第百三十八話 あの日と同じ夕陽の下で
ミーアの予想通り、リンシャはその建物の場所を知っていた。
「確か、もともと商人か何かの館よね。革命派の建物として使ったことはないと思うけど……」
その言葉で、さらに信ぴょう性は高まったといえた。素人である革命派の人間に隠されていたというのが、建物の重要さをかえって証明しているように思えるからだ。
ちなみにミーアから事情を聴いたリンシャは、二つ返事で案内を快諾してくれた。それは良かったのだが……。
「どうかしましたの?」
なぜだろう、マジマジと自身の顔を覗き込んでくるリンシャに、ミーアは首を傾げた。
「え、あ、ううん。何でもないんだけど……、まさか、ほんとにこの争いを止めてくれるなんて思わなかったから……。あなたのこと、てっきり……」
「てっきり……なんですの?」
首を傾げるミーアに、リンシャは無言で首を振る。
「……なんでもない。行きましょう」
「なんだか、ものすごく失礼なことを考えてたような気がいたしますけれど……」
ミーアは、微妙に釈然としない顔をしていたが、それでもリンシャの後について走り出した。
セニアはしんと静まり返っていた。道を行く者の姿は少ない。ほとんどいないといっても過言ではなかった。
「まずいな。これじゃあ、こっちの動きがまるわかりだ」
キースウッドは恨めしげにあたりを見回した。
「仕方ないわ。誰も無用な争いに巻き込まれたいなんて思わないでしょうし」
リンシャは肩をすくめてから、狭い路地に向かった。いくつかの角を曲がり、やがて……。
「あれよ!」
リンシャが指さす先に、大きな館が見えた。
館の周りには広い庭が広がっていた。身を隠せそうな植木などもなく、館まで遮蔽物もなさそうだ。
「どうする? 暗くなるまで待ってもいいけど……」
そのリンシャの言葉と同時に、あたりがほのかに暗くなったように感じた。
空を見上げたミーアは、
「ああ、もう、こんな時間、なんですのね……」
思わずつぶやき、微かに瞳を細めた。
いつの間にやら夕暮れ時が迫っていた。
赤い、燃えるように赤い夕陽が視界を焼く。
それは、まるで、そう……あの日のように……。
耳に届くは、罵倒の声。数多の憎悪の視線に晒されて歩く、心細さ。
あの日の孤独が蘇ってきて……。
――なんだか……、嫌な感じですわ……。
あの痛みの原因を作った者が、目の前の建物の中にいる。そう思うとふいに、ぞわっと背筋が粟立った。
ミーアは思わず腕をさするが、その身を覆う寒気はねっとりと体にまとわりついて、離れようとしなくって……。
「怖いのかい? ミーア」
「はぇ?」
ふと横を見ると、アベルがじっと真剣な顔で見つめていた。
「あ……アベル……、いえ、なんでも、ありませんわ」
ミーアは小さく首を振った。
だって……、ただ、似たような光景で昔を思い出してしまっただけなのだ。
それは、ただの気持ちの問題に過ぎないのだから……。
なのに……、アベルはじっとミーアの顔を見つめてから、そっと、ミーアの手をつかんだ。
「…………ぇ?」
突然のことに、ミーアはぴくん、っと体を震わせる。
「えっ、なっ、なっ、なっ!」
ミーアの心を占領していた不安感が粉みじんに消し飛んだっ!
優しく、ミーアの手を包み込むアベルの手のひら。温かな少年の温もりに、ミーアの口から、ほわぁっと息がこぼれた。
「突然すまない。昔、母上に、こうされたら落ち着いたものだから……」
言い訳するようにそう言って、アベルはそっと目をそらした。その鼻先は赤く染まっている。
「お、おお、お気遣い、ありがとうございますわ……アベル」
ミーアは耳の先まで赤くなりつつ、それだけ答えるのがやっとだった。
しかも、声はところどころかすれているし、微妙に震えてしまっていた。
いっぱいいっぱいである。
……ちなみに、あえて確認するまでもないことではあるのだが……、手を握られただけである。
それだけ! なのである。
……とっても純情乙女なミーアである。
「二人とも、どうかしたのか?」
と、その時、前を行くシオンが声をかけてきた。
――いっ、今、いいところでしたのにっ!
などと、内心でつぶやきつつ、実はちょっぴりホッとしてしまうミーア。
慣れない恋愛シチュエーションに、ミーアの小心は、早くも限界突破しつつあったのだ。
……手を握られただけなのだが……。
「お国の存続のために必要なのはわかってるけど、時と場所を選んだ方がいいですよ、姫さん」
ディオンが呆れた様子で、やれやれ、と首を振った。
「それに、さすがにまだ、お世継ぎを産むのは早いですよ」
「なっ! てっ、手をつないだぐらいで、子どもなんか産まれませんわっ! た、たぶん」
たぶんどころか、絶対になわけだが……、微妙に自信なさげなミーアである。
そんなミーアをかばうように、アンヌがディオンとの間に立った。
「ディオンさん、あんまりミーアさまをからかわないでください」
「ははは、ルードヴィッヒ殿といい、アンヌ嬢といい過保護だなぁ」
まったく反省した様子のないディオンを、ミーアは恨めし気な目でにらむ。
けれど、すぐに、その表情は柔らかなものになった。
あの日と同じ夕暮れ時。赤く不吉に染まった空の下……。けれど、一人ぼっちではないことが心強かった。
アベルがいる。シオンが、キースウッドが、ディオンがいる。
そして、すぐそばには忠臣のアンヌが、離れていてもルードヴィッヒが、ついでに宿敵だったティオーナまでもがいる。
――大丈夫、絶対にうまくいきますわ。
頷くミーアを、
「あんたたち、隠れて行く気、ないでしょ?」
ただ一人、リンシャだけが疲れ切った顔で見ていた。
土日休んでまた月曜日から。