第八十九話 姫道とは、巻き込むことと見つけたり
「……わたくしはやはり、あなたがうらやましいですわ。クラリッサお義姉さま。期待されてないなんて、うらやましいですわ!」
拳をギュッと握りしめ、ミーアは思いのたけを吐露する。
――ぐっ、ぐぬぬ、なんてうらやましい境遇ですのっ! わたくしなんか、そうしたくっても、断頭台が許してくれませんでしたわ!
ミーアとて、本当はこんなふうに世界を飛び回っていろいろと巻き込まれたいわけではないのだ。
そもそも、あのクソッたれな初代皇帝や、混沌の蛇などと言う厄介者がいなければ、ここまで苦労することもなければ、黄金の像を心配しなければならないほどの功績を立てる必要だってなかったのだ。
――帝国のあの未来さえなければ……大陸各国がもっとしっかりして、わたくしがなにをするまでもなく安泰ならば……わたくしは、のんびりゴロゴロできたはず。ルードヴィッヒにとやかく言われることもなく、勉強に追われることもなく、料理長の作る美味しいお食事を好き嫌いなくパクパクしていれば、それだけでよかったはずですのに!
……それはそれで悲惨な未来が待っていそうなことを想像してしまうミーアである。
っと、そこで、ミーアはハッとした顔をする。
――ん? しかし……そうですわ。よくよく考えると、これはチャンスでもあるかもしれませんわ。
そう、ミーアはあることに気付いてしまったのだ。それは……。
――よくよく考えれば、わたくしに功績が集中するから、黄金像だ、灯台だ、名状しがたい不可解な輝きを帯びた旗だ、とわたくしの心の平安が乱されるのですわ。
ここ最近のことを振り返り、ミーアは一つの活路を見出していた。
それは、他人に功績を押し付けること……あるいは、せめてそれを誰かと分かち合うこと。
……まぁ、分かち合うほうは、あくまでマシという程度ではあるのだが……それでも、かなりマシなほうではあるのだ。自分一人の「巨大な肖像画旗を振るからくり黄金像」が林立する未来など悪夢以外の何物でもないわけで。
ゆえに……ミーアは思うのだ。
――期待をされていない方というのは……功績を挙げやすいということでもありますわ。なにしろ、期待値が低いのですから、それを超えるのは容易。簡単なことで評価がものすごく上がることだってあるはず……。
ミーアは、かつての自身の行動を思い出す。
美味しいシチューを食べて、褒めただけで、なぜかひどく感動された。
ルードヴィッヒに、ぺらぺらぺらーっと、ちょっとしたことを言っただけで、ひどく感心された。
簪を差し出したら、さらに感動された。
――あの頃は、簡単でしたのに……。今では期待を裏切らないようにするだけで、一大事ですわ。しかも、期待を裏切ることが、ギロチンを呼び寄せることに直結しそうなのが、実に恐ろしいところですわ。
それから、ミーアはチラリとクラリッサに目をやり、うむうむ、っと頷いて。
――この機会に、クラリッサお義姉さまにも、しっかりとした功績を立てていただき、仕事ができる姫君として君臨していただくのがよろしいですわね!
そうすれば、なにか良いことがあった時、勝手にミーアの功績だとは思われなくなる。黙っていても、クラリッサがやったんじゃない? と思う人も出て来るだろう。
結果的に、レムノ王国にミーア黄金像が建つ可能性が減るのである。これは非常に重要なことだ。
――これですわ! もしも今後、レムノ王国で何かする必要が出てきたら、クラリッサ姫殿下と一緒に行動して、押し付けてしまえばよいのですわ。
そうして、クラリッサが功績を積み上げ、期待を集めるようになると、どうなるか……。そう、ミーアと同じで逃げられなくなるのだ。
期待を寄せられれば、それに応えざるを得なくなり……そのために、励むようになる。そうして、寄せられた期待に相応しい能力をクラリッサが身に着けてくれれば、ミーア的には非常に楽になる。
っということで、ミーアは、クラリッサを積極的に巻き込みに行くことを決意する。
「なぜですか? 誰からも顧みられず、一切の期待もされず、そんな生き方がうらやましいなんて本気で思っているのですか?」
少しばかり怒った様子で言うクラリッサに、ミーアはカッと目を見開いて言い返す!
「うらやましいですわ! だって、それならば、ちょっと頑張れば評価されるではありませんの!」
それから、ミーアは切々と語り出す。
失敗しなくて良い強みと、表裏一体の側面。
――楽に功績を挙げられる可能性……それをきっちりと提示して差し上げますわ!
意気込みつつ言葉を紡いでいき、そのうえで……。
「期待されていないことが、わたくしには、とてもうらやましく思えますわ!」
感情のこもった本音で閉める。
それから、クラリッサの顔を見つめる。
クラリッサは、なにか考え込むようにうつむいていたが、ゆっくりと顔を上げ……次の瞬間、ミーアに突進してきた!
「ミーア姫殿下っ!」
「……はぇ?」
突然のことに、ぽっかーんと口を開けるミーア。クラリッサは床に置かれていたワインボトルを迷うことなくミーア――の後方に向かって投げた!
――なっ、クラリッサお義姉さま、いったいなにをっ!?
っと驚愕に固まるミーアであったが……。
「あら……危ない」
直後、響いた声に跳びあがる。そこには、片手に斧を、もう片方の手で酒瓶を受け止めたジーナの姿があって。
「こっち!」
クラリッサは、勢いそのまま、ミーアの腕を引いた。一瞬、動きを止めていたジーナの脇をすり抜けるように外に出る。が……。
「ふふふ、つれないですね。せっかく、追いついたのに。でも、逃がしませんよ」
斧を担いで、威嚇するようにニッコリ微笑むジーナに、
「ひぃいっ!」
っと、悲鳴を上げるミーアであった。