第百三十話 ベル探検隊のミステリークルーズ3
第七天使の七は、ドルファニアの中心からやや東寄りの場所にあった。
広めの船着き場があり、お客を降ろすべく、ゴンドラが数隻留まっているのが見えた。
「ふむ、特に変わったところはないですね。ここから、どこに進むんですか?」
きょとりんと首を傾げるベルに、船頭が難しい顔をした。
「そうさな。ここからは、第六の六、あるいは、第一の一、第一の六に繋がる水路があるな。その後を考えると……」
ぶつぶつ言いつつ、漕ぎ出した。
ベルは、辺りをキョロキョロ眺める。
天使像の順番については、船頭が計算してくれるので、ベルは辺りの様子の観察に集中しているのである。役割分担なのである。
……決して、自分で天使の順番とか考えてると、目がグルグルするからではないので念のため。
そうして、ゴンドラは順調に水路を進んでいった。
「あれが、第一天使の六の像だ。大神殿に行くには、あっちの水路を真っ直ぐに行くんだが、今回はこっちの……」
「その新人さんも同じルートを辿ったでしょうか?」
ベルの問いかけに、船頭は一瞬考えた様子だったが……。
「ここ以外も考えられなくはないが、普通はこっちだと思う。まぁ、新人の考えることはわかんねぇけど……いや、だが、こんな訓練をやってるような奴なら、十中八九こっちだ。こっちのほうが次の天使像に繋ぎやすい」
「ふむふむ、なるほど」
ベルがいい感じに相槌を打つので、船頭は気持ちよく解説を続けている。
「いや、しかし、その先の先を考えると……うーむ……。いや、そもそも、どこをゴール地点に設定しているかによって……普通に考えたら、第一の一の天使像か? だとすると……」
などと、ぶつぶつ言いつつも、ゴンドラは止まることなく水路を進んでいく。
っと……、気のせいだろうか……。徐々に、辺りが薄暗くなってきたような感じがした。
時刻はまだ昼だ。空を見上げれば、綺麗な青空が広がっている。しかし、どうやら日の光が建物によって遮られているようだった。
晴れ渡る広い空が見えているだけに、それを遮る建物の圧迫感がなんとも息苦しい感じがする。
――この感覚が、怪談話を生んだ原因かもしれない。
試しに、パティのほうを見れば、彼女もきょろきょろ、ソワソワしていた! つまりは、この空気感を怖いと感じているのだ。
「こっちは……いや、だめだ。しかし、こっちも……とすると……」
ぶつぶつと船頭の声。ゴンドラは狭い水路に入り込んでいた。
曲がりくねった水路のため、先は見通すことができない。これ、行き止まりになってるんじゃ……? などと首を傾げたベルであったが、次の瞬間、視界が大きく開けた。
「おお、ここは……」
水路の幅が大きく広がる。だというのに、相変わらず日の光は遠い。
――ここは、どこの建物の裏側なんだろう?
辺りを見回していると……。
「あっ、あれは……なんだ? あれ……」
船頭が声を上げた。その視線を追って行って……ベルは見た。そこに佇む天使の彫像を!
「あれが、例の……?」
半ば黒ずんだ天使像。それは、今まで見てきた他のものとは明らかに違っていた。
羽の数が多い。通常のものは二枚なのに、ここのは四枚もある。
しかも他よりも薄汚れて、表情も暗く見える。影が覆いかぶさり、そこはかとない不気味さがあった。
それよりなにより、薄く開いたその目は……。
「あっ、もしかすると……」
ふと思いついたことがあって、ベルは船頭に声をかける。
「あの天使像に近づいてもらえますか?」
「えっ……!?」
ギョッと目を見開いたのは、パティだった。信じられない! という顔でベルのほうを見つめてくる。
なにげに、その小さな手は、ヤナの服の裾をしっかりと掴んでいた! すっかり、不気味な雰囲気に呑まれているようだった。
いや、パティだけでなく、ヤナとキリル、さらには、船頭やリンシャ辺りも、ちょっぴり不安げな顔をしている。
そんな同乗者に、ベルはニッコリ笑みを浮かべて、
「ああ、大丈夫ですよ。たぶん、怪談とか、そういう話ではないと思うので」
「え? でも、ベル隊長。こんなに不思議なことが起きてるのに……?」
キリルの疑問に頷いて答え、
「そうですね。どうしてそうなったかわかった……と思います」
「本当かい? お嬢ちゃん」
ちょっぴり驚いた声を出す船頭に、ベルは一つ頷いて……。
「たぶんなんですけど、ここの水路って遠回りなんじゃないでしょうか?」
「ん? というと?」
「つまり、どこか、目的地に行こうとした時、この水路は使われない水路だった。天使の番号を辿るという特別な目的以外では、この水路に入る理由がないとか……そういう場所なんじゃないかと思って」
ベルは、ここまで通って来た水路のほうを指さして、
「ほら、曲がりくねってるし、通りにくそうな狭い水路です。この水路を使う理由は、あまりないんじゃないでしょうか。巡礼者を乗せたゴンドラであれば、ただ近さだけを求めるはずでしょうし、観光にしても、こんな建物の裏に入ってくる必然がない。だからここは、存在はしていても意識されない、利用されることもない水路なんじゃないかって思ったんです」
それから、辺りを見回して建物の様子を確認。
「建物の窓の位置的にも、水路の脇の天使の彫像は見えづらいので、話題にならなかったんじゃないでしょうか。そもそも、普通の住民は天使像の数とか知らないかもしれませんし」
「なるほど。ここは、目的地になりづらい場所であり、なおかつ、わざわざ通る意味のない水路であると……。そういうことか……。なるほどねぇ」
感心した様子の船頭であったが、パティはまだ納得していないようで……。
「じゃ、じゃあ、あの天使像の目が動いたという話は? 去り際に目が光ったって……」
「はい。それを確かめたいんですけど、近づいてもらえますか?」
「ああ、そいつは構わないが……」
船頭がゴンドラを天使像に寄せる。そうして、その顔が間近で見えるようになって……。
「ああ、やっぱり!」
ベルは、自分の推理が正しかったことを知った。
「目のところに……あれは水晶? ああ、そうか」
そう声を上げたのはシュトリナだった。彼女は辺りを見回してから、
「ここに夕日が反射して目が光ったように見えたってこと?」
「そうだと思います。季節によると思いますが、日の光が低くなって、ここの目に当たったんじゃないかなって……」
それから、ベルは船頭のほうを見た。
「というわけで、別に怪談じゃないと思うので、巡礼に来た方たちにもこの天使像を紹介してあげたらいいんじゃないでしょうか?」
「うん? いや、まぁ、確かに幻の五十体目の天使像で、見た目も変わってるから話題になるかもしれないが、なんでわざわざそんなことを?」
「だって、誰にも見てもらえなかったら、天使像もこれを作った人も可哀想ですし」
天使像は、周囲の雰囲気も相まって一見すると不気味に思える。しかし、よくよく見れば、とても丁寧で挑戦的な造形が窺えた。
そもそもの話、天使の羽が二枚だなんて、どこにも書かれてはいないのだ。四枚あったっていいし、それは、作り手の感性というものなのだ。
きっとこの天使像を作った人は、手探りで、自らの美を描き出そうとしたのではないか、とベルは思うのだ。
「やはり、冒険の醍醐味は忘れられた宝物や、誰からも見つけてもらえない未知に光を当てることだと思いますから!」
将来の冒険姫ベルは、そうして、つやっつやに輝く笑みを浮かべるのであった。
さて、昼間の大冒険に大満足して帰って来たベルは、お風呂でスッキリした後、ポーンっとベッドの上に寝ころんだ。
「ふふふ、今日は楽しかったな。みんなも楽しそうにしてたし、行ってよかった」
鼻歌混じりにつぶやきつつ、足をパタパタ。少々、皇女の自覚が足りなそうな動きをした後……。
「あ、そうだ……。ルードヴィッヒ先生の日記帳のチェックをしないと……」
枕元の日記帳に手を伸ばしかけて……。その動きが……止まる。
「……まぁ、明日でいいかな……ふわぁむ……」
つぶやきつつ、ベルは毛布を被った。
枕元に置いた日記帳がふんわり、ほんのり光っているような気がしないではなかったが……。夢見心地のベルが確認するのは、少し先のことになるのであった。
第十部 神聖図書館炎上事件 完
ということで、ミーアの裏で遊ぶ面々のお話でした。
四枚羽の意味深な天使像は、悪魔の彫像というよりは、シャルガール的な人が昔もいてね……ぐらいの話ですが、人目につかない場所だと例の第六資料管理室長なんかが、何かと利用していた可能性はありますね。
近くの石を外すと、うっかり怪しげな古文書が出現した利するかもしれません(未定)
来週から第十一部に入ります。