第三十一話 キースウッド、追いつめられる……
聖夜祭の翌日のこと……キースウッドは穏やかな朝を迎えていた。
「いい、朝だな……」
柔らかな日の光に目を細め、小さく微笑みを浮かべる。それは、ミーハーベルなどが見ればきゃあきゃあ黄色い悲鳴を上げそうな、ちょっぴり色っぽいイケメンの笑みだった。
ふぅー、っと深く息を吐いてから……。
「いよいよ、か……」
一転、表情を引き締める。
特別初等部の子どもたちのヤバそうな計画を聞いて以来、情報統制に細心の注意を払ってきた。それも、今日で終わりだ。
「ここまでくれば大丈夫……。アンヌ嬢にも、ミーア姫殿下にサプライズのパーティーを準備している旨は教えてある。サプライズを強調したから大丈夫なはず……。モニカ嬢にも協力を依頼したし、例のカタリナというパティシエにもお願いしてある。大丈夫、大丈夫……なはず」
語尾が、微妙に自信なさげになる。
それも仕方のないことだろう。なにしろ、相手は帝国の叡智である。本国の諜報機関、風鴉の精鋭、白鴉を手玉に取った人物なのだ。その情報戦能力はダテではない。油断などもってのほかである。
「ともかく、今日さえ乗り切れば……。よし、頑張ろう。うん、頑張ろう!!」
気合を入れつつ、キースウッドは決戦の現場、調理場へと向かった。
室内には、すでにみなが揃っていた。
パティ、ヤナ、カロン、ローロの年長組の子どもたち、キリルを筆頭にした年少組の子どもたち。指導役として、ユリウス先生にモニカ、さらに、カタリナ工房からは助っ人のカタリナ嬢が来てくれていた。
「ということで、薄く焼いたケーキの生地にクリームを挟んで巻いていきます」
カタリナのてきぱきとした説明に、キースウッドは腕組みして頷く。
「なるほど、そのクリームの部分が年輪になる、と?」
「はい、その通りです。そして、そのロール(丸めた)ケーキの周りにヴェールガチョコレートとバターを混ぜ合わせた物を厚めに塗っていき、そこにフォークで溝を入れます」
カタリナの説明を受けて、子どもたちは恐々、作業を進める。
カロンとローロが年少組の女の子たちを手伝って、不器用な手つきでスポンジ生地を巻いていく。白いフワフワのクリームをたっぷり、たぁっぷり塗り過ぎたためか、巻いて圧縮する都度、ジュジュッと中から溢れ出てきた。
一瞬、失敗した! っと顔を曇らせる子どもたちに、
「クリームがたっぷりな分にはミーア姫殿下はお喜びになると思うよ」
というか、ここにミーアがいれば、あのクリームをスプーンですくってひと舐めしてそうだな……などと、失礼かつ非常にリアリティのある想像をしてしまうキースウッドである。
彼の言葉を受けて、安堵した様子の子どもたちは、作業を進めていく。
木の茶色を表すチョコ入りのバタークリームにフォークで節目を入れ、ケーキの周りをフルーツで飾り付けていく。馬形のクッキーを担当する子どもたちもいた。ちょっぴり焼き過ぎて、焦げてしまっているのもご愛嬌だ。
「子どもたちも飽きずによくやってくれてるな」
「ふふふ、それだけミーア姫殿下への感謝の気持ちが強いということなのでしょうね」
モニカが優しげな笑みを浮かべて、子どもたちを見ていた。
その表情を見て、キースウッドは少しだけ興味をそそられる。
自分は戦災孤児で、ここの子どもたちに共感を覚えているが、彼女はどうなのだろう、と……。
――モニカ嬢は、どのような経緯で風鴉に入ったのか、そう言えば聞いたことがなかったな……。
今度、酒を酌み交わす機会でもあれば、聞いてみるのも良いかもしれない。今日の祝勝会がてら、お疲れさま会を開いてみるか……。
などと、彼は考えてしまった……。先のことを、考えてしまった!
肝心なことは、まだ、何も始まっていないというのに!
油断した、まさに、その瞬間、不意に彼の耳が捉えた。
「……このブッシュ・ド・セントノエルが倒木を模したものならば……根元の部分にキノコがあったほうが自然なのではないでしょうか」
抑揚のない、そんな声を!
まさか、どこからともなくミーアが生えてきたのかっ!? っと視線を巡らせた直後、彼は見出す。
ミーア……と同じような白金色の髪の少女が、しかつめらしい顔をしているのを!
「せっかく、木の形にするならば、キノコなどがあったほうが、よりリアリティがあってよいのではないかと思います」
「あー、えーっと? パティ嬢……なにを?」
「……あ、キースウッドさん。ちょうどよかった。今、このブッシュ・ド・セントノエルの飾りつけについて相談していたのですが、やはり、倒木には小さなキノコが合うのではないかと……。ちょうど良いキノコをみんなで急いで探しに行こうかと……」
「きっ、キノコ……? い、いやぁ、ケーキにキノコはどうだろうか……」
引きつった笑みを浮かべつつ、説得にかかる。
「え? でも……」
「ケーキにキノコは合わないんじゃないかな? シチューとかならともかく……」
「……ですが、帝国の料理長は、ケーキに適さないと思われていた野菜を使ったケーキを作り出したとも聞きます。既成概念にとらわれない発想は、私たち特別初等部の武器でもあると思います」
年下の少女に突きつけられたのは、抜身の剣のごとき切れ味鋭い正論だった。確かに、若さに由来した、常識に囚われぬ自由さは彼らの武器だろう。そこから新しい良いものが生み出されることもあるだろう。が……!
――こっ、この少女は……危ういぞ! さすがはミーア姫殿下がおそばに置いているだけのことはある!
キースウッドは、認識を改める。
ミーアもベルもいないという極めて安全な状況に、唐突に現れた少女。剣を突きつけられたような緊張感を持ちつつ、キースウッドは問い返す。
「しかし、わざわざキノコでなくてもいいんじゃないかな? フルーツとかどうだろう?」
問いかければ、パティは表情一つ動かさずに首を振り……。
「それでは普通過ぎます。それに、確認したいのですが……ミーアお姉さまは、キノコがお好きです」
「……まぁ、それはそう、だね」
キースウッドは、ゆっくりと頷く。これを認めて良いものか、否定できないか、十分に検討しつつ慎重に……。
「今回は、ミーアお姉さまに喜んでいただくために、サプライズをするというお話でした」
再び、確認するように、パティは言う。
「ええ、まぁ、それはそう……」
「……では、お出しするケーキは、ミーアお姉さまに喜んでいただけるようなケーキにすべきだと考えます」
再び突きつけられたのは、揺るがしがたき正論だった!
キースウッドは、自らが押されていることを感じる。
――あの冬の日、戦狼二匹に立ち向かった時と同等……否、それ以上に追い詰められているのでは……?
冷や汗を流しつつ、なんとか言い返そうとするキースウッドであったが……。
「……キースウッドさん、もしかして……」
不意に、パティの声が低くなる。見れば、少女はジィっと上目遣いにこちらを見つめていて……。その、心のすべてを見透かすような、澄んだ瞳を見て、思わずキースウッドは息を呑み……。
「……もしかして、キノコ、嫌いなんですか?」
そういうことじゃねぇんだよなぁ! っと、キースウッドは頭を抱える。
パティは、心なしか、お姉さんっぽい雰囲気を身にまといつつ、うんうん、っと腕組みして……。
「とてもわかります。私も昔は、そうだったから……。だけど、慣れてしまえば、キノコも美味しいものですよ」
今は、克服しましたけどね? みたいなドヤァ顔で言った!
「……だから、今回、挑戦してみたらいかがでしょうか?」
紛れもなく……キースウッドは、追い詰められていた。