第百九話 弟子と祖母は納得顔で……
さて、昨晩の意趣返しをたっぷーりとして、すーっきりした後、ミーアはジーナの部屋を後にした。
「ふぅむ……。良い感じにお腹もこなれてきましたわね」
お腹をさすりさすり、そんなことをつぶやくと……。
「ええっ!?」
それを耳にしたアンヌがギョッとした顔をしていた!
「み、ミーアさま、その……まだ、朝食からあまり時間が経っておりませんし……大変、言いにくいことですが、オヤツなど、あまり甘い物は……」
「お、おほほ、冗談、冗談ですわ。アンヌ、もう、いやですわね、おほほほ」
笑って誤魔化しつつ、ミーアは、お昼のメニューに思いを馳せる。
――今から楽しみですわね。空腹は最高の味を引き出すための重要な調味料と聞きますし……。現時点で空腹と言うことは、きっとお昼ごろにはすごいことになっているはず……。
なぁんて、気持ちを切り替えたところで……。
「ミーア……腹は立たないのかい?」
静かな声が問いかけてきた。
「え……?」
見ると、アベルが複雑そうな顔をしていた。
「どういうことですの? アベル」
「命を狙われて追いかけ回されたのに、あんなにあっさりと許してしまうなんて、と思ってね。君ならば、そうするとは思っていたけど……でも……」
アベルはギュッと握った拳を見つめながら言った。
「もしも、さっきの場にいたのがボクだけだったら……ボクは、自分を抑えきれなかったかもしれない」
そんな彼の様子を見て、ミーアは少しだけ心配になる。
――あら、もしかして、アベル、怒っているのかしら……?
恐る恐る、ミーアは口を開いた。
「アベル……その……。やはり、お姉さまのこと……怒ってらっしゃるのかしら? クラリッサ姫殿下のためには、もっとしっかりとした罰を与えたほうがよろしかったかしら?」
昨夜のことは、彼の姉の命の危機でもあったのだ。アベルの怒りはもっともである。なぁんて思っていると……。
「いや、クラリッサ姉さまは、まぁ……。ああ見えて、ギミマフィアスに何度も稽古をつけてもらっているし……鍛練の一環で手加減があるとは言え、一本取ることもしばしばあるらしいから、あのぐらいは危機に入らないと思うけど……」
っと、そこで、アベルは乱暴に頭をかいて、
「ああ、だから、そうじゃないんだ。君のことだよ。ミーア。君は、腹が立たないのかい?」
「あら? わたくしですの……? わたくしは別に……うん?」
そこで、ミーアはぽっかーんと口を開ける。
「まぁ! アベル……もしかして、わたくしのために怒ってくれておりますの?」
「……自分の大切な女性が危険な目に遭ったんだ。それで怒らないと思われているならば、心外も極まるというものだけど……」
ムスッと、少しだけすねたような顔で言うアベルに、ミーア・オトナノオネエサン?・ティアムーンは、思わず、内心でニマニマしてしまって……。
――まぁ、アベル……ふふふ、わたくしのために……心配してくれたのですわね。
ちょっぴりご機嫌になりつつ、手をペラペラと振る。
「もう、そんなに怒らないでくださいまし。ちょっと、思ってもみなかったことだったので、驚いてしまっただけですわ。うふふ、そう、わたくしのために……。嬉しいですわ、アベル」
なぁんて、恋愛脳ギアを一気にマックスまで引き上げてしまうミーアであったが……。
「ミーアさん、私も、怒っているのよ? あんな危ないことをして……」
ふと見れば、ラフィーナがむぅっと頬を膨らませていた。
「それなのに……怒りたいのに……ミーアさんが、全然気にしていない様子だから……」
などと、自らの感情を持て余す、獅子みが溢れ出しそうなラフィーナの姿があって……。
一方で、その後ろに立つオウラニアとパティに関しては、特になんとも思っていない様子だった。
まるで「「まぁ、ミーア師匠・うちの孫 なら、あの程度の危険、なんでもないだろう」」とか、思っていそうな……「後方弟子・祖母」づらで、腕組みしつつ、うんうん、っと頷いている。
それはそれで、期待が重い感じがしないではないのだが、それより、優先すべきは、アベルと、獅子耳がぴょんこと飛び出てかけているラフィーナのほうだろう。
ミーアはそんな二人に深々と頭を下げて、
「ご心配をおかけしてしまい、申し訳なかったと思っておりますわ。それに、確かに、わたくしも腹が立たないと言ったら嘘になりますわね」
実際、アンヌに怖い思いをさせてしまったことは、ミーアとしても忸怩たる思いである。微妙に運動のし過ぎで筋肉痛なのも、業腹と言えば業腹だ。
まぁ、ベルに関しては、あの手の危険は慣れっこっぽいからいいかな、とは思うが。
「ただ、わたくしは思いますの。感情と刑罰とは、やはり、しっかりと切り離して考えるべきですわ」
かつて、感情のおもむくままに行動してしまった結果、手痛いしっぺ返しを食らったことがあるミーアである。
思い出すのは、あの忠義の料理長をクビにした時のことだ。
あのせいで、どれだけの美味しいお料理を食べそこなったことか……。
――黄月トマトのシチューの真価を長らく知ることができなかったのは、大損失ですわ。
感情とは移ろいやすいものなのだ。ケーキの一口でも食べて寝れば、怒りなど薄れてしまうものなのだ。
そんなものに従って罰を下していった先が、味気ない食事とギロちんに追い回される日々なのだ。
「わたくしたちは為政者、統治者として、自身の感情と一定の距離を置くべきだと考えておりますの。そうしないと、多くの不幸を呼び込むことになりますわ」
野菜ケーキしかり、ミーア団子しかり……美味しいメニューに出逢えぬ不幸を呼び込みたいとは思わないミーアなのだ。
「ミーアさん…………そうね。私……まだまだ駄目だわ」
ラフィーナが、感銘を受けた様子で頷いた。それから、自らの罪を悔いるかのように両手を祈りの形に組んだ。
アベルのほうも、小さく苦笑いを浮かべるが……すぐに真剣な顔をして……。
「ミーアの考えはよくわかった。でも……ボクは、君のそういうものも全部、受け止められる男になりたいんだ」
グッと拳を握ってミーアの目を真っ直ぐに見つめて……。
「ボクは君を守りたいし、君を支えていきたい。君のそういう想いや個人的な感情だって受け止めたいと思ってる。だから、どうか……そのことは忘れないでいてくれ」
「アベル……」
その、あまりにも真っ直ぐで、間合い深くまで踏み込んでくるような言葉に、ミーアが、ほわぁっと口を開けたところで……。
「あっ! いた、ミーアおば……お姉さまっ!」
パタパタと、ナニモノカが走ってくる音が聞こえて……。