第二十六話 二度と戻ることのない光景を刻んで 1
冬も近づいたある日のこと。
「では、今日はこのぐらいにしましょう。パライナ祭に向けての準備もありますしね」
特別初等部の教室に、ユリウスの穏やかな声が響いた。
同時に、みなの顔に、どこか弛緩した表情が浮かぶ。
そんな中、ヤナは、チラリと隣の席に座っている少女、パティに目をやった。
――やっぱり、少し元気がないよな……。
最近、パティの様子が少しおかしい気がする。
ガヌドス港湾国で、あのハンネスという男と出会ってからしばらくの間、パティは明るい顔をしていた。よく見ないと表情がわかりづらいが、確かに笑っていることが増えたような気がする。
なのに、ここ最近、なんだか変だった。
以前までの、楽しみ切れない感じというか、楽しむことに罪悪感を覚えているような感じとはまた少し違う。どこか、思いつめたような顔をしていることが増えているし、らしくもなくボーっとしていることも増えてきた感じがする。
――まさか、テストの準備ができてないってことはないだろうけど……。パティだしな。
あまり勉強は好きではないヤナでさえしっかりと準備しているのだ。しっかり者のパティが、そんなことで思い悩んでいるとは考えづらい。勉強方面において、友人からの信頼が厚いパティである。
しかし、それでは、なぜ元気がないのか、と言われると、ヤナには特に思い当たる節はないわけで……。
それなら、直接本人に聞いてみればいいのに、ヤナには、それが躊躇われた。
――パティはあたしに相談してくれなかった。それなら、あまりあたしは首を突っ込まないほうがいいのかも……。
なぁんて考え事をしていたら、いつの間にやら、パティがいなくなっていた。
「ああ……もう」
胸の内に残るモヤモヤ感に小さく舌打ちする。っと、そこに歩み寄ってくる者がいた。
「よう、ヤナ。ちょっといいか?」
話しかけてきたのは、カロンだった。わずかに声を潜める彼に、ヤナはニヤリと悪い笑みを浮かべて、
「別にいいけど、なに? まさか、また何かを盗む相談とかじゃないでしょうね?」
肩をすくめてそう言うと、カロンは苦り切った顔で首を振った。
「悪かったよ、あの時は。全然、信じてなかったんだ、貴族も大人も。だけど、今は違うぜ?
ミーアさまのご恩を裏切るような真似は、絶対にしない」
その言葉で、ヤナは気付く。どうやら、カロンはあの時のことを思った以上に後悔しているらしい。それをからかうような真似をするのは、最低だ。
「ごめん。ちょっと……イライラしてた」
バツが悪そうな顔で謝れば、カロンは、苦笑いを浮かべて、
「まぁ、別にいいけど、それよりパティ、ちょっと様子が変じゃないか?」
っと、そこで話を聞いていたのか、ローロも近づいてきた。
「ここ最近、元気がないみたいに見えるね。どこか体調が悪かったり……あ、もしかして、食欲がなかったりは?」
少し心配そうな顔をするローロに、ヤナは首を振る。
「普通に食べてると思うけど……」
ちなみに余談だが……パティの食は細くない。
健啖家として広く知られるミーアにこそ及ばないが、同年代の子どもたちと比べても、遜色ないほどにはよく食べる。もりもり食べる。
クラウジウス家においては、気まぐれで食事を抜かれることも多くあったため、食べられる時にはきっちり食べる習慣が身についているのだ。
「そっか。それなら、良かった」
顔を見合わせ、笑みを浮かべる男子二人に、ヤナは不審げな目を向ける。
「ん? なに、なにかあるの?」
そう問えば、二人は得意げな顔で頷いて、
「お前ら、去年の冬はセントノエルにいなかっただろ? 実はさ、特別初等部のメンバーだけで、ちょっとしたパーティーをやったんだ」
「そう。ユリウス先生がケーキを用意してくれてね。それに、教室をみんなで飾り付けたりもしたんだ。僕には、少し子どもっぽすぎるかな、と思ったんだけど……」
そんな一言を付け足すのが、実にローロらしいと思うが、余計なことは言わずに頷いておく。
「へぇ、それは知らなかったな。そんなことしてたのか」
「ああ。それでさ、実は、今年もそれをしようと思って、ユリウス先生にもお願いしてるんだ。ちびたちも、みんな楽しみにしてるし、新入りの歓迎の意味も含めてな」
カロンの言葉を継いでローロが話し出す。
「来年はパライナ祭があるだろう? そのためにも、特別初等部のみんなのやる気を高めておこうって狙いもあるんだ」
聖ミーア学園に行ったことが、ローロにとっては非常に刺激になったらしい。その声にはやる気が満ちている。
ちなみに、あの後、特別初等部もパライナ祭に出し物をすることになった。
血筋ではなく、才能の有無にかかわらず、子どもたちを集めて教育するというその試みは、大陸では画期的なものだ。
子どもたちが立派に務めを果たす姿を見せることは、各国に対して意義のあることだろう。
「それでさ、最近、パティの様子が変だったからさ、ついでにこのパーティーで元気にならないかなって、ローロと話してたんだ」
「ついで、ね……」
そう言って、からかうように笑みを浮かべると、カロンは照れくさそうに顔をしかめる。
「だから、からかうなって。パティは特別初等部の仲間だろ? それに……ミーアさまがいなかったら、俺たちみんな会えなかったんだぜ?」
その言葉に、ヤナはハッとした顔をする。
「それが、こうしてせっかく知り合えたんだしさ……。元気になってくれるなら、そのほうがいいじゃん?」
「僕もカロンも、いろいろ考えたんだよ。聖ミーア学園に行って、いろいろな話を聞いたんだ。ミーアさまのしてきたことも見たし、僕たちと同じ境遇で頑張ってる人たちのことも見た。せっかく助けられて、勉強だってさせてもらえてるんだ。だから……意地を張ったりしないで、素直に受け入れようって思ったし、躊躇わずに正しいって思うことをしようって決めたんだ。ミーアさまに救われた者として……」
「二人とも……」
ヤナは、目を瞬かせてから、ニヤリと笑みを浮かべる。
「うん、わかった。盛大にやろう。パティがなんで落ち込んでるのか知らないけど、そんなの気にならないぐらいに盛大にさ」