目を覗き込み、獰猛な笑みを浮かべた。
「ところで、さ。聞こえてたと思うんだけど、こちらにはシオン王子がついてる」
それを聞き、男が目を動かした。その視線の先には、まさに、そのシオン王子の姿があった。
「そんな仕事やってんだから、夜目は利くんだろ? よく確かめなよ」
いっそ優しげともいえるような口調で、ディオンは言った。
「おたくら白鴉とやらの企みも大体露見してるんだけど……まだやる? 命を捨てて、かかってくるというのなら、その覚悟に応えて容赦はしないよ」
言いたいことだけ言って、それから、男を思い切り蹴り飛ばした。
倒れる男の腕を踏みつけ、刃を鼻先に突きつける。
「投降しなよ。あと、仲間にもそう伝えてくれ。無駄な戦いはしたくないんだ」
それから、やる気なさげに剣を肩に担いで、ディオンが言った。
「あら、意外ですわね、ディオン隊長。てっきりあなたは戦うのが好きな方かと思ってましたけど……」
「それは心外ですねぇ、姫さん。僕だって相手を選びますよ。あんまり実力差があると、弱いものイジメになってしまいますからね。あの剛鉄槍みたいな使い手なら喜んで戦いますけど」
そう言って、倒れた男を冷めた目で見下ろす。それは、男たちの戦意をくじくには十分すぎるやり方だった。
自らが従う王家の王子が敵に回り、自分たちが決してかなわない強者が立ちふさがる状況。
どちらかだけならまだしも、その両方がそろってなお戦おうという気には、さすがにならないだろう。
投降した男に命じて、館内のランプを次々にともしていく。
と、その明かりに照らされたシオン王子の姿を見て、館の奥から、ぽつりぽつり、と武装解除した男たちが投降してきた。
――これは、なんとかなりそうですわね。
そんな様子を見て、ミーアは胸をなでおろした。
「ミーアさま、少し御髪が荒れてますね……」
安心したのはアンヌも同じだったのか、彼女はミーアの髪を見て小さくため息を吐いた。
「あっ、わかりまして? 実は、洗髪薬がいまいちで、アベルにいただいたものはもう少しヌルヌルしてた気がしますわ」
「ご安心ください、ミーアさま。ほら」
そう言って、アンヌは、ごそごそと懐を探って小瓶を取り出した。
「ちゃんと持参いたしました」
「まぁっ! 素晴らしいですわ、アンヌっ! さすがはわたくしのアンヌですわ」
ミーアは、アンヌから小瓶を受け取ると、それを抱きかかえたまま、くるり、くるり、と踊るようにスキップした。
……迂闊だったとしか言いようがない。
「わたくし、この戦いが終わったら心置きなくお風呂に入るつもりでしたの。楽しみが増えましたわ!」
ほとんど勝っている状況で……、戦場で決して言ってはいけないセリフを朗らかに、高らかに口にするミーア。
そんなフラグが回収されないわけもなく!
「はぇ?」
直後、ミーアは自分が足を踏み外したことを感じる。
ランプが照らしきれなかった暗闇、そこに唐突に口を開けていた地下への階段……。
「ひぃゃああああああっ!」
がくん、と体が投げ出される感覚、ぐるんぐるん、と体が回る。
やがて、ぱりん、っという何かが割れる音とともに、ようやく体が止まった。
「う、うう、気持ち悪い、ですわ」
ぐらぐら、と回る視界、その瞳が不意に一人の男の姿を映す。
「これはこれは、ミーア皇女殿下。お会いできて光栄です」
狡猾そうな笑みを浮かべて自分を見下ろしていたのは……、仲間たちからジェムの名で呼ばれている男だった。