第百三十四話 ミーア姫、ハイキック!
ミーアは、一歩引いたところでアベルとシオンとのやり取りを見ていた。どうやら、アベルはシオンのことを許したらしい。
――よかったですわ……、さすがはアベル。
彼が自分と同じ判断をしてくれたことが、ちょっぴり嬉しいミーアである。
――それにしても、当分はシオンにでかい顔されずに済みそうですわね。
ミーアはニマニマしながら、シオンに歩み寄った。
「許してもらえたみたいで、よかったですわ」
「ああ、君のおかげだ、ミーア」
シオンはミーアに顔を向けて、静かに頭を下げる。その隣で、アベルが苦笑しつつ肩をすくめた。
「まぁ、正直、父上に罪がないとは言えないからね。サンクランドのせいにばかりはできないさ」
アベルの言葉の正しさを、ミーアはよく知っていた。すべての責任を陰謀に押し付けるわけにはいかないのだ。
あの時の帝国は確かに腐っていて……、それは裁かれても仕方がないことだった。
だからこそ、ミーアが文句を言いたいのは一つだけだ。
「シオン、ようやくあなたも知りましたわね、失敗を」
ミーアの指摘に、シオンはきょとんとした顔をした。
「あなたのような方は知らないかもしれませんけれど、人間は失敗するものなのですわ。完璧に生きられる人間など、いはしない。だからこそ、せめてやり直しの機会を与えてあげることですわ」
特に、わたくしには! と心の中で付け足すミーアである。
何しろ、前の時間軸はその機会が一切与えられなかったわけで……。
「でも……そう考えると……なんだか」
少し落ち着いてミーアは腕組みした。
――今回のレムノ王国と同じことが、帝国革命の時にも起こっていたなら……、正義の味方面してたこいつも、決して悪くなかったとは言えないわけで……。そう考えると……、なんだか、こう、ちょっとムカついてきましたわね……。
すまなそうな顔をするシオンを見て……ミーアの耳元で黒いミーアが囁いた。
――今だったら、ちょっとぐらい痛い目にあわせてやっても……大丈夫なんじゃないかしら?
……ちょっぴり調子に乗りやすいミーアである。
「シオン、あなたの失敗を忘れぬよう、その身に刻み込んで差し上げますわ」
「……? なんのことだ?」
問いかけるシオンに、ミーアはわざとらしく、重々しい口調で言う。
「罪は罰が与えられて初めて完結するもの……。アベル王子には許していただけたようですけれど、それではあなたの心が納得しないのではなくて?」
「罰って、ちょっ、ミーア姫殿下!」
慌てた様子のキースウッドを、シオンは片手で制した。
「いや……、その通りだ。甘んじて罰を受けよう。俺は何をすればいい?」
「ふふん、いい心がけですわ! シオン、ならば、そこにお立ちなさい」
鼻息荒くそう言うと、ミーアはじりじりと、瞳を閉じたシオンの周りをまわる。
一つの剣の型を鍛え続けたアベルと同じく……、ミーアにも磨き上げたものがあった。
アンヌに痛くないと言われた日より、それを懸命に鍛え上げ続けた。
いつか使う機会があるかと思い、その威力を高め続けたのだ。
その足から繰り出されるキックの威力を!
――思いっきり、痛くして差し上げますわ!
"痛いの嫌い"を返上して気合一閃! 力強く踏み込み、ハイキックを繰り出した!
思いっきり上げた足はシオンの頭……までは当然届かず……。
肩……までも届くことなく……。
脇腹……よりさらに下のお尻のところを直撃した!
ぺちぃっ! という……何やら微妙な音が辺りに流れて……、
「その痛みとともに、心に刻み込むがよろしいですわ! シオン」
やり切った顔で、ミーアが言った。
覚悟していたほどの痛みもなく……拍子抜けするほど弱弱しい蹴りをもらったシオンは、呆然とミーアの方を見つめた。
「今のはいったい……」
けれど、すぐに気づく。
――まさか、わざとか……?
罪は罰によって終わり過ちは裁かれることで完結する。
アベルに許しを与えられて、それで終わりでは、お前は気が済まないだろう? と帝国の叡智は問うた。
罪には罰が必要で、罰によって終わるもので、だから……、だからこそ――ミーアはそれを許さない。
表向きは、今のでシオンに対する罰は与えられたことになる。だから、これ以降は誰もシオンに罰を与えてはくれない。
けれど、実際にそれが与えられなかったことを他ならぬシオン自身が知っている。
ゆえに、その罪は、その苦みは……決して消えることはない。
これから先、シオンは、正義を行おうとする時、必ず今日の失敗を思い出す。
その苦みを思い出し、立ち止まり、それが本当に正しいことなのか、と自分に問いかけなければならない。
そして自身が許されたように、相手もまた許される余地があるのではないか、と……、やり直しの機会を、慈悲を与えるべきなのではないか? と、問い直すことになるだろう。
――今日の日の教訓を決して忘れることなく刻み込め、か……。
公正に裁けと、正義を行えと……。
幼き日より言われ続けた言葉、その本当の意味を、真の重みを、難しさを、シオンは初めて知ったような気がした。
後年、思慮深さと慈悲深さを称えられ「天秤王」の名を冠されたシオン・ソール・サンクランドは苦笑しつつ忠臣キースウッドに語ったという。
「あの日が俺にとっての分かれ道だった。もしもあの苦みを味わうことがなかったら俺は民の憎悪を買って首を取られていただろう。そして、もしもあの苦みを、取り返しがつかぬ段階で味わったなら、俺は過ちを認めることができなかっただろう」
と。
番外編「断罪王とミーアの忠臣」をアップしました。
前時間軸のエピソードで、深煎りビターブレンドぐらい、ほろ苦いだけのエピソードなので、そういうの嫌いな人は読まない方が良いかもしれません。