第十七話 クラリッサの戦い
帝国の叡智にして自称義妹のミーア・ルーナ・ティアムーンから入れ知恵を受け、クラリッサは一路、ダサエフ・ドノヴァンのもとに急いでいた。
折よく、と言うべきか……ドノヴァン伯は港湾都市セントバレーヌに滞在中とのことで、帰還するルシーナ司教伯の一行と同行させてもらうことになった。
「ミーア姫殿下は、大変素晴らしいお方です。謙虚で、飾るところがなく……」
などと、馬車の中でも話題はミーアのこと一色だった。ルシーナ司教からとっぷりと、ミーア礼賛の言葉を浴びたクラリッサは、
――ミーア姫殿下、本当にすごい方なのですね……。ヴェールガの司教伯にここまで言わせるなんて……。
ミーアへの尊敬を募らせていく。
――そんなミーア姫殿下が授けてくださった策、なんとしてでも成功させなければ……。
気合も新たに、一番槍を任された誉れにも近い思いを抱きつつ、向かうはセントバレーヌの一角、とある商人の館だった。聞けばドノヴァン伯は、懇意にしている商人のもとに滞在中だという。
通された応接室で、ダサエフ・ドノヴァンは静かに座っていた。クラリッサの入室に合わせ、すっと立ち上がると、恭しく頭を垂れる。
「クラリッサ姫殿下、ご機嫌麗しゅう」
「ダサエフ・ドノヴァン宰相、ご機嫌よう。お時間をお取りいただき感謝いたします」
スカートの裾をちょこんと持ち上げ、クラリッサも頭を垂れる。しっかり、三秒経ってから顔を上げる。
以前までとは少しだけ違う、そのきびきびとした動作に、ドノヴァン宰相は怪訝そうな目をした。
「本日は、ドノヴァン宰相にご相談したきことがあり、こうして訪ねさせていただきました」
「ほう、相談……でございますか?」
席に座り、ドノヴァン宰相は何事か考えるように顎髭を撫でる。それから、試すようにクラリッサを見つめて……。
「クラリッサ姫殿下から、でございますか……?」
確認するように問う彼に、クラリッサは深々と頷いて。
「はい。私から……。相談と、お願いしたいことがあるのです」
「そうですか。なるほど……姫殿下から……。この老骨でお役に立てることがあれば、なんなりとお申し付けください」
レムノ王国においては、たとえ王女からの話であっても、まともに取り合わない者が多い。他ならぬ国王がそれを許容しているからだ。
そんな中、きちんと話を聞いてくれようとしているドノヴァン宰相に、少しだけ安堵しつつ、クラリッサは話し始めた。
「ドノヴァン宰相は、レムノ王国を、どう思われていますか?」
「それは、なかなかに難しい問いですね。ふむ……」
しばし、何事か考え込むように黙ってから……。
「レムノは我が誇るべき母国。されど、改善すべき課題は多くあるように思っております」
その答えに、一つ頷いてから、クラリッサは言った。
「私も同意見です。だから、私は、レムノ王国を変えたいと思っているのです」
「ほう、王国を変える……」
宰相の目が、一瞬、鋭い輝きを帯びる。クラリッサの言葉を吟味するようにつぶやいてから、彼は口を開いた。
「それは、どのような形に……でしょうか?」
「女性の地位を向上させたいと考えています。そのために、女性への教育を推進していきたい、と考えています」
ドルファニアで出会ったミーア姫、また、オウラニア姫、聖女ラフィーナ……彼女たちの姿を見て、クラリッサは衝撃を受けた。己が身に課せられた責任を果たすべく、忙しく働く彼女たちを見て、こんな生き方があったのか、と思わされて……そして、同時に悔しくもあったのだ。
その中に、自らの姉、ヴァレンティナ・レムノがいないことが……。
――あのお姉さまの力を、レムノ王国は腐らせた。いいえ、お姉さまだけじゃない。まだ見ぬ才能を持つ令嬢もきっといるはず。それに、民草の中にだって、きっと……。
そのような者たちが、活躍する機会を与えられず、可能性を閉ざされてしまうことが、クラリッサは悔しかった。
だからこそ、それを正そうと思ったのだ。
「女性教育を推進……ですか」
「はい。パライナ祭で、レムノ王国の問題点を指摘し、それを正していくことを表明するつもりです」
クラリッサの言葉を吟味するように、ダサエフ・ドノヴァンは目を細める。
「なるほど、そのようなことになれば、国は動かざるを得ない、ということですか」
神聖典に照らし合わせれば、今のレムノ王国内で横行しているような女性の扱い方は、到底認められるものではない。そもそも、中央正教会はすべての人が神聖典を読めるように、と識字教育に力を入れているのに、レムノ王国では、貴族令嬢の中にも神聖典を読んだことのない者がいるのだ。
それが明らかにされ、なおかつ、国の代表者がそれを変えると宣言してしまっては、誰も反対することはできない。そんなことをしてしまえば、ヴェールガやサンクランドを筆頭に、他国から責められることになるからだ。
「しかし、そのようなやり方は……国王陛下やレムノ王国の恥となりましょう」
「私は、今のレムノ王国が間違っていると思います。間違いを正すためには、時に強引な手段も必要となるのではありませんか?」
それは、ある種の正論といえた。問題点がはっきりしていて、正すための手段があるのであれば、躊躇う必要はない、と。
「なるほど……よくわかりました」
ダサエフ・ドノヴァンは、クラリッサの言葉の正しさを認めるように、深々と頷いてから……。
「残念ではありますが……クラリッサ姫殿下のお考えには、賛同しかねます」
重々しい口調で言った。
その答えは……別に意外ではなかった。
レムノ王国の貴族の誰に頼んでも、きっとそのような答えが返って来ただろう。ただ、善良な人として知られる彼に、すげなく断られたことが悔しかった。
「私はレムノ王国の貴族です。国を守り、民を安んじて治める責任がございます。具体性を欠いた改革はいたずらに民を混乱させ、安寧を損なうもの。そのようなことに賛同などできるはずもございませぬ」
重々しい口調で、ダサエフ・ドノヴァンは言うのであった。