第百二十六話 ミーア姫殿下は肩が強い
念のために、ミーアは素早く視線を巡らせる。
周りの者たちの様子を見ても、どうやら、そのトンデモナイ会議を開くのは、既定路線になりつつあった。
それは仕方のないことかもしれない。
ミーアだって、確かに、パライナ祭の後に開くというのはちょうど良いタイミングに思える。祭りに参加した各国の者たちと、今後の大陸の行く末を話し合うというのは、道義的には非常に好ましいことなのだろう。
ここで反対するのは不自然だ。
また、その会議をミーアの名前を用いて召集するというのも、どうやら決定事項らしい。というか、おそらく、聖人認定とどっちにする? という感じなのだろう。
あれもだめ、これもいや……と、わがままを言える状況でもない。
どちらがマシかはいささか微妙ながら、ここは飲まなければならないだろうか……。
ミーアはそっとテーブルの上に目をやる。
空のお皿の上、すでに、あのおっきなクッキーは……ない。クッキーの破片が一つ二つ、残ったお皿に侘しさを覚えつつも……。ミーアは小さく首を振る。
――諦めと切り替えが肝心ですわね。なくなってしまったお茶菓子に思いを馳せるより、次のお食事を楽しみにすることこそが肝要。世界会議に関しても、同じことかもしれませんわ。
空のクッキー皿に深き真理を見出して、ミーアは頷いた。
「なるほど、確かにパライナ祭の後に、はっきりとした話し合いの場を持つことはとても大切ですわ。各国がしっかりと飢饉対策をして、よき政策を実施してくだされば、蛇が暗躍する余地もなくなるはずですし……」
ちゃんとそれをすることにはメリットがあるから我慢しようと、まるで自分に言い聞かせるようにぶつぶつ。
――まぁ、演説するのは良いとしても、アウェイ感が強いとやりづらいかもしれませんわ。
セントノエルの顔見知りも来るかもしれませんけれど、それ以上に知らないお偉方がたくさん訪れるかもしれない。それならば……。
そうして、ミーアは前向きに、会議の状況を整えにかかる。
「世界会議というのであれば、各国の有力貴族、王族の方たちのみならず、シャロークさんや、マルコ・フォークロードさん、それに、セントバレーヌの商人組合……有力商人の方たちにも参加していただき、協力していただくのがよろしいのではないかしら?」
「商人たちを、ですか?」
不審げな声を上げる司教がいた。そんな彼に、窘めるように声をかけたのは、ルシーナ司教だった。
「物品の流れを知っている行商人と話をするのは必要なことだろう。ミーア姫殿下は、すでに各商人たちと協力関係を築いている。彼らを呼び、意見を聞くことは自然なことだ」
セントバレーヌでの一件以来、商人組合とは緊密な関係を築いているのだろう。ルシーナ司教の顔には、商人と協調することに対する、かつてのような忌避感はない。
「むしろ……理念や努力目標で終わらせず、具体的な活動として何かを始めていくのであれば、現場を知る者たちの協力が必ず必要になる」
「おわかりいただけて、なによりですわ」
にっこり、満足げにミーアは頷く。
周りを知り合いばかりで固められれば、最悪、ちょっぴり失敗したとしても、フォローは容易だろう。さらに……。
――とはいえ、万に一つも失敗できませんし……。ここは、ルードヴィッヒの力も借りる必要があるかもしれませんわ。何かあった時には話を振ってしまえるよう、そばにいても良いようにしませんと……。
基本的に、投げたボールは倍の速さで投げ返されるのがミーアの人生というものであるのだが……そんな過去のあれやこれやは、ポーンッと記憶の彼方に放り投げてしまっているミーアである。記憶もボールも気楽に放り投げる、ミーアは肩の強いお姫さまなのだ。
そうして、最後に仕上げとばかりに、ミーアは付け加える。
「あと、これはぜひ、みなさんにもご承知いただきたいことなのですけど……」
生真面目に、キリッとした顔で周囲を見回して……。
「会議の成果が劇的ではなかったとしても、あまり消沈しないでいただきたいんですの。人は変わり難きものですから……」
先ほどの言葉を引用しつつ、ミーアは言う。
期待した効果が現れなくっても、こっちに責任を押し付けてこないでね! と。
人間って変化を嫌うって、ルシーナ司教も言ってたし、会議の効果が出なくっても、それってそのせいですよね? っと確認しておきたいミーアである!
しかしすぐさま、それはあんまりな言い草か、と思い直して……。
「そもそも会議の意味があったかどうか、それをすぐに判断するのは愚かなこと。新しいことをするには……そして大きな流れを作るには、それなりに時間がかかるもの。まして世界を変えようなどと、大それたことをするならば、相応の時間が必要だと思いますわ」
失敗に見えても、失敗じゃないことってあるよね? そういうことも、ちゃんと事前に承知しておいてね……っときっちり、しっかり念押ししておきたいミーアである。
「あくまでも、わたくしは、これを一つの種蒔きと考えておりますわ。芽吹きの時がいつになるかはわかりませんし、あるいは、芽吹きの時が訪れないかもしれませんけれど……それでも、それが意味のなかったこととはならないと思っておりますわ」
っと、会議と自分への期待値を下げられるだけ下げたうえで、ミーアは静かに息を吐いた。
――これで、なんとか大丈夫かしら……ふぅ、なかなかに疲れましたわね……。
さて、すっかり気を抜くミーアを見て、司教たちは……緊張の面持ちで、ゴクリ、と喉を鳴らしていた!
なぜか……? 理由はとても簡単で……。
「そうか……帝国の叡智はじっくりと腰を据えて、それを成そうとされているのか……」
彼らは受け取ったのだ。ミーアが、本気であるということを……。
世界や国がそう簡単に変わらないということは、彼らもしっかりわかっていた。むしろ、熟知していた。
良き方向に世界を変えるなどというのは、非常に大それたことであり、一朝一夕でできることではないし、失望すべきことではないことは、よくよく理解していた。
だからこそ、じっくり取り組むべき、というミーアの言葉は、彼女の本気を感じさせた。
「生じた歴史の流れを一過性のものとせず、じっくりと着実に、太い流れにしようとされている……」
「ミーア皇女殿下は本気で、この世界を変えようとされているのだ」
心ある司教たちが求めていた、理想の指導者が、まさに、今、目の前にいるのだ。
彼らの感情は徐々に熱量を帯びつつあった。
やってやろう! というやる気が、彼らの心に芽生え、燃え上がった情熱の火は、神聖図書館を発火点とし。やがては、世界を変える希望の火として燃え広がっていくことになるのだが……。
今のミーアは知る由もないことなのであった。
ちなみに……聖ミーア学園の問題に関しては、ラフィーナが、この学校は神の祝福を受けた聖なる学校ですよー、と獅子の一声を発することで無事解決となった。
めでたし、めでたし。