第百十三話 アンヌ、やりますわね!
室内、ミーアの正面に腰を下ろしたリオネルが、遠慮がちに口を開いた。
「ところで、お聞きしましたけど、昨夜は大変だったようですね。潜んでいた蛇の襲撃を受けたとか……。ヴェールガの民として、司教に連なる者として、深くお詫びを申し上げます。できれば、関係者への処罰は……」
などと、かしこまった口調で深々と頭を下げるリオネルを、ミーアは片手を挙げて制した。
「別にあなたのせいではない……というより、誰のせいでもありませんわ。蛇は、巧みに人の心の隙を突き、近づいてくるもの。優しい友の顔をして近づいてくるものですから、防ぐのは非常に困難。被害も出ませんでしたし、これ以上は、誰かを裁くようなことをするつもりはありませんわ」
そこで、ふとミーアは思い出した。
――そういえば、レアさんは司教帝になったんでしたっけ……。もしかすると、こっそり近づいてきたジーナさんの暗躍があったのかもしれませんわね。神聖図書館にいたのであれば、十分に考えられることですわ。
そう考えると、なおのこと、むしろ、未然に危機を防ぐことができたのかもしれない。
「あの、ミーアさま?」
きょとん、と小首を傾げるレア。その、なんの邪心もない顔を見て、ミーアは小さく微笑んだ。
「いえ。なんでもありませんわ。特にケガもありませんでしたし、神聖図書館に潜んでいた危険な蛇を見つけ出せたのですから、やはり昨夜のことは神の配剤というものですわ」
それから、ミーアは、何げなくアンヌが淹れ直してくれた紅茶を一口。
瞬間、カッと目を見開く!
――甘くない……。このお紅茶……お砂糖が入っていないですわ……っ!? しかし……。
確かめるようにもう一口……。鼻から抜ける良い茶葉の香りにうっとりしつつ……。
――甘くはありませんけど、ミルクの質が良いのか、まろやかで実に美味ですわ。香りも芳醇……。絶妙ですわ。アンヌ、やりますわね!
そうしてミーアは、砂糖の入っていない紅茶と濃厚ミルクから、エネルギーを抽出。脳みそをギュンギュン回していく!
そうして、できるだけ自然に、司教会議で目立たぬポジションを獲得するために、流れを生み出すのだ。
「ところで、ルシーナ司教は司教会議にはいらっしゃるのかしら?」
「はい。父もミーア姫殿下にお会いできることを楽しみにしておりました」
答えたのはリオネルだった。それを聞き、ミーアは内心でにんまーりと笑みを浮かべる。
――それは好都合ですわ!
それから、ミーアはレアのほうに目を向けて……。
「そういうことでしたら、ルシーナ司教には、レアさんの晴れ舞台を見ていただくべきですわね」
「…………え?」
なんのことかな? とキョトンと首を傾げるレアに、ミーアは言った。
「実は、パライナ祭開催の主旨やもろもろのことについては、レアさんにお話しいただこうと思っておりますの」
「え……!? わ、私ですか? いえ、でも、それはミーアさまが……」
わたわたと手を振るレアに、ミーアは優しい、朗らかな笑みを浮かべて……。
「わたくしは、聖ミーア学園とセントノエルの共同プロジェクト、海産物研究所のほうのお話しをする予定ですわ。このうえ、パライナ祭のことまでわたくしが話すのはおかしなこと。それに、あなたは、今回の祭りを開くきっかけとなった方、なによりセントノエル学園の生徒会長を務める方なのですから」
さらにミーアは、すかさず、レアの隣に座るリオネルに目を向け、
「リオネルさんも、レアさんのサポート、しっかりお願いいたしますわね。わたくしたちが卒業した後も、セントノエルを支えていくのは、あなたたち若い人たちなのですから」
ミーアの言葉に、リオネルはキリッと背筋を伸ばし、
「はい。わかりました。どうぞ、お任せください」
実に生真面目な声で答えた。
いよぉし、上手くいったぞぅ! っと、内心で快哉を上げるミーア。すかさず、次のステップを踏む。
「それでは、何を話すか、事前にある程度、打ち合わせておきましょうか」
下手なことを口走ったりしないよう、事前に釘を刺しておくのだ。
恐らくは大丈夫だとは思うのだが、オウラニアはレアのことを妹弟子と見ているらしい。姉弟子からの悪い影響で、唐突なミーア礼賛など始められては一大事。
大事なルシーナ司教の娘が、帝国の悪女に染め上げられているぞ! などと受け取られてはたまらない。きっちりと、何を話そうとしているのかを確認しておく必要があった。
「そうですね……。それは必要かと思います。確認すべきことは、今、パライナ祭を開く意義の確認でしょうか……」
諦めて、気を取り直した様子のレアに、リオネルが頷いて答える。
「もともと今回のパライナ祭は、海産物の飢饉対策研究を聖ミーア学園、セントノエルの連名で表明することで、大陸全土に、正しい国家の方向性を示す意味がありました。だから、それは強調する必要があるでしょう。司教たちも、なぜ一度やめたパライナ祭を再開するのか、不思議に思っているはずですし、その意義を問いたい者もいるでしょうから」
てきぱきと要点をまとめてくれるリオネルを見て、ミーアは、心強さを覚える。
――ふぅむ、やはりリオネルさんは頼りになりますわ。それに、レアさんもなんだかんだで頼れる感じになっておりますし……。これはわたくしが手を出さずとも問題なさそうですわね。
ホッと安堵しつつ、紅茶をすするミーアには、やはり少しばかりの油断があったのだった。