第百十八話 けーきをけいきに
――せっ、聖人として、認定……。お、おほほ、いやですわね、そのような冗談を……。
なぁんて思いつつ、辺りをキョロキョロ……。反対者を探す……。っと、レアもリオネルも、オウラニアも……なんだか、納得顔だった!
さらに、ラフィーナに至っては、ようやくお気づきになりましたか……? なぁんて言い出しそうな顔をしているっ!
しかし……。
「いえ、それは難しいのでは……。ミーア姫殿下のひととなりはともかくとして、聖人に認定するためには、神に選ばれた証明としての奇跡が必要なはず……」
司教の一人が懸念を示す。それに、ミーアは思わず頷いた。
――そうそう、そのとおりですわ! 確かに、奇跡が必要なはずですわ。さすがに、そんなものは…………あっ……。
とそこで、ミーアは、ふと思い当たってしまう。
――そ、そういえば、完全に忘れておりましたけれど、わたくし……神の奇跡としか言いようがないものに巻き込まれていたような……。
そうなのだ。実のところミーアは、神の奇跡というものに関しては第一人者なのだ。
むしろミーアほど奇跡の名に相応しい人はいないと言っても過言ではない。なにしろ、一度、断頭台にかけられて死んだ後、過去に飛ばされたのだから。
これを神の奇跡と言わずして、なんと呼べばいいのか……ミーアは知らない。
しかも、今では未来から孫娘を、過去から祖母を呼び寄せたりしている。
まさに奇跡! おそらく、有史以来、たった一度しかないであろう奇跡の中の奇跡だ!
――いえ、まぁ、他にもこっそりそういう経験をなさっている方がいるのかもしれませんけど……。
世界でただ一つの奇跡の経験者などと言う肩書にプレッシャーを感じたミーアは、心の平静を保つべく、そんなことを考えたりして……。
ともあれミーアは、性格はどうあれ、奇跡の経験者という点においては、このうえなく聖人と呼ばれるに相応しい存在なのだ。性格はどうあれ……ではあるが……。
――ああ、でも、良かったですわ。血染めの日記帳も断頭台の未来も、今のところ誰にも話していないはず……。
ふーう、っと安堵のため息を吐きかけた直後、ミーアは思わず目を見開いた。
――あっ! そっ、そうでしたわ! ベルのこと、完全に忘れておりましたわっ!
ベルが未来からやって来た孫娘であると、何人かの仲間たちには話してしまっていた。
オウラニア、レア、リオネルには話していないと思ったが……しかし!
ミーアはぎくしゃく、とした動きで……聖女ラフィーナのほうを見た。
ラフィーナは……ひどく穏やかな顔で、司教たちの話し合いを見守っていた。懸念を示した司教に対して怒るようなことはなかった。すごく、余裕があった。
なんというか……聖人認定とか当たり前じゃない? ぐらいの感じで、すっごーく涼しい顔をしている!
――あっ、これ、ヤバいですわ。ラフィーナさまに言いませんと……!
焦るミーアの視線を受けて、ラフィーナが颯爽と立ち上がった!
立ち上がって……しまったっ!
「難しく考える必要はどこにもないと思います」
涼やかな声。みなの視線を一身に受け、聖女ラフィーナは穏やかな笑みを浮かべて。
「各国を飢饉から救う……そのような奇跡をいったい誰ができるでしょうか? レムノ王国の革命を止め、蛇を炙り出したこと、騎馬王国の失われた一族を和解させ、ガヌドス港湾国のヴァイサリアン族を救い出した。ガレリア海に秘された古の蛇の痕跡を見つけ出した。蛇の巫女姫、並びに、蛇の凄腕の暗殺者二名を捕らえ、他の蛇も被害を出すことなく捕らえた……。これを奇跡と呼ばずして、なんと呼ぶでしょうか?」
朗々と、ラフィーナはミーアの功績を告げていく。
それらは、帝国の優れた皇女の枠組みを軽く超えたもの、確かに、そのすべての騒動の中心におり、解決に寄与したと言われれば、奇跡と言っても過言ではないかもしれないが……。
そんな空気が流れた、まさにその瞬間、ラフィーナは厳かに、告げる。
「それに、これはみなさんには言うことはできませんが……私は、ミーアさんの上に起きた奇跡のことを知っています」
「えっ?」
目を丸くする司教たちに、ラフィーナは微笑みを浮かべて、
「その奇跡は、あの蛇の巫女姫さえ認めるほどの、圧倒的な神の御業。それ以外に言いようのないものでした」
まず、ミーアのあり得ないほど大きな功績をあげつらったうえで、とどめとばかりに、詳しくは言えないけど、本物の奇跡も起こりましたよ、と付け加える。結果、最初に口にした功績すら、奇跡の産物であったのではないか、と思わせる。
その堂々たる物言いは、まだまだレアにはできないもの。聖女ラフィーナの貫禄の発言である。そのうえで……。
「ゆえに、私、ラフィーナ・オルカ・ヴェールガは胸を張り、神の御前に一点の曇りもなく求めます。ミーア・ルーナ・ティアムーンを、聖人に認定することを」
それから、ラフィーナはミーアへと視線を移した。
――なっ、なな、なぜ、こんなことにっ!
すでに、どうにもならないところまで押し上げられていることを実感するミーアであるが……それでも何も言わないわけにはいかず……。なんとか、回避のための悪あがきを始め、ようとして……。
「ひ、あ、お……え、ええ。まぁ、その……ええと……」
けれど、さすがに言葉に詰まる。ここから、どう挽回したものか……。脳みそを、ぎゅんぎゅん、ぎゅんぎゅんフル回転し……。
――ああ、ケーキが食べたい……。
ちょっぴり、現実逃避。されど、そこに天啓を見る!
おずおずとした口調で、ミーアは話し始める。
「そ、そのぅ……わ、わたくしは……じっ、実は、あ、あまり大きな声では言えないのですけど……ぞ、俗っぽいところがございまして」
「……へ?」
ラフィーナが、思わぬことを聞いたと言った様子で、キョトンと目を瞬かせる。
「美味しいお食事が好きですし……ケーキなどが大好きですわ。うっかり食べ過ぎてしまうこともしばしばですし。つまみ食いはさすがにしませんけれど……」
そう、さすがのミーアもケーキのつまみ食いなどというのは滅多にしない。パーティー会場の厨房にフラッとやってきて、後で出す予定のケーキセットに手を伸ばそうとしたことがないではなかったが、ほとんどそんなことはない。ほぼない。七割方そんなことはしない。
それはともかく、わたくし、聖人には相応しくないですよ? 俗っぽい普通の人に過ぎないですよ? と大アピールしつつ、
「もちろん、誰かと一緒の時には、全部独り占めしたりもしませんけど……、それでも上に乗ってるイチゴは、子どもたちを押しのけて、大人げなくいただいてしまうかもしれませんわ」
ギリギリ、怒られないラインを攻める。探り探り、慎重に言葉を続ける!
「飢餓の対策を進めるのも結局のところ、わたくしが美味しいお食事を食べるため、という側面がないではないですわ。わたくしは追い詰められた時に、自分や自分の大切な人が餓えないために、他人を見捨てないという自信がない。だからこそ、誰かを見捨てるという選択肢を迫られなくても良いように、余裕を持ちたいと思っているだけですの」
自分を捨てて、自分を殺しての行動などできませんよ? っとミーアは主張する。
「誰かが餓えている中、自分たちだけ食べるのは、あまり気持ち良いものではないから。そう、わたくしはただ、自分が美味しく食事がしたいために、他者を飢えさせないようにしているだけ。他者が餓えている中、自分だけ食べるのは忍びないから、そうなったら、自分のものを分けてしまうでしょう? そうすると、自分が食べる分が減ってしまうではありませんの。だから、そんなことにならないように備えているだけなのですわ」
ミーアは、困ったような顔で微笑んで、
「このように、俗っぽいわたくしが聖人認定を受けるなど、まったく相応しくないと思いますわ」
「あら……俗っぽいことに、なにか問題があるのかしら……?」
ミーアの言葉を遮るように、涼やかな声が響いた。
ラフィーナに似たその声は、けれど、会議場の入口のほうから聞こえてきて……。