番外編 刹那生じた未来
それは、消えてしまった歴史の物語。
かつて、在野の学者によって記された名もなき歴史書に、刹那表れ、黄金の輝きと共に消失した記述……。ただ一人しか、それを目にすることのなかった、幻の歴史の物語である。
レムノ王国より、急報が入ったのは長い冬を越えた春先のことだった。
遠き地にいる想い人からの手紙を待ち望んでいたミーアは、その急報に触れ、「う、うーん」などと声を漏らしつつ、卒倒した。
曰く、レムノ王国にて、アベル・レムノが投獄されたとのこと。しかも、漏れ聞こえてくる噂によれば、王位継承権を完全にはく奪されるらしい。
ベッドの上に運び込まれたミーアは、そのままの姿勢で、すぐさまアンヌにルードヴィッヒとディオンを呼ぶように指示。ベッド上にて緊急の会議を開く。
「いったい、これは何が起きたというのですの? なっ、なぜ、アベルが?」
アベルとミーアは婚約式を控える間柄である。この冬には婚儀を結ぶこともすでに話が進んでいたのだが……。状況が一変したのは、一つの事件がきっかけだった。
王太子ゲイン・レムノが突如として行方をくらましたのだ。
国内の混乱を収めるべく奔走していたアベルであったが、いったいなぜ、投獄の憂き目にあったのか……。
「これはもしや、ゲイン王子の行方不明に関わっているとか、それに類するような疑いをかけられているということですの?」
慌てるミーアに、ルードヴィッヒは軽く眼鏡を押し上げて……。
「その可能性はありそうです。現在、レムノ王国では王位継承権をめぐる権力争いが起きています。当初は、第一王子ゲイン・レムノを廃嫡し、アベル王子殿下を王太子に据えるという動きがあったようなのですが……」
「なっ! そのようなことになれば……」
思わずベッドの上で跳びあがるミーアであったが、すぐに、気持ちを落ち着けるように深いため息を吐いた。
――それも覚悟しなければいけない……のかしら。
ミーアとアベルは恋仲だ。もうすぐ婚約しようかというほど深い仲である。けれど、もしも、アベルが王太子になってしまえば、それは難しい。
でも……仕方のないことなのかもしれない。彼とて、レムノ王家に連なる者。それこそ、ゲイン王子がいなくなってしまえば、その責任を果たすため、王位に就くことだって選ぶだろう。
――アベルは、責任感が強い方ですから、そのような道を選ぶこともあるかもしれませんわ。
それは悲しいことだけど、でも……彼がそれを望むなら、と悲痛な気持ちになるミーアであったが……。
「一方で、アベル王子ではなく、第二王女クラリッサ殿下に婿を取らせ、その夫に王位継承権を与えたほうが良いのではないか、という派閥があるようです」
「なるほど、つまりアベルを国王に推す勢力と、他の者を国王に立てたいと考える者たちがいる……と?」
ミーアは、思わず唸ってしまう。
正直、ミーアとしては、アベルには王位継承権を持っていてほしくはない。むしろ、クラリッサ王女の相手に王位を継いでもらったほうが、ミーア的には美味しい状況だが……。
「もしかすると、アベルもそのように考えてくれたのかしら……だから、王太子を断ろうとして、そのせいで軟禁されて、無理やりに王位に……? いえ、それもなんだか少し妙な感じですわね。彼の性格に合わない感じがしますわ」
「そうですね。むしろ、わかりやすくクラリッサ王女殿下の婿に王位継承権を渡すため、後顧の憂いをなくすためにアベル王子を処刑しようとしている……などというほうがありそうな話です」
それを聞き、ミーアは再び跳びあがる。
「確かに、その可能性はございますわ! であれば、すぐに助け出さねば……」
「落ち着いてください、ミーアさま。救出の準備は並行して進めています。ミーアさまがすべきことは、状況の把握かと……」
現時点で、ミーアのできることは少ない。諫められたミーアは、自らを落ち着けるように深々とため息を吐いて……。
「その、クラリッサ姫殿下の婿というのはどのような人物なんですの?」
「現在、わかっていることは、あまり多くはありません。レムノ王国のルプサングイス侯爵家の血筋の者とは聞いているのですが……」
微妙に歯切れの悪いルードヴィッヒにミーアは首を傾げた。
「ルプサングイス侯爵家……あまり聞いたことのない家名ですわね。それに、なんだかあなたらしからぬ言い草ですわ。あなたのことだから、調べていなかったということはないのでしょう?」
「はい。ですが……、いまいちその人物像がはっきりしません。ただ、国王が強く推す人物ではあるらしいのですが……」
「ん? ということは、国王陛下はアベルに王位継承権を与えるつもりがないと?」
「それは、なんとも言えません。自らの血筋を次の王位に就けたいと考えるのは、かの国では当然のこと。かの国で女王を認めることは考えづらい以上、やはり王位はアベル殿下に継がせたいと考えるのではないでしょうか」
「娘婿としては優良でも、次期国王として認められてはいない可能性がある、と……。ううむ、それにしても、ゲイン王太子の失踪も気になると言えば気になりますわね。確か、レムノ王国は第一王女殿下も行方不明になっているのではなかったかしら?」
「ヴァレンティナ・レムノ王女殿下ですね。確かに、そのとおりです」
ルードヴィッヒは頷きつつ、顎に手を当てる。
「それも気になりますわ……。しかし、第一王女と第一王子が共に謎の失踪を遂げたというのもさることながら、未だ遺体が発見されてもいないのに廃嫡、という状況も気にはなりますわね。国王陛下もまだ退位するには早いご年齢のはず。病を得たというお話もございませんのよね?」
「はい。少なくとも、私の情報網には、そのようなものは入ってきていません」
「いやぁ、正直、レムノ王国や騎馬王国の辺りには、どうも僕たちには与り知れない闇が潜んでいるように思いますねぇ」
肩をすくめつつ、感想をこぼしたのは、帝国最強の騎士ディオン・アライアだった。
「以前の革命騒動の裏には、サンクランド王国の諜報部隊が絡んでおりましたけど、今回のことは、レムノ王国内のことなのか、他国からの干渉があるのか、それもわかりませんわね」
「もちろん、そういうまともな諜報活動の結果とも考えられるんですがね……なんというか……」
ディオンは、眉をひそめて……。
「なにか……もっと異様なものが絡んでいるような気がしますね。得体の知れない、理解しがたい思惑があるような……。これは、果たして本当にただの継承権争いなんだろうか?」
その声が、ミーアにはひどく不吉な響きを帯びているように聞こえた。
「いずれにせよ……アベルを早く助け出さなければなりませんわ。もしも、クラリッサ王女の夫が王位継承権を持ちたいというのであれば、それはこちらも望むところ。アベルを廃嫡にしてもらったほうが、気兼ねなくわたくしと結婚できますし、願ったりかなったりですわ!」
ミーアは静かに起き上がり、ディオンのほうに目を向ける。
「救出のための精鋭部隊を派兵する準備を。それと、シオンにも声をかけますわ。ラフィーナさまにも協力の要請を」
ミーアの指示を受け、ルードヴィッヒとディオンは動き出した。
かくて、アベル王子救出作戦は決行されることになる。
綱渡りのような状況を越え、見事、アベルを救い出したミーアは、いささか強引に自らの恋心を貫き通すことになるのであった。