第十九話 ミーア姫、誤情報を拡散し始める!
「ドノヴァン宰相の求めておられたこと、具体性……。具体的に……というと、例えば、セントノエル学園のような学校を建てるということでしょうか? つまり、女性に教育を施すような学校を建てるとか……」
小首を傾げるクラリッサに、ミーアは重々しく頷いた。
「良い線だと思いますわ。国全体の女性に教育を、という目標を叶えるために、そのための学校を建てる。第一歩としては申し分ないことでしょう」
自らの目的のために学校を建てた経験を持つミーアは、先輩として、ちょっぴり偉そうに頷く。
「ただ、学校を建てると一口に言っても、それで終わりではありませんわ。どこに建てるのか? どのような建物にするか? また、その学校の責任は誰に委ねるのか? 教員はどうするか……などなど。考えることは無数にございますわ」
そのあたりのことを、ぽーんっとルードヴィッヒに丸投げしていたミーアであるが……。詳しい事情説明は省き、したり顔で続ける。
「ゆえに、学校を建てるだけ、と簡単に考えるべきではございませんわ。それはそれで、とても大変なことなのですから」
それから、ミーアは、ベルのほうに目をやる。っと、ベルは日記帳を凝視していた。ミーアの視線に気付いたのか、慎重な顔で、こくり、と頷いた。
どうやら、今のところ、まだ大丈夫そうだが……あのベルが真剣な顔をしているのを見るに、まだ、情勢は不安定なようだった。油断はできない。
ミーアは再びクラリッサに目を向け、彼女が過激な手段に出ないように釘を刺すことにする。すなわち……。
「それに、もう一つ。ドノヴァン宰相の言っておられた、民を混乱させぬよう、ということにも注目すべきだと思いますわ。我らは、民の安寧を守るために、権威を与えられた者なのですから」
「混乱を避ける、ですか……」
「ええ。今までのやり方を変えるということには、少なからず混乱が生じるもの。そのような混乱を最小限に抑えるためには……できるだけ、じっくりと進めていくことが必要なのではないか、と思いますわ」
急激な変化の最たるものは革命だ。
それは、ギロちんを無限に生み出す、最悪の歴史の流れだ。
ひょこひょこと、地面からギロちんが顔を出すような事態は、仮に他国であっても起きてほしくないミーアである。
――ただでさえ、小麦の収穫量にまだまだ不安がある時期ですし。内戦でも起きて、畑が焼かれた、などということになっては大惨事ですわ。
食料を求めつつ、畑が焼かれ、農民が殺されるなどと言う矛盾が起きる、そんな混乱は願い下げなのだ。
「クラリッサお義姉さまは、女王烏賊という海の生物がいるのですけど……、ご存じかしら?」
ここで、ミーアは、例え話を用いることにする。突然のミーアの言葉に、クラリッサが目を瞬かせた。
「え、ええと……よくは知りませんが、セントバレーヌで、そのようなものが陸揚げされるという話は聞いたことがあるかもしれません」
「おお、ご存じとはさすがですわ、クラリッサお義姉さま。その女王烏賊ですけど、干してよし、煮てよし、焼いてよし、蒸してよし、新鮮であれば生でもいけるという素晴らしい食べ物なのですわ。以前、ラフィーナさまに干物をお土産に持って行ったところ、大変ご好評で」
クラリッサにトンデモネェ誤情報を流し始めた!
「まぁ! そうなのですね。では、今度、お持ちしましょうか……」
「ええ、お喜びいただけると思いますわ。わたくしも、港湾国で見つけたポヤァという珍味をお食べいただきたくって、なんとかできないかと考えておりますの。あ、もしかしたら、セントバレーヌ経由ならば、新鮮なポヤァを運べるかもしれませんわね。ふむ……これは考慮の余地があるかも……」
なぁんて、ラフィーナへの楽しいお土産談義で、キャッキャとひとしきり盛り上がった後、
「さて、その女王烏賊ですけど……調理する際、いきなり熱いお湯に入れると、驚いて鍋から飛び出してしまうのだそうですわ」
「なるほど、私は女王烏賊については調理したことがないのですが、そういうものなのですね。さすがはミーア姫殿下です。料理に関しても造詣が深いのですね」
「ええ、まぁ、それなりに、ですけど」
再び、トンデモネェ誤情報を流すミーアである。おほほ、っと得意げに笑ってから、
「しかし、考えてみれば当たり前のことですけど、突然、熱いお湯に入れば驚いて飛び出してしまうのも道理というものですわ。そして、急な変化とは、女王烏賊をいきなり熱い湯に入れるようなものではないか、とわたくしは思いますの」
ミーアは生真面目な顔で、もしかして料理の熟練者かな? と誤解してしまいそうな口調で続ける。
「そして、そのお湯の最たるものが革命ということになるのかもしれませんけど……湯の中に女王烏賊を入れたその後にくるのは、酷い混乱ですわ」
実際のところ、ミーアは帝国革命後の世界を知らない。だから、もしかしたら、上手く国を建て直すことができていたのかもなぁ、などと思わないではないが……ここでは、あえて言い切る。だって、何が起きたか知らないんだから、何を言っても嘘にはならないのだ。
「そのようなやり方が、女王烏賊を調理する最善の方法であるとは、わたくしは思いませんわ。そうではなく、徐々に、少しずつ湯の温度を上げて煮込んであげることこそが、美味しい女王烏賊料理を作るコツなのですわ」
それから、ミーアはクラリッサのほうに目を向ける。
「国を変えていくことも、これと同じなのではないかしら? あまり違和感を与えぬよう、反感を抱かせぬよう、理解を求めつつ、少しずつ確実に進めていく……。程よいタイミングで調味料を入れ、程よい時間まで煮込む。そうすると美味しいお料理が出来上がる。このような繊細さが、必要なのではないかしら?」
「……つまり、お父さまや政府の中枢にいる人たちに気付かれぬように、少しずつ進めよ、と?」
真剣な顔で問いかけてくるクラリッサに一つ頷き、それから、ミーアはベルのほうを確認。
ベルは、ベルは――っ! なんと、アンヌからもらった紅茶をすすっていた!!
否っ! そうではない! ミーアは自らの勘違いにすぐに気付く。
ベルの口の周りについた茶色い跡、あれは、紅茶ではなくって……。
――ホットココアっ!? くっ、ベル、一人で甘い物を楽しんでおりましたのね?
ミーアの視線に気付くことなく、ホットココアを飲んで、ほくほく笑みを浮かべているベルであった。