第百十六話 そこはかとなく……
ミーアは会場の中に、そこはかとなく漂い始めた芳しい黄金の香りを嗅ぎ取る。
――むっ! これは……良くない匂いですわ! 少々の調節が必要ですわね!
そう、今やミーアは熟練の波乗り師である。乗るべき波と、乗ったらヤバイ波とは、なんとなくわかってしまうのだ。
ということで、別の波に乗り換えられるために……。
「まぁ、オルレアンさま、そのように言われてしまうのは非常に面映ゆいことですわ。わたくしは、あくまでもすべきことをしただけですわ」
あくまでも、ごくごく当然のことをしただけですよ、みんなやってることですよぅ、っという姿勢を示すべく……。瞳をそっと閉じて……。
「ただ、神聖典に書いてある統治者のすべきことを、当たり前のことを、やっているだけで、褒められるようなことはなにもございませんわ」
本当、なんでもないことですよ? いや、本当に……なぁんて、シレッと澄まし顔で言ってから、片目を開けてチラリ……っと! なぜだろう! 会場の空気が、ジワリと熱を帯びたような、そんな感じがした。
「お……おお、素晴らしい」
なぁんて、どこかからつぶやく声が聞こえてきて……。
――あ、あら……? 妙ですわね……。なにか、想定外の反応が……。
「姫殿下は、たいそう謙虚な方なのですね」
などと、誰かが囁く声と、まさに! と得意げな顔で頷くオウラニアの姿が見えて……ミーアは、ただただ混乱する。
――どっ、どうなっておりますのっ!?
「では、ミーア姫殿下。改めてお聞きしたく思います。一度、休止したパライナ祭を、なぜ、再開するのか……。その意義をお語りください」
自然に促すオルレアンの言葉に、ミーアは一つ頷いて、
「え、ええ、かしこまりましたわ。ただ、その件は現生徒会長のレアさんにやっていただきたいと思っておりますの」
ミーアの言葉に、会場がかすかにざわつくが、そんなことは気にしていられない。
――とりあえず、わたくしに集中している期待感を分散させなければ……。
ゆっくりと深呼吸して、ミーアは心を落ち着けてから……。
「みなさんは誤解されているようですけど、パライナ祭については、わたくしが言い出したことではございませんのよ? 新生徒会長のレアさんが、いろいろなことを考えて、提案してくださったことですから、彼女に説明していただくのが一番良いですわ。さ、レアさん」
ミーアに促され、おずおずとレアが立ち上がる。辺りをキョロキョロ見回して……胸の前で手を握っては開き……。それから、その手を顔に伸ばし……いつの間にやら顔にかけられた眼鏡に触れ、何事かつぶやく。
読唇術など使えないミーアであったが……その動きは、なんとなく「ディオン・アライアよりマシ」とつぶやいているように見えた。
――ううむ、緊張しているみたいですわね……。ふむ!
レアには、パライナ祭の発案者として、堂々とした姿を見せてもらいたいところである。そうしなければ、ターゲットが分散しないわけだし……。
ということで、エールを送るべく立ち上がる。
「レアさんは、この一年間、生徒会長としてよく働いてくださいましたわ。初めから才能豊かな方でしたけれど、経験を積んでますます頼りがいがある方になりましたわ」
それから、ミーアは周囲を見回し、目当ての人物を探し出す。
マルティン・ボーカウ・ルシーナ司教は、席の最前列に腕組みして座っていた。
「今日はお父上であるルシーナ司教猊下もいらっしゃっているとのこと。ぜひ、レアさんの晴れ姿を見ていただきたく願っておりますわ」
念のために、レアの父親があのルシーナ司教であるということを強調しておく。
これで、少しばかりレアが失敗したとしても、プレッシャーをかけることはないだろう。
「お兄さまのリオネルさんも一緒に、今回のパライナ祭について、しっかりと説明してくださいますわ。さ、レアさん」
困った時には、リオネルを頼るんだよ? こっちに振ったらダメよ? と、しーっかりと予防線を張ったうえで、ミーアは静かに腰を下ろした。
ミーアから話を引き継いだレアは、そっと深呼吸して……。それから、改めて会場内に視線を送り、
「それでは、セントノエル生徒会長、レア・ボーカウ・ルシーナが、パライナ祭について、その意義について、お話しさせていただきます」
凛々しい顔で話し始める。
「パライナ祭は、大陸各国が共に歩みを進めるためのもの。各国が知恵を出し合い、前に進むためのものです。では、その進むべき先とはどこでしょうか?」
透き通った声、それは、ラフィーナにも負けず劣らず清らかで、聖女の趣があった。
「私たちは、進むべき先、目指すべき未来を、誰もが餓えることのない世界であると考えました」
ミーアはその言葉に、深々と頷く。
そう、それこそがミーアの理想。誰も飢えることなく、満足するほどとまではいかずとも、ほどほどに満腹であれば、仮に蛇の暗躍があったとしても、そう酷いことにはならないはず。
それは進むべき第一歩。国が最もやらなければならないことにして、やらなければ話にならないような基本も基本。
そういうところをないがしろにすると、ギロちんが嬉々として走り寄ってくるのだ。
――すべての国が、そのような未来のために動いてくれるのであれば、わたくしはかなり楽ができますわ!
「そして、大陸の各国に、その重要さを見せるため……我らの目指すべき未来を示すために、この祭りを開くことを考えました。そして、その中心となるものが、セントノエル、聖ミーア学園共同で取り組む、海産物研究所です」
「ちなみに、言うまでもないことながら『聖ミーア学園』は、こちらにおられるミーア姫殿下が立ち上げた、ティアムーン帝国の学校です」
朗らかな笑みを浮かべて、リオネルが補足する。どことなく、得意げな顔をしているリオネルに、ミーアは……なぜだろう……そこはかとなく不安を覚えるのだった。