第二十五話 弟子たるもの、かくあるべし
さて、ミーアのもとを辞したクラリッサは、考えごとをしながら廊下を歩いていた。
すべきことは示された。
レムノ王国の王女として、しっかりとそれらをこなしていかなければならない。
そのことに不安はない。
準備を整えて望めば、きっとドノヴァン宰相を説得できるとも思う。
すべきことがはっきりしたおかげで、やる気も出てきた。後から後から湧き上がって来ていた。
――さすがは、帝国の叡智、ミーア姫殿下ですね。しかし、それにしても……、ミーア姫殿下の最後のお言葉……おそらく、私を元気づけようとされたのでしょうけど……ふふふ。
小さく、笑みを浮かべる。
「レムノ王国の問題を、ご自分の問題であるとおっしゃっていましたね」
あれは、要するに、アベルと結婚する予定だから、レムノ王国の問題は自分の問題でもある、ということだろう。
『わたくしは、わたくしの幸福のためにしているだけですから』
その言葉が脳裏を過る。
帝国の叡智として、あるいは、優れた統治者としてではない、と。
あくまでも、将来、自分が結婚するつもりの相手の母国の問題なのだから、それはすなわち自分の問題である、と。
きっとミーアはこう言いたかったのだろう。
――それはわかりますけど、しかし、私のことを義姉と呼ぶのもそうですけど、ミーア姫殿下は意外と気が早いというか、情熱的な方なのですね。ふふふ、少し意外でした。
なんと、ミーアのした「弟の嫁として仲良くしてねアピール」を、クラリッサは見事に、正確に、受け取っていた! 誤解もなく、過大評価も一切なく、過不足なく受け取っていたのだ!
これは極めて珍しいことである。
そうして、廊下を歩いていくと……。
「あらー、あなたは確かー、レムノ王国のー」
クラリッサに声をかける者がいた。
どこか、のんびりとした声の持ち主は……なんと、オウラニアだった。ミーアの一番弟子を自任する、オウラニア・ペルラ・ガヌドスだったのだ!
さらに……。
「クラリッサ姫殿下、あ、えと、ご機嫌麗しゅう」
透き通るような水色の髪を揺らし、スカートをちょこんと持ち上げたのは、レア・ボーカウ・ルシーナであった。ミーアの弟子の二大令嬢、揃い踏みである。
「これは、オウラニア姫殿下、レアさま、ご機嫌麗しゅう」
スッと背筋を伸ばし、それからスカートの裾を持ち上げ、深々と礼をする。そんなクラリッサに、オウラニアが首を傾げた。
「ドルファニア以来ですねー。セントノエルにいらっしゃっていたのですかー。確か、パライナ祭の、レムノ王国代表として、準備をされているとお聞きしてましたけどー」
頬に人差し指を当て、小さく首を傾げるオウラニアに、クラリッサは笑顔で首を振った。
「いえ、実はミーア姫殿下にご助力をいただいていたことに失敗してしまって……」
口にして思い出す。そういえば、自分は失敗の報告に来たんだっけ、と。
――ここに来るまでは、あんなに気持ちが落ち込んでいたのに……、今は、なんだか、やる気が出てきた。すごく不思議な気分ですね。
「クラリッサ姫殿下、あの、大丈夫ですか?」
心配そうに聞いてくるレアに、クラリッサは小さく首を振ってから、
「そのことを報告に来たのですが……ミーア姫殿下は私の失敗を責めることはありませんでした。かえって励まし、力づけたうえで、進むべき道を示してくださったんです」
すべきことが、今は見えている。ならば、あとは、それを全力でやるだけだ。
「うふふー、そうでしょうそうでしょうー。ミーア師匠は、そういう方ですからー」
胸を張るオウラニア。心なしか、レアのほうも控え目に、得意げな顔をしているように見える。
「ええ。しっかりと成すべきことを示していただきました。それに……ふふふ」
っと、不意にクラリッサが笑みをこぼした。
「えっ……っと、どうかなさいましたか? クラリッサ姫殿下」
急な表情の変化にぽかん、と口を開けるレア。クラリッサはゆっくりと首を振り……。
「いえ、その、ミーア姫殿下の、とても情熱的なところも見させていただいて、少し驚いたと言いますか、面白かったと言いますか……」
「あらー? それは、どういうことかしらー?」
興味深そうに聞いてくるオウラニアとレアに、クラリッサは先ほどのやり取りを話した。
「ミーア姫殿下はこうおっしゃったのです。レムノ王国の問題は自分の問題でもあるのだから、気にしないで、と……。もうアベルと結婚した後の、アベルの妻として話をされているんだな、と思うと、なんだか面白くて……」
それは、さすがに気が早いだろう、と思うクラリッサである。帝国の叡智と謳われ、実際にいくつもの有益な施策と実績を積み上げてきた人が、恋に関してはどこか不器用というか、間合いが読み切れていないというか……。
そのギャップがとてもおかしく感じてしまうクラリッサであった。
ちなみに、まぁ、余談だが、クラリッサお義姉さま自身も恋の間合いに関しては、その……あまり読み切れていないというか、そもそも立ち合い自体ほとんどないというか……。
人は、自分のこととなると、途端に状況が見えなくなってしまうものなのである。
それはさておき、クラリッサの話を聞いて、一番弟子オウラニアは……、
「ふっふっふ、クラリッサ姫殿下、それは少しー、ミーア師匠への理解度が浅いような気がするわー。まぁ、私のようにミーア師匠のおそばにしばらく居ないと気付かないことかもしれないけどー」
ちょっぴり先輩風を吹かせた。
「え? ええと、それはどういう意味でしょうか……?」
困惑するクラリッサに、オウラニアは得意げな顔で、指をふりふり。
「ミーア師匠は、もっと深い意味で仰っていると思うわー」
思ってもみない指摘を受けて、クラリッサは瞳を瞬かせる。
「深い意味ですか?」
「ええ、少し考えてみるといいのではないかしらー。ミーア師匠の幸せとは何か? ということをー」
「ミーア姫殿下の、幸福とは何か……」
考え込むクラリッサに、オウラニアは深々と頷いて、
「言わずもがなのことですけど、ミーア師匠の幸せとは、“国家の別を問わず、弱き人々の立場を向上させること”ですよー」
ババンっと胸を張って言った。
「我がガヌドス港湾国においてもそうだったわー。ヴァイサリアン族なんて、外国の少数民族なんか、放っておけば良かったのにー。その窮状を知ったミーア師匠はすぐさま彼らをこれ以上不幸にしないように、手を回してくれましたー」
懐かしむように、目を細めながら、オウラニアは言った。
「だから、私はミーア師匠に受けたご恩をお返しするために、ミーア師匠の名を全世界にとどろかせるために、姫としての道を邁進しているんです」
「ミーアさまの名を世界にとどろかせるために……」
ごくり、と唾を呑み込み、それからクラリッサはレアのほうに目をやる。っと、レアもオウラニアと同様、覚悟の決まった顔で頷いた。
「今度のパライナ祭は良い機会だから、存分にやるつもりですよー。海産物研究所は、ミーア師匠の功績として、きっと後世に残るものだからー」
オウラニアはニコニコしながら、クラリッサを見つめる。
「だからー、クラリッサ姫殿下も頑張りましょうー。ミーア師匠に指導を受けたとなれば、あなたも私たちと同じ、ミーア師匠の弟子なのだからー」
「……弟子……。私が、帝国の叡智の弟子……」
「歓迎するわー。妹弟子としてー。共にミーア師匠のもと、姫道を極めましょうー」
かくて、ミーアの良い奥さんアピールは、オウラニアによって若干の誤修正を加えらることになった。
そして、クラリッサは……姫道の深みへぐぐいっと引きずり込まれていくのであった。