第五話 ミーア、ちょっぴり軽くなる!
「ああ、いいですわね……。なんだか、すごくのんびりできますわ」
荒嵐に乗って、のんびりと広場を歩き回る。他に馬に乗る者の姿はなく、そこにいるのは、ミーアとアベル、そして荒嵐のみだった。
前を歩くアベルがゆっくりと馬を引いてくれるから、ミーアはリラックスして荒嵐の上に乗っていられた。
かぱら、こぽら、のーんびり、ゆったーりと……。普段からは考えられないほど、荒嵐の足取りは穏やかだった。なにか良いことがあったのか、機嫌が良いらしい。
そんなこんなで、ミーアはここ数日間の緊張がほぐれていくのを感じた。
「ずっと忙しかったからね。君は、少しゆっくりしたほうがいいと思うよ」
前を行くアベルが、そんなことを言ってくれるが……。
「でも、なんだか、申し訳ないですわ。そのように馬を引いていただいて……」
ちょっぴり眉をひそめるミーアに、アベルは優しい笑みを浮かべる。
「いや、なに。たまには、こういうエスコートの仕方も悪くはないさ。こっちのほうが馬を並べるより、ゆっくり話もできるしね」
そうは言うものの、それ以上、アベルの口から言葉が出ることはなかった。
まるで、本当は言葉すらも不要で、ミーアと一緒にいられれば満足だ、とでも言っているかのように……。
――ああ、とても心地よい空気ですわ……エリスの本には、愛し合う二人に言葉は不要とか書いてありましたけど、こういうことだったのですわね。
黄金の竜の恋愛劇から学びを得ているミーアである。本にはいつだって学びがあるのだ。
――でも……せっかく一緒にいるのですから、お話をしないのももったいないような……。
そんなことを考えつつ、ミーアはとりあえず話題を振ることにする。
「そういえば、クラリッサ姫殿下のご様子はいかがですの? パライナ祭の出し物について、準備は進んでいるのかしら?」
「ああ、そうだね……。君と話したことが良い刺激になったのか、いろいろ考えさせられているみたいだよ。まだ、悩んでいるみたいだけど、レムノ王国を良くするためにどうすればいいのか、腰を据えて取り組むつもりみたいだ」
それからアベルは、そっと肩をすくめた。
「正直、驚いているよ。もちろん、期待していなかったわけではないんだが……。まさか、クラリッサお姉さまがあんなふうに積極的に変わるなんてね……。兄上もそうだが、君と接すると、みな変わっていくな。もちろん、ボクも他人のことを言えないけどね」
感慨深げにつぶやくアベルに、ミーアは小さく首を傾げた。
「あら? そんなこともないと思いますけど……。アベルは元から素敵な方だったと思いますわよ?」
その答えに、思わずといった様子で苦笑いを浮かべてから、アベルは首を振った。
「いずれにせよ、君には世話になってばかりだ。クラリッサお姉さまだけじゃない。ヴァレンティナお姉さまのこともそうだけど……」
そこで、何事か考え込むようにうつむいてから、アベルは言った。
「ねぇ、ミーア、覚えているかな? あの日、君がボクになんて言ってくれたか……」
「はて、わたくし、なにか言ったかしら?」
などと首を傾げてみせつつも、もちろんミーアは覚えていた。ただ……こう、なんというか……素直に言うのが気恥ずかしかったのだ。
そんなミーアの心を知ってか知らずか、アベルは真面目な顔で続ける。
「なにがあろうと、ボクはボクだ、と……。資格がないと言っても、決して逃がさない、と君は言ってくれたんだ。レムノ王国に引きこもっていても、必ず自分が連れ戻す、ってね」
それから、彼は優しく微笑んで……。
「ミーアは知らないかもしれないけど、あの時の君の言葉に、ボクは救われたんだ……。
「まぁ! ふふふ、そう言っていただけるならば、嬉しいですわ」
微妙に照れくさかったので、笑って誤魔化そうとするミーアであったが、次の瞬間、小さく息を呑んだ。見上げてきたアベルの表情が思いのほか真剣なものだったから。
「ねぇ、ミーア。周りの人たちは、今度の世界会議、君が成功させて当たり前だと信じているみたいだけど……。だけど、もしも、君が失敗したとしても、誰も君のことを責めないと思うよ」
「へ? きゅ、急にどうしましたの? アベル……」
突然のことに、ミーアは混乱する。
さらに、すっと心に溶け込んでくるような彼の言葉に思いのほか安堵しまった自分に驚いてしまう。
――あら? わたくし……そこまで大事だとは思っていなかったはずですけど……知らず知らずのうちに緊張があったということなのかしら……。
首をひねるばかりのミーアである。
小心者の心臓は、案外、自分では見えないものなのである。
「今日までずっと頑張って、結果を出し続けている。だから、みんなが君に期待するのは当たり前だと思う。だけど、もしも君が失敗したとしてもミーアはミーアで……みんな、変わらず君のことを慕っている。そのことを忘れないでほしいって思ったんだ。君は、もうすでに、それだけのことをしているから……これから先、大きな失敗をしたとしても、誰も君から離れていかない」
それから、アベルは、すっと目線を外し前方に顔を向けて……。
「仮にそうじゃなかったとしても、ボクが君のことを、守るから」
「…………はぇ?」
ミーア、アベルからの渾身の一太刀を食らって、一瞬、クラァッとするも……。
――あっ、ああ、アベル……急に何を言い出しますの!? ま、まったく、相変わらず、天然なのかしら? 心臓に悪いですわ!
危ういところで踏みとどまる。一方で、アベルのほうも照れくさくなってしまったのか、頬をかきながら、
「それだけ、言いたかったんだ。まぁ、ボクが言うまでもなく、君はわかっているかもしれないが……言葉にしなければ伝わらないこともあるかと思ってね」
「アベル……。ふふふ、相変わらず、あなたらしい実直さですわね。でも……」
そっと目を閉じて、ミーアは続ける。
「ありがとう、アベル。あなたの言葉でとても気持ちが軽くなりましたわ」
そう、パライナ祭も世界会議も、たとえ思い通りの結果が得られなかったとしても、今日まで得てきたものは決して失われたりはしないのだ。
――今度の世界会議は、失わないためのものではない。さらに多く得るためのものなのですわ。
目の前の実りを、さらに多くするため。多くの多くの種を蒔くためのもの。
であれば、何も恐れることはないのだ。
こうして心が軽やかになったミーアに、荒嵐が、ぶーふっと鼻を鳴らした。
まるで、心のほうはいいから体のほうをもう少し軽くしとけ、とでもいうかのように……。