番外編 ベル、決意を固める(若干、緩めに)
ヴェールガ公国、公都ドルファニア。そこは縦横に走る水路に彩られた美しい古都だ。
この地に巡礼にやって来た者たちは、大神殿にて礼拝に参加した後、ゴンドラ観光をするのが常となっていた。
さて……。そんなドルファニアの一角、ゴンドラの船着き場に、ベル探検隊の精鋭たちが集合していた。
メンバーは隊長ベルと参謀のシュトリナ。隊員であるヤナとキリル。さらに保護者のハンネス、リンシャ、そしてパティである。
それは、ちょうどミーアが窮地に陥っている頃のことであった。
ゴンドラの脇に佇むは、髭面の船頭。いかにも熟練で、水路のことに関して一過言持っていそうなその男を見て、ベルはワックワクと体を弾ませていた。
「うふふ、楽しみだね、リーナちゃん」
声を弾ませる親友に、シュトリナもニッコリ笑みを返しつつ……内心でほぅっと安堵の息を吐く。
――よかった、なんとかこっちに連れて来られて……。
なにしろ、つい先ほどまで、意気揚々と図書館地下に突撃しようとしていたベルである。
「ミーアお姉さまが司教会議で頑張っている間に、部屋でじっとしていることなんかできません。発見した地下道の追加調査を……」
などと言い出したベルを、大慌てで止めつつ、
「天井が崩れてきたりしたら危ないから、地下の調査はヴェールガの人に任せたほうがいいんじゃないかな……。あっ、それより、ドルファニアの町のほうに行ってみようよ」
などと説得するシュトリナ。っと、ちょうどそこに通りかかったパティは、うん? っと首を傾げていたのだが、視線を巡らせて、すぐさま状況を察知。
「……ハンネス、ゴンドラで水路を見て回りたいんだけど。ヤナたちとも一緒に」
一緒にいた弟、ハンネスにおねだりする。
「ああ、ゴンドラ観光ですか。そうですね、せっかくドルファニアに来たのですし、いいですね、姉上」
などと、ハンネス、快諾。基本的に彼は、パティお姉さまの言うことに関して、異論を差し挟むことはない。むしろ、お願いされたことに大喜びで……。
「ぜひ、こちらの世界で羽を伸ばしてもらえれば……」
などと考えているのであった。っと、それを見たベルは、
「え? ハンネス師匠も行かれるんですか?」
興味を惹かれた様子のベルに、すかさずパティが畳みかける。
「……ドルファニアの水路はかなり歴史がある。地下に繋がる水路もあるから、もしかしたら、なにか隠されたモノがあるかも……」
なぁんて意味深につぶやいたものだから……。
「ハンネス師匠! ぜひとも、ボクたちもご一緒させてください!」
そんなやり取りを経て、みんなでゴンドラに乗ってドルファニア観光をすることになったのだった。
「それでは、みなさん、くれぐれも舟の上で暴れないようにお願いしますよ」
手慣れた様子で、船頭が櫂を操る。非常にスムーズに、ゴンドラは進みだした。
のんびりと過ぎゆく古都の街並みは、なるほど、観光地になるだけあって実に美しい。水路を囲むようにして積まれた石の一つ一つには丁寧な彫刻がされており、この町を作った古代人たちの情熱のほどがうかがえた。
「うわぁ……すごいね、お姉ちゃん!」
無邪気に声を上げるキリル。ヤナは、そんな弟の頭を撫でながら、なんとも言えない笑みを浮かべる。
「……ヤナ、どうかした? 疲れてる?」
そんなヤナに首を傾げるパティ。
「もしかして、オウラニア姫殿下と一緒に、司教たちに説明したから……」
心配そうなパティに、ヤナは苦笑いで首を振った。
「いや、そうじゃなくって。なんていうか……ちょっと不思議な感じがしてさ」
「不思議……?」
「そう……」
ヤナは、言葉を探すかのように一度黙ってから……。
「少し前までさ、あたしたちは、貧民街だけで生きてたんだ。そこがガヌドス港湾国という国なんだって意識することさえないぐらい、そこがあたしたちのすべてだった。他の国があるなんてこと、想像もできなかった。あの貧しい町が……あそこだけが、あたしたちの世界だった。この狭い世界でずっと生きていくんだって、思い込んでた……」
ヤナは、水面に手を伸ばした。澄んだ水をすくいながら……。
「だから、こんなふうに、知らない国の、知らない町にいて……のんびり舟に乗ってるのが、すごく不思議で……。あの頃は、毎日、どうやって食べていくか、どうやって生きていくか、それだけ考えてたからさ。なんか、すごく遠くまで来たんだなぁって……」
「ふっふっふ、まだまだですね、ヤナ」
二人の話を聞いていたのか、舟の前方にいたベルが振り返る。ドヤァッとした顔で指をふりふり。
「この世界は広くって、冒険するべき場所はたくさんあるんですから、こんなぐらいで感動してたら話になりません。とりあえず、この水路の探検を終えたら、次は図書館の地下道を……」
「あそこは、安全が確保されてからよ、ベルちゃん。子どもたちも一緒に行くならなおのことね」
すかさず、シュトリナが釘を刺す。さらに……。
「っていうか、ベルさま、まず、試験勉強をしなければいけないんじゃないですか?」
リンシャが追い打ちをかけてくる。
「そ、そんなぁ……リンシャさんまで……」
しゅーんっと肩を落とすベル。落ち込んだ様子のベルを見て、声を上げたのはキリルだった。
「ベル隊長、だいじょうぶ。ぼくもあんまり勉強得意じゃないけど、頑張ればなんとかなるから!」
ギュッと拳を握って励ましてくれる!
そんな健気な少年の様子を見たベルは思わず感動…………も、確かにしたのだが、それ以上に、こう、なんというか……さすがに、キリルに励まされて感動してたら駄目じゃない……? と思ってしまった。
不意に、その耳に誰かの声が甦る。
『その誇り高き、名前を抱いて……行きなさい』
遠い昔に、誰かから言われた言葉。
平和な時代に、いつしか思い出すことが少なくなっていた言葉。
大切な人から託された、その言葉……。
今の自分は、あの人たちに誇れる生き方をしているだろうか……?
自問自答の末、ベルはスッと背筋を伸ばし、それからキリルの顔を見て……。
「ありがとう、キリル。ボクも帰ったら、勉強を頑張ろうと思います……できるだけ。あまり無理のない範囲で……うん、頑張る。頑張ろう。よし!」
こうして、かつての帝国最後の姫、ミーアベル・ルーナ・ティアムーンは、ほんのちょっぴりだけ勉強に立ち向かう決意を固めるのだった。
まぁ……固めると言っても、水分多めのミーア団子ぐらいの固まり具合ではあるのだが……、それは尊敬する祖母ミーアもまぁ、大体同じ感じなので、問題ないのであった。たぶん。
ともあれ、一行はミーアが脂汗を流している間に、たーっぷりとドルファニアの古都を満喫するのであった。めでたし、めでたし。