第二話 俗物たちの宴
「願わくば、このような温かな食卓が一つでも守られるよう、パライナ祭と世界会議が用いられればよろしいのですけど……」
ミーアは、テーブルの上に目を落としながら、そんなことをつぶやいた。
その言葉……その、重たい一言に、ルーツィエは息を呑んだ。
――そう、ミーア姫殿下は、そのようなお心で、走り続けていらっしゃるのですね……。
ミーアの母、アデライードが若くして亡くなっていることは聞いていた。だから、ミーアが両親と揃って食事を楽しめることはもうないのだ。にもかかわらず……。
――もしかすると、家族揃っての温かな食卓に憧れを持っているかしら……? だから、お食事の時に、あんなにも嬉しそうな顔を……。
いや、まぁ、それは純粋に食事を楽しんでいるだけなのだが……。
ルーツィエは、かすかに眉をひそめる。
――そう、そのようなお気持ちを土台として、これほどの偉業を成し遂げ続けているのですね。
それは、理解を拒絶する神聖なる感情ではなかった。かといって、俗っぽい打算によるものでもなかった。
それはとても人間らしい感情だった。家族と……大切な人たちと一緒に食事を食べて、笑顔を交わす。これ以上に、根源的な幸せが果たしてあるだろうか?
ルーツィエは虚飾を好まない。綺麗事も建前も、あまり好きではない。
そんな彼女にとって、ミーアの願いは実に好ましいものに思えた。けれど……。
――ああ……ミーア姫殿下は、どれだけ望もうとも、それを得ることはできないのですね。
これから先、ミーアがたくさんの幸せを守ったとしても、ミーア自身が、それを取り戻すことはできない。母と食卓を囲むことは、ミーアには叶わぬ願いなのだ。
――先ほど、お料理の味を聞いた時、一瞬、言い淀んだのは、そのためなのですね。その悲しさに刹那囚われてしまったから……。
ミーアが亡くなったはずの祖母や、まだ生まれてきていないはずの孫娘と、毎日毎日、とってーも楽しく食卓を囲んでいるので、思うほどには寂しい思いをしていない、ということなど知る由もないルーツィエは、いたくいたく感動していた。
ミーアの健気さに、すっかり心を打たれてしまったのだ。
元よりルーツィエは天に宝を積むために、日夜、励んでいる人だ。積んだ宝で城を建て、そのうえで、住む場所がなさそうな、この世で宝を積まなかった人たちを住まわせてあげようと考える、非常に面倒見の良い人なのである。
そんな彼女が、健気なミーアを放っておけるはずもなし。母なる獅子は、懐に飛び込んできた海月なる子猫を擁護せずにはいられないたちなのである。
ゆえに、ルーツィエはミーアに微笑みかける。優しく、慈愛に溢れる笑みを浮かべて、
「ミーア姫殿下……ミーアさん、と呼ばせていただいても構わないでしょうか?」
親しみを込めて言えば、ミーアは戸惑うように瞳を瞬かせてから、
「ええ……。そのように親しく呼んでいただけると嬉しいですわ」
はにかみながら、ミーアは言った。それを見て、ルーツィエは一つ頷いて、
「それならば、ミーアさん……、このドルファニアにいる間は、よろしければ、私たちを家族のように思っていただけないでしょうか? 次にこのヴェールガに来る時にも」
それから、彼女は自らの夫オルレアンを、そして、娘ラフィーナを見て……。
「もしも、お嫌でないならば、この家を、公国にあるご自分の家のように思って、くつろいでください。ドルファニアの近くに来た時には、いつでも、どうぞこの家を滞在のためにお使いください。今日はミーアさんとゆっくりお話ししたかったから遠慮していただきましたけれど、次は他の方たちも一緒に食事をいたしましょう」
優しい笑みを浮かべて、ルーツィエは続ける。
「そして、もしも私たちの力が必要になったなら、どうか、家族にするように遠慮なく頼ってください。私も、子にするように全身全霊をかけて、力をお貸ししますから……」
小心者の子猫こと、ミーア・ルーナ・ティアムーンが、大獅子ルーツィエの全面的な擁護を約束された瞬間であった。
さて……そんなやり取りを見ていたラフィーナもまた感動していた。
――ああ……そうだったわ、ミーアさんのお母さまは……。
今まで意識したことはなかったことだが、ミーアの母はすでにこの世にいないのだ。そんな悲しい気持ちが、今までミーアの成し遂げてきたことの根底にあると聞いて……不覚にも涙ぐんでしまっていた。
――ミーアさん、いったいどんな気持ちで、これまで頑張ってきたのかしら……。
っと、ふかぁい、悲しーい、気持ちに浸っていた……のだが、それも一時のことだった。
「私たちを家族のように思ってください」
ルーツィエのその言葉に……ラフィーナはカッと目を見開いた。
「……それは素晴らしいことだわ」
思わず、つぶやいてしまう。
親友ミーアと、家族になる……。親密に食事をし、時々パジャマパーティーで夜更かしなどしたり、ピクニックに行ったり、お茶会をしたり、お互いの恋の悩みを話し合い、笑い合い、姉妹のように振る舞う。それは、実に……実に!
「素晴らしいことだわ……」
この日、彼女の内に生まれたビジョンが、将来的に、ミーアの子どもと自分の子どもとの政略結婚的なことに繋がっていくことになるのだが……。
まぁ、政略結婚させられることになった当の子どもたちが、互いに奥手で、かつ結婚後、おしどり夫婦になったりもするので、結果オーライと言えるのかもしれないが…………いや、言える、のか?
ともあれ、聖なる俗物と空腹なる俗物、そして、友想う俗物の揃い踏みによる、俗物たちの晩餐会は、特に波乱もなく進んでいくのであった。