プロローグ ミーア姫、同好の士と出会う
――う、うーむ……これは、緊張しますわね……。
司教会議にて、蓄えていたエネルギーの九割近くを失ったミーアは、待望の晩餐会の時間を迎えていた。
だというのに、その表情はあまり明るくはなかった。むしろ、そこにあるのは緊張の色だった。
その原因は、晩餐会の参加メンバーにあった。
そこはヴェールガ公爵邸の食堂、そのテーブルには、すでにオルレアン公が座っていた。位置は、ミーアの右斜め前である。さらに、ミーアの隣にはラフィーナの姿がある。
それは、まぁいい。ドルファニアに来て以来、大体、こんな感じだった。さすがのミーアも今さらラフィーナと一緒に食事をすることで緊張したりはしないし、オルレアンにしても温厚な人柄はよくわかっている。一緒に食事をする相手としては、何も問題はない。
問題は……。
「ふふふ、ラフィーナから聞いて以来、ずっとお話したいと思っていました。ミーア姫殿下」
優しい笑みを浮かべてこちらを見つめているのは、獅子ラフィーナの母、ルーツィエであった。
微笑んでいるのに……その背後に恐ろしい大獅子の影を見て、ミーアの子猫の心臓がすくみ上る。
「こっ、光栄ですわ。ヴェールガ公爵家のみなさまとこうしてご一緒できること……」
ちなみに、オウラニアを始めとしたミーアの随伴メンバーは他の部屋でお食事中である。唯一、アンヌだけはミーアの背後に控えているのは心強いところではあるが……それでも、実際になにか助けを期待するのは難しいかもしれない。
――相手が悪いですし……くぅ、ともかく、こちらの本心を悟られぬように乗り切るしかありませんわ。ぐぬぬ……せっかくの楽しいお夕食ですのに、これでは食欲も出ないかも……。
などと……「いつか天から月が落ちて来るのではないか?」規模のいらぬ心配をしてしまうミーアである。世に言う月憂というやつである。
――というか、お父さまのオルレアン公がこれだけ温厚極まった方であることを考えると、ラフィーナさまのこわぁい成分の大部分は、ルーツィエさまから引き継がれたものなのでは……。
そう考えると、自然、緊張もしようというものである。
――これでは、どんなに美味しいものが出てきても楽しめないかも……むっ!
ミーアの鼻が、その芳しい香りを捉えたのはその時だった。
木の籠に入れられた、ほかほかの焼き立てパンが運ばれてきたのだ。
見た目は、丸っこい一口サイズ(ミーア比)の小さなパンである。ごつごつと、なにかナッツ系の物が入れられているのが特徴だろうか。
――あれは、ヴェールガクルミかしら……。コリコリした歯応えが素敵な木の実ですわね。それをパンに入れるとは……むむっ!
さらにミーアの目が、抜け目なく、小皿に乗せられたバターへと引き寄せられる。
――あの色合い、仄かに香る香り……一級品のバターですわ。騎馬王国産のものかしら?
やがて、オルレアンの食前の祈りがささげられる。
気持ちを落ち着けるため、その言葉に集中。その後、静かな心で、ミーアはパンと向き合った。
早速一つを手に取ると、一口サイズ(ミーア比)のパンを一口サイズ(一般令嬢比)に裂き、パクリ。口の中で、もっ、もっ、もっ! と咀嚼。
コリリッと心地よい歯応えに、思わず笑みを浮かべる。
――ふむ、やはりクルミですわね。しかし、このクルミ、味が濃いですわ。コクのある味といい、芳ばしい香りといい、絶妙ですわね!
今度は、パンにバターをつけてみる。
焼き立てのパンの熱で、バターがジュワッと溶け、甘い香りが広がる。
パクリ、っと口の中に入れた瞬間、ジュジュワッとバターが舌の上に溶け出した。
先ほどまでのコクのあるクルミにバターのまろやかな塩気と甘味が溶けだしてきて……。
――ああ、やはり騎馬王国産のバターは素晴らしいですわ。そして、バターの質が良いからこそ、このパンの出来の良さが強調されているように思いますわ。さすがは、ヴェールガ公爵家の料理人。良い腕をしておりますわ。
主食だけあって、パンに対するこだわりは、比較的強めのミーアである。
甘いジャムをたっぷり塗って食べるのもよし、バターのみで味わうのもよし。焼き立てのパンに何もつけずにパリパリ、ほくほく食べるのもまた悪くない。
少し時間が経って、しっとりしたパンをシチューに付けて、じゅわわ、っと食べるのもまた乙なものである。
今回出てきたパンはクルミが入ってはいるものの、あまり飾り気のないもの。それゆえにストレートにパンとバターの質で勝負といった感じだったが……。
――実に滋味あふれるお味ですわ。素晴らしい……。
そこでミーアはふと視線を上げる。っと、ニコニコしながら、ミーアの見事な食べっぷりを眺めているルーツィエと目が合った。
「このパン、とても美味しいですわ」
「まぁ、それはなによりだわ」
嬉しそうに、パンッと手を打って、ルーツィエは言った。
「実は、そのクルミパンは私の手作りなの。各地の教会孤児院を回る時に、現地で作るようにしているのだけど、喜んでもらえて嬉しいわ」
「まぁ、ルーツィエさまが手ずから?」
驚きに目を見開きつつも、
――わたくしもウマパンを作ったことがございますし……。ふふふ、同好の士といったところかしら。
俄然、親近感が湧いてくるミーアである。