第134,5話 断罪王とミーアの忠臣
※注:深煎りビターブレンドぐらいほろ苦い、前時間軸のお話。
ミーアの処刑の二日前にあったルードヴィッヒとシオンのやり取りです。
ティアムーン帝国、白月宮殿。
歴代のティアムーン帝国皇帝が住まう美しき城は、帝国全土が革命の炎に焼かれても、その美しさを失うことはなかった。
革命軍は、その城に首脳部の指揮所を置いた。
各地の戦が終わり、この国を腐らせた大貴族どもを滅ぼし尽くせば、またここが、この国の中枢となるはずだった。
その謁見の間に呼び出されたルードヴィッヒは、目の前の玉座に座る青年に片膝をついて、頭を垂れた。
「此度のお申し付け、大変うれしく思います。私はもともと帝国の官吏です。この国の民のために働くのは望むところです。ただ……、そのために、殿下に一つ頼みがあります」
そうして、ルードヴィッヒは顔を上げた。
その視線の先、美しい白銀の髪を持つ青年は、興味深げにルードヴィッヒに目を向けた。
「なんだろう? この私にできることであれば、できる限りは聞こうと思うが……」
「私が願うのは一つだけです。シオン殿下。ミーア姫殿下の助命を……」
「残念だが、ミーア姫の処刑を取りやめることはできない」
最後まで、ルードヴィッヒの言葉を聞かずに、シオンは重々しく首を振った。
「血が流れすぎたのだ。大貴族や帝室の横暴に対しての民の怒りはあまりに大きい。処刑を取りやめれば、革命軍の首脳部に対する非難は大きくなる」
サンクランド王国の軍事力を持ってすれば民を抑えつけることはできる。されど、それでは混乱は長引き、国は一層疲弊する。多くの民が苦しむことになる。
「一刻も早く混乱を収める必要がある。そのためには、革命軍には腐敗した権力を是正する正義の使徒として、民の信頼を集めてもらわねばならないのだ」
民の信認によって立つ新たな指導者。その下で帝国は新しく生まれ変わる。
それが最もスムーズで、無理のない復興への道。
まごうことなき正論で、公正極まる判断だった。
そのことはルードヴィッヒとてわかっていて……、だから、彼はため息を吐いて立ち上がった。
「そうですか……」
小さく肩をすくめて、踵を返す。
それは、一国の王族を前にして取るには、いささか以上に無礼な態度だった。
シオンの傍らに控えた兵士が思わず剣に手をかけるが、シオンはそれを片手で制した。
「力を貸してはもらえないだろうか? 帝国を立て直すためだ」
「シオン王子……、あなたは理想の主君だ。聡明で、公正で、きっと優秀な方なのだろう」
あのバカ姫殿下とは違って……。そう心の中で、ルードヴィッヒは付け加える。
セントノエル学園に通いつつ、その意味を全く理解しておらず、外交的配慮など一切なく好き勝手に付き合いを続けた結果……、一切の好意を受けられなかった彼女。
もしかしたら、支援をしてくれるかもしれなかった国の姫君と同級生だったにも関わらず、名前を忘れて……、
「えーっと、どなただったかしら?」
などと本人の前で言ってしまう体たらく……。
――せめて、クラスにいた有力者の名前とか、国ぐらいは覚えておけ!
という悪態を、何とか飲み干し、諫言したことが幾度あったことか……。
けれど、ルードヴィッヒが怒り切れなかったのは、そう指摘して以来、彼女が相手の名前と国の書かれたメモを片手に、何とか記憶しようと努力していたからだ。
そう、努力していたのだ……彼女は、ミーア姫殿下は……。
改めて、眼前のシオン王子を見る。
敵であるミーアに仕えていた自分にすら声をかける懐の深さ、聡明なる判断と適切な政治手腕。仕えるのに、眼前の人物ほど相応しい人物はいないとわかっているのに……。
ルードヴィッヒは寂しげな笑みを浮かべた。
「きっと、あなたは間違ったことなどないのだろうな。ただの一度も……だから……」
わからなかったのだろう、あの方の気持ちも、頑張りも……。
その言葉を飲み込んで、首を振る。
正しいことができる時に正しいことを行うこと。
それは、統治者の立派な資質だ。
手元に自由に使える金があったとして、それを正しきことのために使える者が果たしてどれほどいるだろうか。
目の前の、シオン・ソール・サンクランドは、間違いなくその金を正しいことに使える、そのような人間だ。
けれど……、同時に、それは幸運なことでもあるのだ。
正しいことを行うことができない状況に追い込まれることだって、世の中にはいくらだってある。
困窮した国民に食べ物を与えたくとも、それが手元にないことだってある。
民を豊かにするべく、正しく治めようとした時に、その能力も、国力もない場合だってある。
それでも……、その最悪な状況であがいたのが、自らの主君であったのだ。
小さく息を吐き、ルードヴィッヒはシオンの方を見た。
「あなたには、俺の力が必要とは思えない。優秀な部下など、いくらでもいるのでしょう」
自らが、感傷的になっていることを、ルードヴィッヒは自覚した。
頑張った、努力した、そんなもの言い訳にならない。
実際、多くの民が帝室の無能で、門閥貴族の横暴で死んだのだ。その遺族の怒りは、どんな言葉によっても癒されることはない。
けれど、それでも……、彼女の努力が報われないことが悲しかった。
「俺は、あなたや、ティオーナ伯爵令嬢に仕える気にはならない。失礼する」
静かな声。そこにかすかな怒りが含まれていることに、驚きつつも、ルードヴィッヒはその場を後にした。
シオンが、そんな彼を罰することはなかった。
その二日後、帝都の広場にて。
ミーア・ルーナ・ティアムーンの処刑が行われ……、以降、ルードヴィッヒの姿を見た者はいなかった。
「ミーア姫には、案外、人望があったということか」
処刑が終わった後、執務室に戻ってから、シオンはつぶやいた。
彼の知るミーア・ルーナ・ティアムーンという少女は、わがまま勝手に権力を乱用する者だった。気に食わない下級貴族の娘には辛く当たり、わかりやすい価値を求める、そんなつまらない人間。
民を踏みつけにして、国自体を弱らせる、愚かな統治者に連なる者……。
到底、好意を抱きようがない人物であったはずだが……。
「俺の知らない面が、彼女にもあった……、そういうことなのだろうか」
そう考えると、ふいに、かの帝国皇女の顔が頭を過ぎった。
かつて、学び舎を共にし、言葉を交わした人間の首をはねるのだ。気分が良いはずもないが……、単なる感傷以上の、奇妙な苦みが彼の中に残った。
やがて、時は巡る。
ティアムーン帝国の崩壊をきっかけにして、大陸には混乱の時期が訪れる。
ヴェールガ公国におけるラフィーナの暗殺事件、レムノ王国での革命、そして、その波はサンクランド王国をも飲み込んだ。
数多の戦乱と国内の権力闘争、そのすべてを、国王シオンを中心に、彼の優秀な家臣団は乗り切った。国土の何割かを失い、民の犠牲も出たが、それでも、その数は他国に比して圧倒的に少なかった。
まず善政といってもよい、公正な統治だった。
しかし……、綺麗ごとで済まない判断を強いられるたび、シオンの脳裏に蘇るのは、あの日の紅い断頭台のことだった。
――間違ってはいなかったはずだ。あれは……、仕方のないことだった。
その都度、彼は自身に言い聞かせ続けた。
自分でも気づいていなかったが、それは明確な傷だった。
長いこと治療されることもなく、無視され続けた傷は、ことあるごとに彼を苦しめ続けた。
後年、”断罪王”の名で呼ばれたシオン・ソール・サンクランドは、善王としての名声を得るも、孤独のうちに生涯を閉じることになった。親しみでも好意でもなく、畏怖と恐怖の目で見られる、そのような人生だった。
それは、やがて、訪れるかもしれなかった一つの終焉。
ミーアが全力のへなちょこキックで蹴り飛ばしてやった未来の一つの形である。