第六話 クラリッサ姫殿下、軽くなりかける!(アベルの頭の中で……)
ミーアと別れてから、アベルは滞在先である神聖図書館へと戻った。
長い廊下を抜け、自身に与えられた客室に向かう。っと、部屋の前で立ち尽くす姉の姿が見えた。
「姉上、どうかなさいましたか?」
小走りに近づくと、こちらに顔を向けたクラリッサが、ホッと小さく息を吐いた。
「ああ、アベル。帰って来たのですね」
どこか落ち着きのない様子の姉に、アベルは首を傾げる。
なにかあったのだろうか……?
首を傾げつつも、とりあえず話を聞くべく、部屋の中へと誘う。
「お茶でもお願いしましょうか?」
「いえ、大丈夫。少しだけお話ししたいことがあっただけですから」
とはいうものの、クラリッサは椅子に座ったきり黙り込む。
――これは、なにか相当言いづらいことがあるのか? パライナ祭のことだろうか?
などと心配になっていると、クラリッサは一度息を吸って、吐いてから……。
「それで……、その、どうでしたか?」
「ええと……どう、とは?」
突然の問いかけに、アベルは目を瞬かせる。っと、
「あら? デートに行っていたのでしょう?」
きょとんとした顔で尋ねられてしまった。
これはどうやら、ミーアとのデートの様子を話さなきゃいけなくなりそうだぞ? と気付いたアベルは、一瞬、答えに窮してしまう。
姉の前で好きな女の子とのデートの様子を話すのは……なかなかに、こう……心理的に難しいものがあるのだ! ということで、できるだけ差支えのなさそうなことを、言葉を選んで……。
「ええ、と……。そうですね。乗馬デートをしてきました」
「まぁ! 乗馬デート……そのようなものがあるのですね!」
当たり前と言えば当たり前のことながら、クラリッサは自由に恋愛できる身分ではない。婚約者でもいれば、親睦を深めるためにどこかに出かけることもあるが、今のところ、そのような相手もいない。
ということで、その手の恋愛に関する知識は、あまり持ち合わせていないのだ。
「そういえば、ミーア姫殿下は馬に乗ることができるのでしたね……とてもお上手でしたが……」
「はい。以前の生徒会選挙の時など、馬に乗ってみなの前を堂々と練り歩いたものです」
「まぁ! そのようなことを? それは、とても私にはできませんね……」
学園の中を馬に乗って堂々と練り歩くというのは、確かになかなか勇気のいることだろう。アベルであっても、そうそうできることではない。
「それに、騎馬王国の族長の娘と馬術を競ったこともありました。レムノ王国とも繋がりの深い山族の族長の娘なのですが……」
「あら? 山富馬さまのご息女……というと、確か小驪さん……だったかしら……」
軽く首を傾げつつ、クラリッサが言った。
「騎馬王国の方は、女性でもかなり馬に乗るのがお上手だとお聞きしますけど……」
「そうですね。族長の娘だけあって、かなりの乗り手だったと思います。ボクなどではとても太刀打ちできない相手だったんじゃないでしょうか」
「まぁ! そんな方と勝負を……?」
「ええ。しかも、しっかり勝ってしまったんです」
あの日の見事な勝利は、今でも思い出すことができた。
ミーアは、まさに、天馬を駆る戦姫のごとく、勇猛果敢にあの最後の坂を上り切ったのだ。
「それに、暗殺者に誘拐された子どもを助けるため、単身、賊のもとへ、馬で乗り込んだこともありました」
「そんなことまで……? ミーア姫殿下は勇敢なのですね」
「はい。まぁ、勇敢過ぎて無茶をしないかと、心配になることもございますが……」
アベルの言葉に、ひどく感心した様子のクラリッサである。
事実を並べているだけのはずなのに……いつの間にやら、豪胆無比な女傑ミーア像ができあがりつつあった! 極めて不可思議な現象である。
クラリッサは、しばし何事か考えているようであったが、やがて意を決した様子でアベルを見上げてきて……。
「……ねぇ、アベル……。ミーア姫殿下に力をお借りすることは、許されるでしょうか?」
「許される、とは……?」
奇妙な言い回しに、アベルは眉をひそめる。
「ミーア姫殿下はこの世界にとって、とても大切な方だと思います。すでに多くの重責を負っていらっしゃいます。そんな方を、レムノ王国の騒動に巻き込んでしまうことは、許されるものでしょうか……?」
その言葉で、ようやく、姉の様子に合点がいった。
クラリッサはずっと、これを言い出すタイミングを窺っていたのだ。
よかった! 姉上、弟のデートに興味津々で、聞きたがってたんじゃなかった! っと一安心のアベルである。レムノにいた頃の、内気でお淑やかだった姉が、誰の影響かはわからないが、ミーハーで軽薄な姫に変わってしまったのかとドキドキしてしまったのだ。誰の影響かは、まったく定かでないが……。
まぁ、それはさておき……。
「そうですね……」
そうして、アベルは考える。姉の質問への答えを。
ミーアに助力をもらうことが、はたして許されることなのか……。
「それに関しては、ボクが良い、悪いを答えることはできません。実際、ミーアに負担をかけることになりますから……。でも……」
そっと姉の目を見つめ返して、アベルは言った。
「心から助けを求めれば……そして、それが多くの人々のためになるような……王族としての務めを果たすものであるならば、きっとミーアは応えてくれる……。そのように、ボクは思います」
クラリッサは、一度、二度、と目を瞬かせてから……。
「信じているのですね、ミーア姫殿下のことを」
「はい。幾度も、ミーアには助けられましたから」
まぶしいものを見つめるように目をすがめてから、クラリッサは頷いた。
「では……ミーア姫殿下に正式に面会を求め、助力をいただくことにしましょう。たとえ、厚かましいと思われても……レムノ王国を少しでもよくしていくために」
決意を固めるかの如く、拳をギュッと握りしめながら……。