第百十一話 油断があったのだ……
「なるほど、言葉のもともとの意味、語源……。盲点でしたわね。確かに、静海の森というのも、少し変わった名前ですし」
「ちなみに、気付かれたのは、ベル嬢です」
優しい笑みを浮かべるハンネスに、ミーアは驚いた様子で声を上げる。
「まぁ! ベルが……」
途端、得意げに胸を張るベルである。
「ふっふっふ、そうなのです。いやぁ、実は前々から気になっていたんですよ。どうして、森なのに、海って言葉がつくんだろうって」
「ふーむ、言われてみればその通りですわね。帝国は内陸国。海に接しておりませんし。地名に海の言葉が使われてるのは、奇妙と言えば奇妙な話……」
「もっとも、創世神話の時代に世界は一度海に沈んでいるから、それにちなんでつけられたということであれば、可能性はあるけれど……」
ラフィーナの言葉に、ハンネスが続く。
「そうですね。大洪水の伝承は、創世神話の命の木の実と知識の木の実の後の時代。であれば、その辺りの歴史も無関係とはいえないでしょう。しかし……」
ミーアは深々と頷いて、続ける。
「ともあれ、いずれにせよ、気になる符合ではありそうですわね。せっかく帝国内にあるわけですし、調べないわけにはいきませんわ。幸いにも、ルールー族とは親しい関係を築いておりますし。リオラさんとワグル、それから、森の中にお詳しそうなガルヴさんにも協力していただくのがよろしいかしら」
ミーアの言葉に、ベルがウッキウキ顔で体を弾ませる。
「いよいよ、森の大冒険の始まりですね。ふふふ、腕が鳴るなぁ!」
なぁんて、腕まくりするベルに、ミーアはニッコリ笑みを浮かべて、
「そうですわね。今回のことは、とてもお手柄でしたわ。ベル。よくやりましたわね。ですけど……行くのは学期末のテストが終わった後になるかしら?」
「……はぇ?」
かくん、っと首を傾げるベルに、ミーアは少々呆れ顔で、
「はえ、じゃありませんわ。ご令嬢が、そのように間の抜けた声を上げるものではありませんわ。冬にセントノエルである学期末の試験はきっちり受けなければならないでしょう?それに、夏休みを少し長く過ごし過ぎましたから、とりあえず一旦、セントノエルに戻り、勉学に励まなければなりませんわ」
ミーアのすべきことは多い。
話が進んでしまっているパライナ祭に関しては、さすがにレアだけに任せきりにはできない。きちんと監視しておかないと、巨大畑アートだとか、黄金に輝くナニカだとか……その手の、なにかトンデモない企画が展示されてしまうかもしれない。
――下手なことをして、ベルが帰る先の帝国が滅亡してました、なんてことになったら可哀想ですし。ここで頑張っておけば、ギロちんの影を遠ざけることができるはずですわ。
内心で考えつつ、ミーアは、アンヌが淹れてくれたミルクティーをコクリ、と飲んでエネルギーを補給。
視界の端のほうで、アンヌがほんのちょっぴりお砂糖を入れてくれたのを、ミーアは見逃していなかったのだ。
そうして、脳内にエネルギーを行き渡らせてから、ミーアは改めて言う。
「静海の森のことは、とりあえず、ティオーナさんのほうから話を通しておいてもらうとして……。行くのは冬の、わたくしの誕生祭が終わったあたりになるかしら?」
「ああ、それは、ちょうど良かった」
ミーアの言葉に、ハンネスが頷いた。
「私は、まだあの音程のズレが気になっているのです。あれがどういう意味なのか、考えたいと思っています」
「良いですわね。霧の海に関する仮説が正しいとも限りませんから、いざという時に備えて、別方向で調べを進めておくのは、とても大切なことですわ」
そうして頷き合うミーアとハンネス。一方で、
「ぐ、ぐぬぬ……しっ、試験……。その前に冒険に行ってしまえればと思っていたのに……」
悔しそうに歯ぎしりするベル。その肩にぽむん、っと手を置き、
「まぁ、そういうものですわ、ベル。人間、逃げられぬ壁というのは、必ずやってくるもの。ですわ。常日頃からそういったものに備えて……」
なぁんて、プチお説教をかましているミーアは……完全に油断していた。
潜んでいた蛇を炙り出し、必要な情報をゲットしたことで、完全にやり切った感じになっていたのだ。
「あ、そうだわ。ミーアさん、実はね、レアさんとリオネルさんが、ドルファニアに来ることになっているのだけど」
パンッと手を叩いて、ラフィーナが笑みを浮かべた。
「あら、そうなのですわね。パライナ祭の打ち合わせに来るのかしら?」
「そう。ヴェールガの最高司教会議で、正式に今度のパライナ祭について説明することになっていて。それで、ミーアさんが来る時期に合わせたみたいなの」
「………………うん?」
そこで、ミーア、なにやら、致命的に聞き逃してはいけない言葉を聞いた気がして。
――はて、なぜ、わたくしがここに来る時期に合わせたのかしら……?
などと思っていると……。
「それで、ミーアさんにも、その司教会議に出てもらいたいなって思っていて……」
「…………はぇ?」
まぁ、当然のことながら……海産物研究所のことに関しても、オウラニアに任せきりで、ノータッチ、などと言うわけにもいかず。
――ヴェールガの司教会議に出る……? それは……大丈夫なのかしら?
思わずぽっかーんっと口を開けてしまうミーアであった。