第百二話 それであなたは、幸せなのか?
ジーナの言葉を聞いて、ミーアは――グルグル目を回しつつあった。
途中までは、良かったのだ。
自身の行動が、黄金に輝くナニカへと繋がらないよう、きちんと予防線を張った。
この地に相応しく、きちんと神に栄光を帰したし、ラフィーナもきっと満足したはず……っと胸を撫で下ろしていたのだが……。
――なっ、なにやら、すごく難しいことを言っておりますわ。う、うーむ……。
ジーナの話に、早くも置いていかれそうになったミーアは、無意識にお腹をさする。心なしか、ちょっぴり、こう……お腹が減ってきたような!?
そうなのだ、先ほど、朝食で摂取したカロリーが早くも脳みそに吸われて、払底しかけているのだ! ……まぁ、たぶん……十中八九気のせいなのだが……。
それから、周囲をシュシュっと観察し、ミーアは驚愕する。
なんと、ラフィーナはもちろん、オウラニアやアベル、パティまでもが……最年少のパティまでもが! 話を理解できているような顔をしていた!
つまり、誰かに解説を頼むことは不可能! なんとか、自力で話を理解しなければならないのだ!
ということで、ミーアは考えた。考えに考えた!
少々、朝食が足りなかったのではないかしら? などと途中くじけかけたが、休みつつ考えた。考えながら休んだ。なんか、考えているのか、休んでいるのか、よくわからなくなってきて「ああ、もうとりあえず、話の流れに任せようかしらー?」なぁんて思いかけた、まさにその瞬間だった。
――あら? でも、これって、ジーナさんの言っていることを突き詰めていくと、誰も幸せになれないのではないかしら?
唐突に、気が付いた!
それは、そう……言うなれば、なぁんにも考えずに、流れのままに身を任せていた海月が、あれ? このままいくと鯨の口に飛び込んじゃうんじゃ? と気が付くような……あるいは、どこかの冒険好きな孫娘にそそのかされて、よくわからない穴に頭を突っ込み、辺りをキョロキョロ見回している時に、ふと……あれ? これって、断頭台のアレじゃね? と気が付くような……。
そんな、気付きであった。
ミーアは、その思い付きを手掛かりに、ジーナの考え方を己が価値基準に照らし合わせてみる。
すなわち、自分の幸福観(自分ファースト)に……。
それは決して、決して揺らぐことのない、ミーアの原点。そうして、ミーアは、ゆっくり吟味した後……。
「あなたは、それで幸せなのかしら?」
思わずつぶやいていた。
もしも、その考え方を取ったとして、あなたはどこへ向かっていくのか?
それで、あなたは幸せになれるのか? っと。
生み出したわずかな流れに乗るようにして、問いを続ける。
「それが、あなたのしたいこと……あなたの生きたい生き方なのかしら?」
「どういう意味でしょうか?」
虚を衝かれたように目を瞬かせたジーナ。その様子に首を傾げつつ、ミーアは続ける。
「いえ、すべてのことに意味がない。この世界は真実、そのようになっている、と。あなたがお考えなのは、よくわかりましたけれど……そもそもそのように考え、その考えに従って生きることに、あなたの幸福はあるのか? と不思議に思いましたの」
一つ一つ、言葉を確かめるようにミーアは続ける。
「なるほど、確かに、あなたの言うとおりであれば、子を愛する必要はございませんわ。母は子を愛するものと、誰かの決めつけに従う必要は確かにないかもしれませんわ。でも、そのように生きることは、幸せなのかしら……? 子を愛することは、あなたの幸せではないのかしら?」
一度、言葉を切ってから、ミーアはジーナを見つめる。
「子を愛するという当たり前のことすらせずに、そうまでしてあなたは何を成し遂げようとしておりますの?」
ジーナの目は真っ直ぐに、ミーアに向いていた。まるで、ミーアの真意を探らんとするかのように……。
「成し遂げるもなにも……私は世界がそのようなものであるから、そのように生きているだけです。世界に神などいないから、そのように振る舞っているだけのことです」
「なるほど、つまり、この世界はそのようなものであると証明するために……。神がいないということを、ご自身の生き方によって証明しようとしている、と……そういうことかしら?」
ミーアは小さく首を傾げてから……。
「あなたは、なぜ、そうまでして神に囚われておりますの? あなたは自由とおっしゃっておりますのに……わたくしの目には、あなたはひどく不自由な生き方をしているように見えますわ」
「え……?」
ぽかん、と口を開けるジーナ。その様子を見て、ラフィーナが言葉を継いだ。
「空を飛ぶ鳥があの姿なのは、あの鳥の親が生きて、子を成し、種を繋いだから。そうして生き残ったものが、今の鳥の姿を成している。そうかもしれないわ。されど、鳥の姿がそのような方法で『完成されたもの』になっているからといって、そのような手段を神が用いたとは、どうして考えないのかしら? 神が人にリンゴを与えようとなさる時、無からリンゴを作り出すことももちろんできるけれど、リンゴをならす木を作り出すこともある。むしろ、自然の理を定めたのが神であるならば、その理に則ったやり方をするのではないかしら」
神は自由だ。
一瞬で鳥を作り出すこともあれば、何世代もの親子を通して見事な鳥を完成させることもある。超自然的な手法を取ることもあれば、自然の法則に則った手法を取ることもあるのではないか? むしろ、自分が定めた法則に則ったやり方をこそ選ぶのではないか? と。
それはかつて、ルードヴィッヒがしたのと同じ思考。
自分自身で創った法則を、ことさらに破ることはあるだろうか? という疑問だ。
リンゴが必要であれば、リンゴの木を用いればいいだけのこと。リンゴの果実を作ったのが自然であり、リンゴの木だからといって、神を否定する理由にはならない。
ではなぜ、事さらに神の介入を否定しようとするのか……。
――ふーむ、なにか、そこにジーナさんの執着を感じますわね。
そうして、ミーアは静かにジーナを見つめるのだった。